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051話「夢の後」



 時計は時間を刻んでいく。それは至極当たり前で、口に出せば馬鹿にされる。では時間とは、時計が決めているのか?――と話題をずらした瞬間、この話は一気に高度になっていく。


 たった一つの綻びや、たった一つの行動だけで、その先の展開はいくらでも分岐する。これは私の実体験をもとにした理屈だ。しかしこれは、時計と時間の両方を認知して、初めて成り立つものである。


 無い物ねだりができないように、人は「あるもの」しか見ることができない。今そこに存在するものしか見ることができず、何百通りも生まれる未来の展開を正確に予想できる者はほとんどいない。では、なぜ人は予測ができるのかと言えば、人が人の習性を理解しているだけだ。この人の習性のことを、テンプレートと呼ぶ。


 私たちは様々な体験談を聞くことによって、無意識のうちにこのテンプレートを予測する力を身につける。人の時代が到来したのなら、この理屈は十全に発揮されるだろう。しかし同時に、すべての人々が望むような未知なる体験という要素は、反比例するように低下していく。


 この世界には未知が溢れているが、人が生活する上でそれをすべて解き明かす必要はない。人が安全であるならば、これから先、だいたい十年ほど安心できるならば、それ以上のことを考えず、自己意識を手放し、社会という一つの時計を動かす部品のようになってしまう。


 それは致し方のないことだ。すべての生物に与えられた第一原則、それは生存であり、生存のためには安心が必要だが、好奇心は必須ではない。生物としてのタスクを全うするだけなら、好奇心など必要ないのである。


 では、なぜ人にはそれが備わっているのか。それは――


 『──人が、この世界で唯一、無限の可能性を持っているからだ。どんな障壁があっても超えられる。どんな苦痛があっても克服できる。そんな芯を持った者こそが、本来の人だからだ。』


 いつか聞いた懐かしい声が、その問いに答えた。


 その言葉には実体験が含まれているようで、私は聞いた当時、理解はできなかったが、納得はした。理解ではなく納得。知恵で分解し、それが正しいと判断したのではなく、人格そのものがその言葉を肯定したのだ。


 そんな大層なものではなく、それだけのことだと、その声の持ち主は思っているのだろう。どうしたものか、真正面から言われると反論のしようがない。だがそれでも、私はこの問いを続ける。続けるだけならタダだ。考え続けることに終わりはなく、これは永遠に行える。


 「プラノード訓練生───!」


 が、夢とは終わりが来るものである。


 ゆっくりと目を開ける。暗闇の中でひたすら自問自答していた時間は終わりを迎え、私を忙しなく起こそうとする、一人の特務服を身にまとった世話焼きな人物が、私の名前を呼んだ。


 「……おはようございます。」


 「何がおはようございますだ。もう昼過ぎだ。」


 世話焼きというのは、今考えれば言い過ぎかもしれない。この人は単純にうるさいだけだ。それも私にだけ、こうなのだから困ったものだ。直接の情感だというのに、その顔からは覇気が感じられない。いつものように、私におせっかいを焼きに来たのだろうと軽く想定し、大きなあくびをする。


 「…………」


 「何をしていた?」


 「昼寝ですよ。」


 「それはわかる。どんな夢を見ていた?」


 「つまらない夢です。平和な人の世の中が、いつか迎えるどうでもよくて、つまらなくて、それでもやってくる終わりのような世界です。」


 「ほう! 廃坑していたのか?」


 「そうじゃないですって。意識的な問題です。簡単に言えば、みんなが無気力で元気のない世界です。」


 「そういう感じか。予知夢か?」


 「こんなの、予知夢でもなんでもありません。予知夢だったら、真っ先に報告書にしてまとめておきますよ。貴方の好きなピン留め方式で。」


 「お前も、まともな夢を見るもんだな。」


 「これがまともなわけないじゃないですか。」


 私が見る夢の大半は、おかしなものばかりだ。だから、意識が覚醒した状態で目を閉じている方が、時には百倍マシだと思うことがある。これは学生の頃からまるで変わっていない。ただ最近は、夢を見ないことが多くなった。本当にありがたいことだ。


