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036話「冬休み十、」




 王都の六日目の朝がやってきた。たかだか一週間のうちの六日目だというのに、体はすでにこの気温とこの空気に適応していた。息を吸えば木の香りがして、近くには私の三学年下の後輩が寝息を立てている。耳まで毛布をかけ、すやすやと変わらず眠っている。

 獣耳がある私にとっては、かなり羨ましい光景だ。私がこれをやろうとすれば、頭まで被っても耳がはみ出ることがあるからだ。


 「ラナ、起きて。」


 「はーい……」


 ラプもこの生活習慣が身についたのか、酷く揺らさずとも起きるようになった。いつものように身だしなみを整え、寝巻きを脱いで普段着に着替える。部屋に立てかけてある鏡を使い、全体的に髪をまっすぐ整えた。

 私の髪は母とは違い、天然のパーマのような癖がある。もちろん意図的なものではなく、完全な癖毛だ。そこは父に似たのかもしれない。


 冬の中でも今日はかなり暖かい日だった。少なくとも、ラプがすぐに起きて準備できるくらいには、とても居心地のいい気温だ。外出の準備を一通り整えたら、宿屋の一階まで降りる。

 宿屋の一階は共有スペースになっており、少し広めのロビーには、ここに泊まっているであろう旅人たちが楽しそうに会話をしていた。

 私も近くの椅子に座り、暇を持て余す。クリスとラプ、そしてプリエルが降りてくるのは、決まって私の後だからだ。


 しばらくして、降りてきたいつも通りのクリスが挨拶をしてきた。


 「おはようございます、ラナさん。本日はお日柄が良いですね。」


 「昨日も良かったでしょ?」


 「はい。ですが昨日は、ほとんど曇り空でしたので。」


 そんなはずはない。だが、彼女が言っているのはおそらくラグナース平原のことだろう。確かにあそこは常に空気が悪く、目に見えないほど細かい灰のようなものが舞い散る空間だった。あれを悪い天気と言わずして、なんと言うのか。


 「それに比べたら、今日はとても過ごしやすい天気です。」


 「そうだね。」


 「ラプさんも、早く起きたのでは?」


 「うん。今日はあんまり揺らさずに済んだよ。」


 「それはよかったですね。まあ、寝起きがうるさい方ではないと思いますが。」


 「そうでもないよ。ラプは。」


 ラプは寝起きがうるさい方だ。私が世話を焼いて起こそうとするのを、最初のうちはかなり気遣っていたが、共同生活が二、三日も続くと慣れてきたのか、「やめてください!」と反抗するようになった。

