夜
倉庫の奥は、思った以上に広かった。
暗闇の中で、俺は持ってきたランタンに火を入れた。
淡い光が、埃の粒子を照らしながら円を描く。
その柔らかな灯りの中に、彼女の姿がじわりと浮かんだ。
「……暗いですね」
「電気が死んでるからな。しばらくはこれで我慢しよう」
「うん……。火の光を見てるだけで、少し……落ち着きます」
薄い光の下でのその声は、少し震えていて、けれど必死に平静を保とうとする強さを感じた。
俺は、暗闇に紛れて息をのむ。
その強さと弱さが混じった横顔が、今までで一番近く感じた。
――近すぎる。
そう思った瞬間、自分の心臓の鼓動がやけに大きく響いた。
荷物を整理して、倉庫の隅に耐火シートを敷く。
折り畳みベッドを広げ、寝袋を二つ並べて置いた。
ベッドといっても簡易的なものだが、床よりは格段にマシだ。
「すごい……ちゃんと“部屋”みたいになってる」
彼女の声には、不安の中にも少しだけ安堵が混ざっていた。
「ここなら、雨も風も防げる。
夜の冷え込みさえしのげれば……寝られる」
「そうですね……」
言いながら、彼女は静かにその場に座り込む。
ランタンの灯りが彼女の髪に淡く反射して、妙に柔らかく見える。
俺は物資の確認をしながら、ちらりと彼女を見てしまう。
――なんでこんな状況で、こんなに意識してるんだ。
壊れた世界の真ん中で、こんな感情を抱いている自分を、少しだけ恥じた。
けれどそれでも、彼女のか細い息づかいが、鼓膜の奥まで染みこんでくる。
彼女がぽつりとつぶやいた。
「……ねえ、もし……ここがだめになったら……どうなるんでしょう」
「そのときは、また移動する」
俺は落ち着いた声を作って答える。
「物資があるうちは、生き延びられる。
きっと何とかなる」
「……そう、ですよね」
安心したように微笑む。
その表情に、胸の奥がきゅっと縮む。
頼られている。
それが苦しくて、それなのに嬉しい。
矛盾した感情が喉の奥にせり上がって、言葉にできない。
彼女は膝を抱え、ゆっくりとランタンの光を見つめた。
「……ひとりじゃなくてよかった」
そのひと言で、心臓が不意に跳ねる。
「……俺も」
それしか言えなかった。
ほんとうは、もっと何か言えるはずなのに。
やがて夜は深くなり、倉庫の外で冷たい風が低く唸る。
そのたびに彼女はわずかに肩を震わせた。
「冷えるなら、寝袋に入って。
明日のために、少しでも休んだほうがいい」
「……うん」
彼女は寝袋に身を沈めると、こちらを見上げた。
薄闇の中で、光が瞳に映っていた。
「……隣、いてくれますよね?」
「いるよ。すぐそばに」
「……ありがとう」
目を閉じると、長いまつ毛の影が頬に落ちて、
その静かな寝息が、すぐ近くから聞こえてくる。
距離は近い。触れれば届く。
こんな状況でなければ、絶対にこんな距離にいないはずの相手。
俺は視線をそらし、寝袋の中で呼吸を整えた。
――いまは守ることだけ考えろ。
欲など考えるべきじゃない。
崩れた世界のただ一夜、
灯りひとつの倉庫の中で、
俺は彼女の寝息を聞きながら目を閉じる。
そして、今まで一人きりで過ごしてきた、虚しい夜を思う。
こんな夜がいつまでも続けばいいのにと、俺は思ってしまっていた。
・・・このあとがきの下にある『☆☆☆☆☆のマーク』を、
ポチッと押すと、あなたの歯が少しだけ輝きます。
押さないと、机の上のペンが一本行方不明に。




