6.古い記憶と新しい気持ちで、心臓がどうにかなりそうです!
留学していた時は、毎日のように雀の木で食事をとることが多かったレイディルは、その日もいつも通り食事をしていた。人が混みあう昼の時間帯だ。レイディルは一人で食事をとることが多いが、複数人出来くる人も多く店内は常に人の声で溢れている。
ドアベルがなり、店主が入ってきた人物に声をかける。
この昼間から白いフードを頭の上からすっぽりと被った出立ちのやや背の低い客を、レイディルは珍しさからなんとなく様子を視界の端で見ていた。
「いらっしゃいー!おや、今日は一人かい?」
「は、はい!い、いいでしょうか?」
「いいよいいよー。今日はちょっと込んでるから相席になっちまうが、大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です」
若干緊張している様子の客を不思議に思っていると、店主がこちらを向いた。
「おーい、そこのにいちゃん、悪いがこの子と相席してくれ」
そう声をかけられて、レイディルは軽く頷いた。
店主に頭を下げて歩いてきた小さな客は、レイディルのテーブルまでやってくる。ひどく怯えた顔をしており、レイディルは自分はそんなに怖く見えるのだろうかと若干切なくなる。
「あ、あの、失礼します」
「どうぞ」
変わってるな。やけに緊張してる?
とても声をかける気にはなれず、テーブルはしんとした状態だ。店の中ではかなり浮いている部類だろうななどと思う。
そんな静かなテーブルに店主の明るく大きな声が響く。
「ほら、にいちゃん、注文の日替わり定食だ!」
カツンとテーブルに音を立てて置かれた皿には湯気が立つ。そこには美味しそうな野菜炒めが乗っている。
「あぁ、ありがとう」
店主にお礼を言い、レイディルはカトラリーを手に取る。
小さく「いただきます」と呟き、食べ始めたところで、ものすごく視線を感じた。
何か、とても見られてる気がする。というか、この子、注文してないよな?
あまりに視線を感じて無視をすることができず、レイディルは諦めて声をかけた。
「注文しないのか?」
「え!あ、えーっと、ど、どうしたらいいんでしょうか」
困った顔をする相手に、レイディルの方が首を傾げた。
注文のしかたも知らないなんて、どこかのお嬢様か?
「何が食べたいんだ?」
「え、あ、あの、……それと同じものを」
そう言ってレイディルの目の前にある野菜炒めを指さす相手に、レイディルは念の為聞き返す。
「これ?これは今日の日替わり定食だが、それでいいのか?」
「はい!」
笑顔で頷いた相手に、レイディルは軽く頷いてから手を上げる。
「店主!このお嬢さんに日替わり定食1つ!」
レイディルの声が聞こえたらしく、カウンターの向こうから了解した店主の声が聞こえた。
「す、すみません。ありがとうございます」
そう言って頭を下げた相手に、レイディルは軽く頭を振る。
さっきの店主との会話から、初めてではないみたいだが。いつもは誰か違う人と一緒に来るのか?
そんな疑問はあったものの、レイディルは目の前の食事に専念することにした。
するとしばらくして店主がもう一度日替わり定食を持って現れる。
「はい、おまちどうさまー本日の日替わり定食だよ」
目の前に置かれた皿を見ると女の子は満面の笑みを見せる。
「わぁ!ありがとうございます!」
嬉しそうだな。よっぽど食べたかったのか?
あまりじっとは見ないようにしながらレイディルは目の前のの様子を少し視界の端で観察した。綺麗な所作で食べる様子に、やはりどこかの令嬢かと思う。
「美味しい」
呟くようにそういった彼女は、ふと顔を上げるとレイディルを見た。
「美味しいですね!」
突然向けられた言葉と笑顔にレイディルは心臓が跳ねた気がした。
「あ、あぁ、そうだな」
焦った声は少し裏返った気がしたが、特に相手は気にした様子がない。嬉しそうにしながら目の前の皿に集中している様子に可愛いなと思う。
定食ひとつでこの笑顔か。いいもの見た気分だな。
あまり話かけない方がいいかもと思いながら、レイディルはなんとなく声をかける。
「今日は野菜炒めだが、煮魚の定食も美味しいぞ」
そういうと相手は嫌な顔もせずにレイディルに視線を向ける。
「あ、シャチオンの煮付けは以前食べました!とても美味しかったです」
とてもいい笑顔を返してきた相手に、レイディルの方が声を失う。
……、可愛すぎるだろ。
「どうかされました?」
こてんと首を傾げた相手に、レイディルは首を横に振るしかなかった。
「い、いや、何でもない……」
留学時に彼女に会ったのはその一回だけだった。レイディルはそれをとても残念に感じていた。
***
そんな話をされて、ミトセリスは古い記憶が蘇る。
「あ、あれって、レイディル殿下だったんですか⁉︎」