 もちろん私は、それでやめるほどお人好しではないので、しっかり叩き起こしてあげていた。


 「そうなのですね。大人しい方なので意外です。」


 「クリスが読み切れないなんて、珍しいんじゃない?」


 「読まなくてもいいことは、あるということですよ。」


 「知ることが楽しい?」


 「ええ。第一、毎回そのように気を張っていたら、私も肩が凝って仕方がありません。」


 「うーん、そだね。」


 クリスが肩を回すのと連動するように、その大きな胸部が揺れる。私はそれを横目に見ながら、適当に相槌を打った。

 ふと、寂しさを感じるように自分の胸に手を当てる。そこにあるのは、女性らしい膨らみとは程遠い胸筋だった。同い年なのに、一体どこで差がついたのか。


 「クリス様、すではなさない。」


 「あら、プリエル。それは当然です。淑女たる者、いつ何時であっても口調を崩さないこと。それ即ち、心構えがなっていないのと同義です。」


 「うーん、むずい……。」


 「クリスは、そういうところこだわるよね。」


 「もちろんです。」


 「すみませーん! お待たせしましたー!」


 ラプがいつも通り少し遅れて、私たちの輪に加わる。これで全員集合だ。

 とはいえ、今日の予定は私は何も聞かされていない。


 「さて、本日は王都で面白いものを見に行きましょう!!」


 「面白いもの?」


 「はい。どうやら広場でエンターテイメントをやるそうです。具体的には何かの芸ですね。それも魔法も魔術も用いない、いわゆるトリックというやつです。」


 「物が浮くやつですか?」


 「はい、そんな感じの。それを本日は見に行って、その後、王都の中央劇場で劇もやるそうなので、そちらもいかがですか?」


 「……いいね。散策にも少し飽きていたから。」


 「そして──最終日は、ラナさんの故郷に行って帰りましょう!」


 一日のスケジュールがあっという間に決まり、私たちはまずクリスの言った広場へ向かった。特徴的な噴水の周りを囲むように、大勢の人が集まっている。

 冬にしては暖かい空気だったからか、そこだけ一時的に夏のような熱気に包まれていた。


 「人が多いですが、見られる位置にいられてよかったですね。」


 「わたし、みれない。」


 「プリエルちゃんは、私が肩車しますよ!」


 「おぉー!」


 プリエルを肩車したラプが、噴水前で行われるトリックを見せる。こういうものには基本的に縁がないが、改めて見ると、何がどうなってそうなるのかがまったく分からない。

 ある人の話では、体の柔らかさだとか、そう見えるように細工をしているからだとか言うが、胴体が真っ二つになったり、体がパーツごとに切り離されたりするのを見ると、恐ろしさと同時に不可思議さを感じ、つい見入ってしまう。


 「うーん。探知系魔術を使えば、トリックが分かるのでは?」


 「やめておいた方が楽しめるよ、クリス。」


 それを言ってしまえば、彼らの努力が無駄になる。これは正真正銘のトリックであり、魔術を使わず魔術師の真似事をする領域だ。

 暴いていいものではないし、何よりこれは努力の賜物だ。隠すための努力の。


 「…………。」


 それはそれとして、私は視線をずらし、自分の背後に何かを感じ取った。人には第六感があるというが、私はこれを気配だと思っている。

 そしてその気配を察知した私は、背後に誰かがいることに気づいた。


 もちろん、前にも後ろにも人はいる。だが、そういう意味じゃない。

 人混みに紛れて、明確に私を見ている誰かがいる。


 (なんの用だ。)


 見当もつかない。観光客である私を観察する目的など思い浮かばないが、このままでは気味が悪すぎる。


 「ごめん、お手洗い行ってくる。」


 「はい。トリックの種についてはお任せください。」


 「種はいいよ。どうなったか教えてね。」


 不安にさせないよう軽口を叩いてから、人混みを抜ける。すると、やはり感じる。

 私の後を、明確についてくる気配が。


 ここまで下手な尾行をされては、気づかない方がおかしい。つくづく、こういった気配察知に向いた能力でよかったと思う。


 私はそのまま人気のない場所へ向かった。相手も変わらずついてくる。

 強者であれ弱者であれ、まずは対話からだ。ただし、人目のある場所で話すわけにはいかない。


 裏路地に入り、足を止める。相手も一定の距離を保ったまま立ち止まった。


 「なんの用?」


 「!」


 相手は、私の声に驚いた様子を見せる。尾行しておいて気づかれていないと思っているあたり、相当な素人かマヌケだ。


 「尾行するには、下手すぎる。話すつもりがないなら、力ずくになるけど。」


 「っ! 僕に──暴力だって?」


 「? その声。」


 どこかで聞いた覚えのある声に、一瞬視線を向ける。フードを被ってはいるが、その姿には昨日のどこかで見覚えがあった。


 「……僕の声が聞こえているだろう! この者を捕えろ!」


 「っ、なにを!」


 突然の出来事に、私は完全に油断していた。背後に降り立った、あまりにも静かな気配に気づけず、一瞬で床に組み伏せられる。

 驚いた、その一瞬の隙が命取りだった。


 力を入れても外れないほど強い拘束。首を動かそうとしても、それすら許されない。


 「よし、よし! 僕の部屋に連れて行って!!」


 「……わかりました。」


 「っ!」


 何が起きたのか分からないまま、私は目隠しをされ、体を持ち上げられた。足音の数からして、複数人いるのは間違いない。

 それなのに、私は直前まで気づくことすらできなかった。


 完全なミスだった。


 自惚れていたわけじゃない。

 それでも、何もできずに捕まったのは、完全に誤算だった。

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