032話「冬休み六、」
ずっと集中力を保つことはできない。空白の時間が長くなればなるほど、その分精神は削られ、その摩耗を阻止するために心情は変化して慣れがくる。慣れが来ると油断が生まれる。その油断が私たちを刈り取る死神になる。
そうならないようにするのは難しいことだ。一度同じだと認識した瞬間、人はそれに慣れるように、考えないように適応する。要は難しくしないために、感覚や経験を通してショートカットする。そうすることで体や精神に負担をかけない。いわゆる逃げの思考だ。
ただ、それは同時に弱者の思考でもある。
「。」
今の私はそれをしない。自分が慣れという行為にシフトチェンジしないように、超高速で思考回路を回し続けて、現状の微細な変化を常に観測し続けている。そこにかける集中力は普段の数倍。肉体でもなく感覚でもなく、ただただ魂の色でそれを識別する。相手が動いたことを体は理解しない。反射が行われるより先に繰り出すには、魂でその動きを見る必要がある。
これは精神魂学に基づく理論とは関係ない、私独自の解釈と表現だ。
魂で見るとは、すなわち精神で見るということ。肉体という枷を一時的に解き、無防備なその心で相手を見つめ続ける。ある種気持ち悪い行為だ。だって露出した魂は、まるで引き抜かれた脈動する心臓のようにグロテスクだから。だが、こうでもしない限り一歩を踏み出すことはできない。
(あっちも、すごい。集中力)
余計なことを思考に入れないために、最小限の言語で分析を完結させる。相手は私と同じく動かず、されど魂をむき出しにせずに、私と同じように完全集中へと至っていた。それでいて慣れを感じさせない驚異的な集中力。私はどこか安心していた。この人の前なら、自分の全身全霊、当たって粉々になるような一撃を放てるのかもしれないということに。
構えていた剣をそっと腰に引く。私が得意とする一撃、私が編み出した一撃。正面衝突というよりかは、超高速の一撃必殺。プラノード抜刀術の中で、現状、武器の耐久値を気にしない文字通り諸刃の剣。
普通の戦闘ならば、一撃で勝負がつくことはない。だから私のこの技は、文字通り将来性を破壊する一撃だ。肉体が、じゃない。その後の戦いをだ。だから剣士としては最低の技だと私は認識している。ただ、その最低な技を使っていたとしても、まだ剣士と名乗れるならば、これを使う必要はある。ただの剣術指南でも、これは力や能力、それを全て置き去りにする技術が求められるのなら、私はこの技を使うべきだ。
「!」
先に行動したのは向こう側だった。構えた状態での直進。普通なら構えた状態から攻撃に移行するが、初老の男性は私と同じように、抜刀からの一撃が最速のタイプ。故に、基本的な移動と攻撃のタイミングを一致させることによって火力を出すのではなく、射程圏内に入った瞬間、身の動きと素早い攻撃で相手に逃れられない一撃を与えてダウンさせるやり方だった。
先ほど見ていた戦いでこれを使用していなかった、ということは、私にそれだけの価値があるということ。この技は文字通り奥の手に近いものだということを、私は理解し、
行動を開始した。
身体強化を腕だけに集中させる。諸刃の剣とは、通常時でこれを振るった時、文字通り反動が大きく、腕が耐えきれないことも意味している。だからこのような、あらかじめの補強と、そして最強の一撃を繰り出すための準備が必要なのだ。
それこそが身体強化を施した、プラノード抜刀術。
「ライキリ─────」
此度は相手を撃破する一撃ではなく、これは相手の武器を穿つ技。
極限まで引き締められた腕を鞭のように振るい、引き抜いた何かが破裂したような加速力が、相手の振り下ろされる木剣と同等の速度にまで達する。驚きだったのが、抜刀以外で相手が通常であそこまでのスピードを持った技ができたという点だった。抜刀術は、私が編み出した中でも、そして今まで見た中でも、剣を最速に打ち出せる技だ。しかし相手は、抜刀術を使わずして互角の速度を振り出せていた。
相手が剣を振り下ろされる前に叩き切ろうと思った時には、タイミングは合わせられていた。私はその驚愕に目を見開きながら、目の前で二つの武器が粉々に砕け散って弾け飛ぶ様子を、ただただ静観していた。
───────ッ
