痕跡
朝になった――
はずだった。
だが、空はまだ薄暗く、霧が濃すぎて太陽がどこにあるのか分からない。
第二拠点の壁は夜露で湿り、外の風が木材をなでる音だけが響いていた。
俺はほとんど眠っていない。
彼女がゆっくり顔を上げた。
「……朝、ですよね?」
声はかすれていた。
眠れない夜をそのまま引きずっている。
「朝だ。でも……静かすぎる」
静寂は“安全”を意味しない。
むしろ――昨夜のような気配があった後にこれだけ静かだと、“敵がまだ近くにいる”可能性が高いように思えてしまう。
彼女も理解していたのか、毛布を抱いたまま身を小さく震わせた。
「……ねぇ、昨夜の、あれ……本当に帰ったんでしょうか」
「分からない。だから――外を確認する」
このままの状態で生活するのは無理だ。
夜もろくに眠れない。危険を、排除する。
俺は簡易ジャケットを羽織り、壁に立てかけた鉄パイプを手に取る。
彼女は俺の動きを目で追い、すぐ立ち上がって身支度を整えた。
「わ、私も行きます」
「危険かもしれない」
「……でも、ひとりにしないでください。
外に出るなら、絶対に一緒がいい」
その声は弱くも、決意を帯びていた。
俺は深く息を吸い、うなずく。
「分かった。二人で行こう。ただしゆっくり、声を出さず、足音を立てないように」
扉まで移動する間も、
木材を踏む音でさえ恐怖を刺激した。
扉を開ける――その直前。
彼女の細い指が俺の袖をつまむ。
「……大丈夫ですよね?」
「大丈夫じゃなかったら、逃げる」
その言葉で、彼女はほんの少しだけ息を整えた。
ゆっくり――
扉を、数センチだけ開ける。
冷たい霧が一気に流れ込み、肌に刺さる。
外は静か。
風の音しか聞こえない。
「……行くぞ」
二人で一歩、外へ踏み出す。
地面は湿っていて、靴底がぬるりと滑りそうになる。
朝のはずなのに暗い。視界はぼやけ、誰かが隠れていても絶対に分からないような濃い霧。
俺は周囲を見渡しながら、ゆっくり歩く。
家の影。
井戸のほう。
倉庫との中間地帯。
どこにも人影はない。
だが――
「……ここ、見てください」
彼女が小さく囁いた。
指差した地面には、
何かの痕跡 があった。
足跡だった。霧雨で土がぬかるんでいた為、
くっきりとした足跡がついていた。
ひとつではなく、二つ。
「……二人、か?」
「……っ」
彼女は肩を震わせ、無意識に俺に寄った。
「まだ近くにいる可能性がある。
気配を消して、周囲を確認しよう」
声を抑えすぎて喉が痛くなる。
俺たちは第二拠点の周りを慎重に歩き、
罠や物資が荒らされていないか調べる。
誰かが階段を踏んだら、パイプがずり落ちて大きな音を立てる仕組み。
侵入の“前兆”を知るためのセンサーみたいなものだが、作動した形跡は無かった。
上手く作動しなかったか、気付いて避けられたか?
けれど――
扉の前の床にも、足跡。ぬかるんだ土が靴につき、
床に痕跡を残していた。
何かを探っていたのか。
扉をそっと押したのか。
俺は息をのむ。
「……やはり来てた。確実に扉の前まで」
「……っ……どうしよう……」
「戦う必要はない。
まずは“相手が誰なのか”知ることだ」
彼女の手が、俺の腕に寄り添ったまま離れない。
恐怖のせいなのに、
その温度が妙に現実味をくれる。
霧の街は、今日も静かに息を潜めている。
俺たちの知らない“誰か”が
この周辺をうろつき、
足跡を残し、
扉に手をかけていった。
まだ姿が見えない敵。
だが確実に――
“すぐそこ”にいる。




