第4話: 掴みかけた灯火
オルディス統一暦1012年、セラフィス諸島連邦とヴァルディア王国の間で繰り広げられている戦争は、激しさを増しつつあった。開戦から1年余り。国境付近や海上での小競り合いが続く中、両国ともに決定打を欠き、膠着状態が続いている。
カイル・ロイガンは十五歳の若さで、大統領補佐官兼警護隊員として日々を忙しく過ごしていた。彼はスラムで育ちながらも、大統領エドガー・マリネスに見いだされ、官邸で国政にも触れるようになっている。少年の頃から抱いていた「国を変えたい」という思いは、戦争という現実の前で、さらに強い決意となり彼の胸を熱くした。
夕刻の官邸は、焦燥感と重苦しい空気に包まれていた。各地から届く戦況報告は依然として芳しくなく、物量に勝るヴァルディア軍が、徐々に海上封鎖を強めるかもしれないという噂もあった。海軍が誇りのセラフィスにとって、海の支配を失うことは国の死活問題に直結する。
カイルは官邸内の廊下を急ぎ足で歩きながら、戦況報告をまとめた書類を抱えていた。大統領の指示を受け、新たな戦略会議を行う準備が進められているのだ。だが、その表情にはどこか迷いが見え隠れしている。まだ十五歳の彼が、はたしてこんなにも大きな責任を担うべきなのか――そんな疑問が心をよぎるのだ。
「……大丈夫。自分が選んだ道だ」
小さく呟いて気持ちを奮い立たせ、会議室の扉を開けると、そこには先に到着していた高官たちの姿があった。カイルは一礼し、テーブルの端に腰を下ろす。ほどなくして、大統領エドガー・マリネスが入室し、部屋の空気は一層張り詰める。
「諸君、集まってくれて感謝する。現状の報告を聞こう」
エドガーは静かながらも芯のある声で口を開いた。高官たちは順番に立ち上がり、戦況を説明していく。東方の海岸線での衝突が増えていることや、一部の島々で補給物資が不足してきていること、海軍の疲労が溜まってきている現状など、どの話も苦しいものばかりだ。
「王国は海軍力こそ我々に及ばないが、長期戦に持ち込み、陸戦を誘導しようとしている節があります。補給路を狙われれば、わが方も甚大な影響を受けるでしょう」
その言葉にエドガーは深く息を吐いた。カイルも胸が苦しくなる。国民の生活はすでに限界に近い。もし、長期戦で連邦が追い込まれる事態になれば、スラムや農村の人々がさらに苦しむことになる。
「我々には手の打ちようがないのか……」
エドガーの呟きを聞き漏らさなかったカイルは、思わず口を開いた。
「大統領、失礼を承知で申し上げます。私の提案は、海軍を使い集中して敵の補給路を叩くことです。王国軍が海を越えるためには、どうしても船や港が必要となります。そこを我々が先に奇襲し、打撃を与えれば、敵の侵攻を遅らせられるかと」
会議室の面々は、突然の若者の発言に一瞬驚いた様子を見せたが、大統領は興味深げな表情を浮かべる。カイルが語る提案は、単純な力押しではなく、王国軍の補給と輸送に焦点を当てた戦略だった。
「なるほど。確かに、敵が物量で攻めてくるなら、その物量を海で封じ込めるのが早い」
エドガーは頷きつつ、会議の参加者に目を向ける。高官たちは若干戸惑いながらも、カイルの言葉に納得するように小さく頷いていた。
「ただ、それを実行するためには、我々の海軍が積極的に外洋へ出なければなりません。海防を手薄にするリスクもある」
そう指摘したのは、海軍提督の一人だった。カイルはその言葉にも即座に答える。
「だからこそ、警護部隊や陸軍の一部を沿岸防衛に回し、海軍を攻撃艦隊として集中運用できるようにするのです。ヴァルディア軍がこちらに渡ってくる前に、敵の港を狙うべきだと考えます」
その瞬間、場には緊張が走る。攻撃的な戦術をとることは、それだけリスクも大きい。しかし、国が追い込まれている状況で、戦局を打開するには、一歩踏み出す勇気が必要でもあった。
エドガーは深く考え込んだ末、意を決したように口を開く。
「カイル・ロイガン。君の提案を検討しよう。このまま守りの戦術ばかりでは、国民が疲弊する一方だ。海軍提督とも協議し、具体的な作戦をまとめてほしい」
「……承知しました。全力を尽くします」
カイルはまさか自分の意見がこんなにすんなりと受け入れられるとは思わず、戸惑いと高揚の入り混じった感情を覚える。だが、それだけ国が追い詰められているという事実が、彼の胸を苦しくさせた。
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夕刻、会議を終えたカイルは官邸の庭を一人歩いていた。遠くからは大砲の試し撃ちらしき音が響いてくる。戦争の足音は日に日に大きくなっている。もし、この国が負けるようなことがあれば、スラムの人々はどうなるのか――あるいは自分のような子どもたちが再び悲しむことになるのか。
「俺は、守れるはずだ。やるしかない……」
自分に言い聞かせるようにつぶやいたカイルの背後から、軽い足音がした。振り返ると、先輩の警護隊員サミュエルが苦笑いを浮かべて立っている。
「おまえ、今日はすごかったな。あの場で大統領に作戦を提案するなんて、普通はやらないぞ」
「すみません、出過ぎた真似かと」
カイルが頭をかくと、サミュエルは声をあげて笑った。
「いや、あれでいい。こういうとき、年若い者が思い切った提案をするのは大切だ。大統領も嬉しかったはずさ。……でも、無理はするなよ。おまえはまだ十五だ」
その言葉にカイルは頷きながら、胸の奥で小さな決意を燃やした。自分がやらなければ、誰がやるのか。この国を苦境から救えるとしたら、それは若くても行動できる人たちだ。
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一方、ヴァルディア王国では将軍アーサー・グリントが海を渡るための軍艦の準備を加速させていた。だが、貴族たちの思惑で資金が回らず、兵士の訓練も不足気味と聞く。そんな内部事情がこの戦争を長引かせ、セラフィスをじわじわと追い込む作戦の背景にあるのだろう、とアーサーは感じていた。
「もっと素直に動ければ、早々に決着をつけられるというのに……」
アーサーは苦々しく思いつつ、それでも国家の命令には逆らえない立場にいる。世界を覆う戦火の運命は、すでに避けられないものとして動き始めている。若きカイルは補佐官として、アーサーは将軍として、それぞれの道を突き進むしかなかった。
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やがて、セラフィス諸島連邦ではカイルの提案を中心とした海軍の作戦計画が現実味を帯び始める。ヴァルディア軍が渡ってくる港を奇襲し、物量で押される前に防衛線を形成する作戦だ。果たしてそれがどれほど通用するのか――多くの士官が懐疑的な目を向ける中、カイル自身もこの大博打に不安を拭えない。
しかし、今の連邦がとりうる道は多くはない。少年の提案が、国の命運を握る一手となる可能性がある。それは国を救う光か、それともさらなる混乱を招くのか。交わるはずのなかった二つの視点が、オルディス統一暦1013年を前に、戦火の中で激突の時を迎えようとしていた。
(第4話 完)