当たった瞬間、魂だけとなっていた私の体は肉体へと変換された。止まっていた、止めていた呼吸を再開するよりも早く、耳に届いたのは雷のような怒号だった。剣と剣のぶつかり合い、それもどちらも木剣のはずだった。だが耳鳴りがしてしまうほどの衝撃が、目の前で起こっていた。空気が文字通り、何かの拍子で破裂して奏でられた破壊音。
屋外だったにも関わらず、身構えていたにも関わらず、私はその後、全身の神経を逆撫でられたような気持ちになった。
『──────』
誰一人声を上げなかった。誰一人呼吸を始められなかった。雷の後の静寂は、精神と肉体の停止によって、何人たりとも生きてはいなかった。生命活動は優先すべき特許事項だ。それなのに誰もそれを行わなかった。
ただ、この静寂、ないしは精神の枷に引っ張られながらも、いち早く肉体を動かした者がいた。
「見事だ─────…!」
初老の男性ガイアスは口を開いた。自ら起こした私でさえも動けなかったというのに、目の前の獣人は口を動かし、そして何事もなかったかのように、砕け散った木剣を下ろし、私にそう告げた。
「!」
私はこの一連の行動を終えた時、初めて呼吸を再開できた。今まで集中力でマックス状態だった体が震えて、そして息苦しさを感じ、荒い口呼吸をし始めた。
「よく息を整えるといい。その歳でそれだけの技術を使えるのは、同族として尊敬と誇りに満ちる限りである。」
「───っ」
息を整えるばかりで、私は言えなかった。私の全力の一撃をも受け止め、そしてなお変わらない態度で踵を返す、貴方の方が何倍も尊敬に値すると。
パン、と大きな拍手が聞こえた。息を切らす私、去り行く初老、固まる観衆。その中で、ただ一人だけ、何事もなかったかのように、止まった時の中を歩く人物が現れた。その一つの大きな喝采で、人々は彼女の存在に気づき、自ら道を譲った。それは無意識の服従のようだった。
「お見事でした。ラナさん!!」
「…………クリス。」
「指南役さえ倒してしまうとは、まさしく。私、お友達として尊敬に値するばかりです!」
「……ナリタ・クリス!」
「はいっ!!!大親友クリスでございます!」
クリスはゆっくりと私の方へと歩み寄って、肩を貸してくれる。その顔は、本来私がするべきような満足な表情のままだった。まるで自分のことのように喜びに満ちた表情に、私は実感が湧かないばかりであった。
考えてみれば、クリスは嬉しいのだろう。私という親友が、また一つ壁を乗り越えたことを。それを友達として嬉しく思い、そして祝福してくれているのだと。
「お気に入りの木剣が壊れてしまいましたわね。これは新しく新調しなければ……!」
「……はぁ、はぁ──ごめん。」
「何を言っていますか?ラナさんが全力で楽しめたことに、私は嬉しく思うばかりですわよ!」
クリスの変わらない表情に、私も嬉しく思って、疲れた顔で笑い返す。そんな私たちのことを見て、観衆もようやく自我を取り戻し、どうしたらいいのかわからないように、自ら小声で感想を語り始めた。私への憧れや嫉妬や称賛も混じっていたと思うが、それら全ては剣術指南の地続きに在らず、彼らはまるで何事もなく、集合していた理由すらも忘れた様子で、その場で散り散りになっていった。
対して私は、近くのベンチに腰を下ろして、クリスから渡された水筒を飲んでいた。タオルを渡されて首を横に振ろうと思ったら、身体中が汗まみれであることを、その時理解した。
「よほど集中していたのですね。普通ならば、汗が目の近くを通ったあたりで、私は気づきますわよ。」
「私も………はぁ。自分が、ここまで集中できるなんて。」
身に覚えのない何かをしたような気持ちだった。一瞬の煌めきは普通、脳裏に焼きつくものだが、私の場合はそうではなく、実感が湧かない記憶を、ただただ記録として振り返っているような気分だった。今でも、やったことが信じられない。
そんなあやふやな気持ちを抱えていると、先ほど対面していた初老の男性ガイアスが、私の元へとやってきた。何用かなと、正直その巨体を見て身構えてしまう。
「身構えなくていい。君にこれを。」
私の前に差し出されたのは、洗練された木剣だった。本当に木で作られたのかと思うほど精巧な出来だった。それこそ、以前使っていた木剣にも引けを取らないほどの完璧な武器だった。
「君が使っていたものよりも、いささか劣るとは思うが。私の武器を打ち破った記念だ。」
「ありがとうございます……」
私は手でその木剣を受け取る。自分で勝ち取った勝利の証なのに、本当に今は実感が湧かない。
「私は退席した方がよろしいですか?」