 「それと、もう訓練生ではありません。」


 「それもそうか。二年の訓練を経て、飛び級に次ぐ飛び級。配属は今日だったか?」


 「はい。夕方ごろに集合ですよ。パリ教官こそ、覚えていましたか?」


 「流石に、それを忘れるほど能天気だと言われたことはない。とはいえ、私にはお前がどこに配属されるかなど、知らされていないのだがな。」


 「教官は言いふらしますでしょうからね。」


 「拷問の試験はSだったんだがな。」


 「それ、本当に本当なんですか?」


 「ああ。前にも言っただろ? 相手の弱点に噛みついてやった。」


 それは、教官がいつか話してくれた話だった。教官が人間国で軍属についていた頃、拷問の訓練にて隙を突き、相手の股関節にある、その弱点部分に噛みついたのだ。


 結果、拷問に対してカウンターできるレベルの忠誠心があるということ、そして、あまりの狂犬ぶりから、これは先に殺される可能性があるという判断が下され、評価はSにされたらしい。


 私はこの話を聞いて、つくづく自分が女性であったことを感謝している。


 「二年か、長かったな。」


 「短かったような気がします。」


 「私は長かったさ。お前の成長ぶりを見ていると、気が狂いそうだった。次世代には、こんなにもすごい奴がいるんだってな。」


 「教官は、嫉妬とかしなさそうですね。」


 「して何になる? 相手を倒せるのか?」


 「そうですね。」


 教官のこの気持ちのいい返答も、何度目だろうか。教官としての立場が薄い時は、こうして私のような一般訓練生とも親しげに話す。厳しさと優しさのバランスが、とんでもなくいい人なのは間違いない。この二年間は、感謝の日々だった。


 「お前、十九歳か? もうすぐ酒が飲めるな!」


 「教官、私は酒を飲まないつもりですよ。」


 「なんだ、もったいない!」


 「もったいないも何も、ポリシーです。酒を飲むと筋肉が分解されるって言うじゃないですか……。」


 「その程度で砕ける筋肉なら、豚の餌にでもしてやれ。」


 「豚さんが血に飢えたら、責任取ってくれますか?」


 「いや、無理だ。」


 「ですよね。そもそも、人の肉を食べる豚なんて、きっと美味しくないですよ。」


 「うーん、ならいっそのこと魔獣に食わせるか?」


 「ご冗談を。的に塩を送ってますからね、それ。」


 「ハッハッハー!」


 教官の豪快な笑い声が、温かな陽射しの差し込む廊下に響き渡る。私と教官以外に気配はないが、驚くほど穏やかだった。今日は訓練日ではないため、こんな雰囲気なのかもしれない。


 「思えば、お前は一番手のかからない生徒だった。」


 「褒めてます?」


 「当たり前だ。教官にとって、手のかからない生徒は確かに叩き甲斐がないが、それでもいい奴には違いない。剣術、魔術、魔法。この三つを使えるってだけで、最初は適性だけ恵まれた甘ちゃんかと思ったからな。」


 「そんな教官曰くの甘ちゃん、最初に弾けばいいじゃないですか?」


 「適性があり余って使えない奴を、使えるレベルに引き上げるのが、私たちの仕事だ。そもそも教育なんてそんなものだろう? 適性のない奴を無理に鍛える方が、かえって逆効果だ。」


 「…………本当に、しっかりしてますね。」


 「そうだろう、そうだろう。ハハッ!」


 教官の、何も考えていないようで完成され尽くした理屈には、本当に頭が上がらない。この人の下で、学園卒業後の二年間を過ごせて良かったと心から思う。


 「さて、プラノード。夕方までのんびりしていろ。私は呼ばれるかもしれないから、見回りに行ってくる。それじゃあ、夕方に会おう。」


 「はい。教官も、転ばないように。」


 ハイテンションなパリ教官は、そのままズンズンと廊下を進んでいった。私は椅子に座ったまま、少し瞼を閉じて再び眠りに入ろうとするが、やめる。こういう時は、教官とは別の方向に歩くのがいいのかもしれない。


 そう思って、歩き始める。そこは見慣れた光景のはずなのに、なんだかタイムスリップしてきたような気分だった。

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