張り込み
翌日。
霧は昨日より濃く、肌に触れるほど冷たかった。
俺と彼女は、子供たちの“寝床”から十五メートルほど離れた場所に身を潜めていた。
古い配管施設の影。
崩れた空調ダクトの下に入り込むようにして、姿勢を低くする。
彼女は息をひそめ、俺の腕にそっと触れてきた。
「……本当に来ると思います?」
彼女が囁く。
「戻ってくるさ。あの寝床は、急造だけどしばらく使ってる形跡があった。
昨夜の物音も、ここから戻った可能性が高い」
「……うん」
彼女は息を潜める。
俺も同じように、霧の奥へと意識を集中させた。
沈黙が長く伸びる。
鳥の鳴き声もない。
街の音も、遠い空気の流れもない。
闇が霧に溶け、その中で世界が途切れたように感じる。
その時――
かすかな足音。
乾いた枝を踏む、小さな軽い音。
そして、その後ろに、もう一つ。
もう少し重く、でも焦りの混じった小走りのようなリズム。
俺と彼女は瞬時に目を合わせ、動きを止めた。
霧の奥に、ぼんやりと二つの影が現れる。
小さい。
どちらも、大人にしては背が低い。
特に前を歩く影は、肩幅も狭い。
フードを深くかぶっているが、輪郭からして中学生くらいだと分かった。
後ろに、もっと小さな影。
手を握って、必死についていっている。
「姉弟……?」
彼女がほとんど声にならない声でつぶやいた。
俺はうなずき、身をさらに隠す。
影の二人は、おそらく寝床へ向かっているのだろう。
だが、足取りに緊張が走っていた。
前の少女が、ふっと立ち止まり、周囲をうかがうように顔を上げた。
霧の中、わずかにその表情が見える。
疲労。
警戒。
そして、守るべきものを背負っている者の、鋭い意志。
後ろの弟が小さな声で言う。
「……おねえちゃん、さむい……」
「もう少し。ほら……すぐ、いつもの場所だよ」
少女の声も、限界ぎりぎりの優しさだった。
空腹と疲労で張りつめているのに、弟を安心させようとしている。
二人は寝床の前まで辿りつく。
少女がしゃがんで、湿った段ボールの布団を直し、
弟の小さな手を包み込んだ。
「ほら……今日は、ちゃんと……眠れるよ」
そう言った時、少女の手が震えた。
彼女のその震えが、なぜか胸に刺さった。
――もう、体力も精神も限界なんだ。
昨夜、必死で食料を取りに来た理由が、
その震えだけで分かってしまう。
弟は腹が減っている。
姉も本当は限界なのに、倒れられない。
それだけだ。
それだけで、行動の全てが説明できた。
俺は息を整え、ゆっくりと立ち上がる。
「……行くぞ」
彼女が小さくうなずく。
霧の向こうで、姉弟はまだ寝床を整えている。
無力で、細くて、
それでいて必死に生きようとしている背中だった。
俺たちは、二人に向かって歩き出した。
静かに。
脅かさないように。
逃げられないように。
そして――傷つけないように。
ここからが、ようやく“交渉”だ。