「いや、構わない。それよりナリタと言ったか?君は。」
「はい、もしや父がご迷惑をおかけしていましたか?」
「…………。」
「そうですか。では不器用で情けない父の代わりに……その節は、大変申し訳ございません。」
ナリタ・テンマは、人間の中では勇者で英雄、その他からは邪悪な侵略者というイメージが強い。エルフルもそうだが、知っていれば苗字を聞くだけで、とても悪い印象を持たれてもおかしくない。そしてクリスはそれを理解した上で、自分の父親が犯した罪を謝罪することを当然だと思い、今のようなことを行っている。これが別に初めてではない。
「君が謝ることではない。戦争とは、両者の意見が合わなかった、たったそれだけで起こされるものだ。」
「ですが、私の父がやったのは侵略です。返り討ちになったのは自業自得として、それまで奪った命が無駄になることはいたしません。なので、娘である私が行うべきことは、せめて形だけの謝礼でございます。」
「その謝礼を受け取ろう。ミス・ナリタ。」
「クリスと呼んでください。ナリタは名乗りますが、全然好きじゃないので。」
「………世の中の娘は、父親の姓が嫌いか。」
ガイアスは目を閉じながら、どこか実感ありそうな声でそう言っていた。それをすぐにどこかへ飛ばしたのか、私の方へと向き直って、会話を始めようとした。
「見事な剣技だった。誰から?」
「初歩は父から、あとは自分です。」
「独学でそこまでか。素晴らしい研鑽だ。」
「貴方の方こそ、素晴らしい一撃でした。私は今まで、あれほど早い技を振られたことはありませんでした。」
「私も、久方ぶりに真剣な技を振るった。」
「………すごいですね。身体強化を使わずに。」
「この歳になると、負荷が強いアレが使えなくなる。私の場合、無理な使い方の時間が長かったせいもあってか、体がな。」
私は、その服の下にある傷を少し思い浮かべた。普通の獣人族ならば、六十歳を超えていたとしても身体強化は通常通り使える。それが使えない目の前のこの人は、おそらく相当な修羅を歩んできたのだと理解できる。
「ラナさんは、身体強化を使っての対戦をお望みでしたか?」
「そうだったのか?」
「いや、そうじゃなくて。気になっただけで。」
「……申し訳ないが、剣術においては、できるだけ身体強化を当てにしない方がいいと考えていてな。私のようになってしまうと、後が大変だ。」
「………剣術指南。後継者などは?」
「いない。娘に術は教えたが、別の道を歩んだ。」
「それは、お気の毒ですわね。」
「……初めはそうだった。だが──争いのない時代に、本来ここまでのものは必要じゃないとも、最近は思う。」
「………私の母も言っていました。」
母は、私に剣術はやってほしくない、みたいな顔をしていた。それは終始そうだった。しかし、それを踏まえた上で私の応援をしてくれた。優しくて、私のことを思ってくれているのだと実感するばかりだ。
「───だろうな。誰も争いを望まなくなった。生きる術さえあれば、それでいい。」
「…では、もし何かあったらどうしますか?」
「クリス。」
クリスに静止の声をかける。彼女の悪い癖だ。
「──そのときは私が出る。次の時代に火種を握らせるわけにはいかない。私は自分が不器用だということを承知している。だから、こんなことでしか他の者へと託すことはできない。」
「………貴方は不器用ではありません。貴方は、自分が思っているより、ずっと優しい方ですわ。ガイアス・フォン・フランドベレス様。」
「若者にそう思われるか。───プラノード、母君を大切に。」
ガイアスは別れ際に、私にそう言って去っていった。最後の言葉は、まるで親戚を思いやるような心が感じられた気がした。気のせいかもしれないが。
「ラナ先輩!」
「ラプ。」
どこかへ行っていたラプとプリエルが、私たちの元へと戻ってきた。タイミングの良さから、多分話が終わるまで待っていてくれたんだと思う。
「とりあえず、おめでとうございます!その、私、何が起こったかわからないんですけど!でも、ラナ先輩がかっこいい先輩だってこと、改めて思いました!」
「あら、ラナさん。惚れ直されたですって。」
「別に付き合ってないんだけど。」
私は三人と改めて話し合いながら、魔獣の換金が済むまでギルドで過ごした。と言っても、ただ話すだけだったわけだが。
換金を終えた私たちは、その日は疲れたということもあって、そのまま宿屋へと戻った。




