母なる水に還る
ねえ、聞いてくれる?
あたし、川に捨てたの。
子供を。あたしのお腹にいた小さな命を。
彼に認知してもらう気なんてサラサラなかった。
子供ができたら別れるって、そういわれてたから。
お金がなかったから、堕ろすのも自分でやったんだ。
わざと重たいものを持ったり、冬に水風呂に浸かったり。
ネットで知ったサプリとか飲んで、流産するようにしたんだ。
太ったってごまかすのも難しくなってきたころに、その子は外に出てきてくれた。
それで、川に――覚えてる? 子どものころよく遊んだ、赤い小さな橋の下。
あたし、そこに行って、あの子を流したの。
大雨の晩だった。川は増水して、すごく荒れてた。
投げ入れた白い袋は、すぐ濁った水に呑みこまれていった。
あっけなかったよ。
一応、川に手を合わせてね。家に帰った。
これで終わったって、ほっとしてた。
でも――違ったの。
終わらなかった。
それが始まりだった。
****
最初は、トイレだった。
夜中、トイレに行ったら、便器に浮かんでたの。
白っぽくて、しわしわで、小さくて。
――あの子だった。
「ぎゃっ!」て叫んで、思わず水を流した。
水音と一緒に、すぐ消えて行ったよ。
心臓が止まりそうだった。
幻覚かと思ったけど――次の日も出た。
昨日より形が崩れてた。
色も、薄くなってた。
その次の日も。
また、その次の日も出た。
流すたびにね、どんどんバラバラになっていくの。
小さな手が、ただの肉の塊になって、
骨だったものが、砕けて小枝みたいになって。
そのたび、あたしは目をつむって、水を流した。
明日からは出ませんようにって、お願いながら。
しばらくしたら、トイレには何も現れなくなった。
ホッとしたけど、終わらなかった。
あの子は、別のところに出るようになった。
今度は洗面台。
歯を磨こうとしたら……蛇口から髪が出てきたの。
細くて、色も薄くて、短くて――赤ちゃんの毛みたいな頼りない髪が何本も。
悲鳴も出なかった。のどがひきつって、息が止まりかけた。
あたしは水を目いっぱい出して、髪を押し流したわ。
次は、爪だった。
魚のうろこみたいな、ちっちゃな爪。
その次は、皮膚。
ふやけた薄い皮が、湯垢みたいに次々と蛇口から出てくるの。
目、も出てきた。
……あれは、忘れられない。
流しても、排水溝のところで一度詰まってさ。
たまった水の底で、濁った黒い瞳が、じっとこっちを見てた。
あたし、泣きながら、割りばしでつつき落としたよ。
どんどん細かくなる。
指、足先、肉片、内臓、骨片……
あたしは毎日、水を出しては、それを流した。
もちろん、アパートの管理人さんに貯水槽に異常がないか聞いたよ?
蛇口に浄水器だってつけた。
でも、意味なかった。
砂つぶみたいになるまで、あの子は出つづけた。
三ヶ月くらいかな。ようやく蛇口から何も出なくなった。
次はどこに現れるかビクビクしてたけど、どこにも出なくなった。
ようやく終わったんだって、安心した。
でもね……その頃から、あたし、お腹が膨らんできたの。
生理が来なくなった。
気持ち悪くなって、吐いたりもした。
妊娠検査薬を使ったら……陽性だった。
思い当たるような相手なんて、いないのに。
そういうことだって、してないのに。
なのに、胎動まである。
動いてる。中で。確かに。
あの子だよ。
戻ってきたんだよ。
……ねえ、考えてみて。
人間って、水がなきゃ生きていけないでしょ?
あの子は、何度も流されて、砕けて、粉みたいになって――
そのまま水と混ざったの。
もう、あの子だけを取り除くなんてできない。
水は飲む。浴びる。吸い込む。
食べ物にも、空気にも、必ずある。
それを完全に避けるなんて、絶対ムリ。
家の水道を使わなくても意味ない。
世界中のどこにでも、水は繋がってるんだから。
どこで口にしたかなんて、分からない。
知らないうちに、飲んだ。吸い込んだ。
そして――あの子は、またあたしの中に帰ってきた。
ねえ……教えて。
今度はどこに棄てればいい?