054話「はるかなる決意」
「貴方の名前は?」
「私の名前はナリタクリス。」
「貴方の夢は?」
「ありません。」
この問いは、私の中で何度も繰り返されてきたものでした。毎朝、鏡に向かって問いかける。そうすると、鏡の中の私が、いつもの正解を答える。
そんなルーティーンが私の朝でした。これは、自分の身分が何たるかを確認する儀式でもありました。
私はナリタテンマの娘、ナリタクリスではなく、ナリタクリスというただの生命体。他の人とは違って夢も、それを追いかけるための情熱もない、ただの人間。
こうして自分に言い聞かせれば、二度と傲慢な考えを持たずに済む。
そうしてはいけない理由は、自身の体験による教訓ではなく、歴史的な過去からの学びでした。私の父は一度、道を踏み間違え、犯してはならないほどの罪を背負い、そして偽りから本物の王へと戴冠しました。
ですがそれは同時に、その玉座へと伸ばした手が、何よりも血で汚れていることを示しています。
そう語る私ですが、本人の方がその自覚は強いはずです。父は私に優しく、母も私に優しい。
けれどその優しさは同じではありません。父のそれは、慈愛と責任、そして贖罪が入り混じった複雑なもの。
私は父と接するたびに、そこにそれを感じ取ってしまうのです。なんて可哀想で、醜くて、憐れなのだろうか、と。
ですが、はい。私は手を血で染めることを愚かだと思うようになりました。
流す必要のない血は、必要ではありません。絶対者が絶対者たるために行うべきことは、全てを葬り去ることではなく、全てを繋げることができるという唯一無二の特権なのです。
その理論に辿り着いた私は、幼いながらもそれこそが正解だと信じ、その通りの性格で生きてきました。
いじめを制裁し、不平等を見つければ是正し、国に対しても、人に対しても良きことをしてきた。
実際、私が通った後には、限られたながらも平等が溢れていたと記憶しています。
ですが、そんな私の生き方が、一つの不純物を生み出しました。
それは、私自身です。
私には中身がありませんでした。
誰にでもあるはずの中身が、なかったのです。責任は私の外郭を作ることはできても、中身までを作ることはできませんでした。
そうして、責任感なのか焦燥感なのか分からないものが外側だけを動かし、ついには中身を入れるスペースすら失ってしまった。
今さら何も入らない状態。
世間的に言えば「世界に絶望した」「虚無になった」――そんな言葉が当てはまるのでしょう。
外側だけは元気で、満ち溢れているように見える少女の内側は、ぞっとするほど空っぽだったのです。
これは良くないことでした。人として、あってはならないこと。
ですがそれを理解した時には、もう遅かった。
私はこのまま、人ではない何かになり、誰とも分かち合えないまま人生を終えるのだろう――そう予感していました。
そんな時でした。
狭く、何も入らないほど小さくなってしまった私のスペースに、ぴたりとはまり、決して壊れないものが生まれたのです。
その人の名前を、ラナ・プラノードと言います。
初めて名前を聞いた感想は、聞いたことのない名前。
初めて顔を見た感想は、私の内心を映し出したようでありながら、私にはないほどの情熱を宿しているというもの。
初めて話した感想は――一目惚れでした。
よく本にある、王子様とお姫様の物語。その序章で描かれる一目惚れ。
それが私の中で起こり、同時に私は中身を得たのだと理解しました。
「私の名前は──ナリタ・クリス。貴方は?」
そうして私たちは友達になりました。
義務のように感じていた学園生活は、彼女との出会いで色を持ちました。
一緒にご飯を食べること、一緒に実力を高め合うこと。すべてが、今までとは違い、鮮やかでした。
私は友人として、そして一人の人間として、ラナさんと一緒にいることが何よりの幸せとなりました。
ですが彼女は、その交流すらも目標へ至る過程として見ていました。
私はそれを止められません。彼女が自分と戦っている時こそ、最も美しいと知っているからです。
だから私は友人として、そして彼女を慕う一人の女性として、最大限の恩返しをすることを決めました。
ただ応援するだけでなく、手伝うこと。それがナリタクリス、初めての自主性でした。
彼女は最短、最速、最強で目標へと向かう。
そのために私は、私にできる最大の行動を取りました。
「お父様、お願いがあります。」
「お願い!? クリス……どうした、病気か?」
「相変わらず腹立たしい言い方ですわね。」
「毎度断る娘からお願いなんて言われたら、誰だって驚くだろう。」
「……それで、聞いていただけますわよね?」
「もちろんだ。何が欲しい?」
「欲しいものではありません。ただ、お願いを聞いてほしいだけです。」
「それで?」
「私がお父様を倒せたら、私を異界探索部隊の大隊副隊長に任命してください。」
「……なに?」
その時の父の顔は忘れません。王がしていい顔ではありませんでした。
「理由を聞きたい。」
「はい。」
私はラナさんのこと、そして自分の想いを話しました。
「……そうか。」
「ご了承いただけますか?」
「私に勝てたら、だな。それだけの実力があるなら、副隊長に相応しい。」
「ありがとうございます。」
「だが、一つだけ話しておきたい。」
父は、かつて勇者だった男の話をしてくれました。
「……」
「私は決心しました。やはり、ラナさんの隣にいるべきです。」
「……フ。」
「変なことを言いましたか?」
「いや。昔の自分に聞かせたかっただけだ。」
「……」
「異界探索部隊大隊長として、君の挑戦を待っている。」
「はい。ぶっ潰して差し上げます。」
「やめてね。」
それから私は、何百回、何千回と父に挑み続けました。
その過程は果てしなく、苦難の日々でした。
そして――ようやく、一度だけ。
私はナリタテンマに勝つことができたのです。
ちなみに過程については、語りません。
私が何度負けたかなんて、話したくありませんから。