驚いて声を上げたミトセリスに対して、逆にレイディルの方が不思議そうな顔をする。
「覚えているのか?」
「はい!で、でも、あの方はメガネをかけていらっしゃって……!」
「あの頃は本を読む機会が多かったから常にかけてたな」
「そ、それじゃあ……、あの時お金を払ってくださったのは!」
「あぁ、俺だな」
その答えにミトセリスは絶望の声を上げる。
「ご、ごめんなさい!すみませんでした‼︎帰って兄に言われるまで気づかなくて‼︎」
猫被りを止めたミトセリスはついつい大きな声がでてしまうのだが、そんなことを気にすることも忘れてしまう。
頭を抱えたミトセリスに対して、レイディルは笑う。
「お金の払い方も知らないんじゃないかと思って一緒に払って行って正解だったな」
「……、実はあの時お金を持って行っていませんでした。あの頃の私はお金の存在すら理解してない上に、まだ全然街とか行ったことなくて。今もそうですけど……」
思い出すと恥ずかしくてたまらない。
「また兄にばかにされたので、悔しくて1人でお店に行ってみたんです。私だって1人で行けるんだって言いたくて。けど、良く考えたらいつもはニーナが一緒で。支払いとかもニーナが全部やってくれてて。本当に、レイディル王子に言われたように、私は世間知らずな未熟な人間で……」
焦りと恥ずかしさで早口で話をするミトセリスはだんだんと言っていることが分からず混乱してくる。
「俺がいつそんなことを?」
「え?だって、私のような人を国外へ出すのは心配だろうって。そういう意味では?」
そんなミトセリスの言葉に、レイディルが破顔して声に出して笑う。今までにない笑い方に、ミトセリスはどきまぎする。
「どうしたらそう取れるんだ?」
まだ笑ったままそんな風に言うレイディルに、ミトセリスは恥ずかしさと混乱が増えた。
「え、えぇ⁈だって、そうじゃないんですか⁈」
「違う違う。あれは、あなたみたいに可愛い人を国外につれていっては、悪い男がすぐに寄ってきて大変だろう?だから、グラークス殿も外へは出したがらないんだろうと……」
レイディルがあっさりとそんな風に言うが、ミトセリスはとてもじゃないが一部の台詞を聞き流せない。
か、可愛い⁉︎
「な、何をおっしゃって……」
誤魔化そうとしたミトセリスに対して、レイディルが急に真剣な表情を見せてくる。
「先日の舞踏会では皆があなたに注目していた。めったに出てこない銀の花が現れたと」
そう言ったレイディルの腕が静かにミトセリスの方に伸びる。そして、ミトセリスの銀色の長い髪を一房優しく掴む。
か、髪を、触られてる……。
レイディルの細く長い指が自分の髪に触れている状況にミトセリスはどうしていいかわからない。とにかく心臓の音がうるさくなっている気がして、レイディルに聞こえないように祈る。
鎮まれ心臓ー‼︎
「……他の男にみすみす渡す気はない」
地面を擦るような音がしたと思ったら、視界の中のレイディルがさらに近くなった気がして焦る。
「レ、レイディル殿下……?」
「弟にだって」
あまりにも真剣な声色とあまりにも近い距離に、思わずミトセリスはレイディルを少しでも遠ざけるために腰を引く。
「レ、レイディル殿下!ち、近いです‼︎」
そんなミトセリスの考えを知ってか知らずか、レイディルは怯む様子はない。しかも顔は相変わらず真剣なままだ。さらにじっと見つめられてミトセリスはどうしていいかわからない。
「俺にも、ミトスと呼ぶことを許して頂けますか?」
「な、何で当然の丁寧口調!っていうか、近いですから‼︎許しますから‼︎」
早くこの状況から回避するためには同意しかないと悟ったミトセリスが声を上げる。するとその答えを聞いたレイディルは、心底嬉しそうな顔をする。心の底から喜んでいるその笑顔に、ミトセリスの方が何かに打たれたような気分になった。
「ありがとう、ミトス」
そう言うとレイディルは触れていた銀色の髪の一房に軽い口付けを落とす。
な、なんなの!落ち着け心臓‼︎笑顔も反則‼︎美人の笑顔は強い‼︎
スッと髪から手を離すとレイディルがミトセリスから少し距離を取ってくれたため、ようやくほっと息を吐いた。
空はあっという間に橙色の領域が増えて少しずつ藍色が迫ってきていた。
「さすがに冷えてくる。王宮に戻ろう」
「は、はい……」
「明日は朝から迎えに行く」
「え?」
レイディルの言葉の意味が理解できずミトセリスは聞き返してしまう。
「明日から帰国の日までは仕事をしなくていいように終わらせてきた。できる限りあなたと一緒に時間を過ごしたい。本当は今日の朝には終わる予定だったんだが……、仕事量を見誤った」
あぁ、だから遅かったんだ。
モヤモヤしていたところが溶けていき、ミトセリスの心の中は霧が晴れていくような気がして少し口元が緩む。しかし次のレイディルのセリフでミトセリスはどうしていいかわからなくなる。
「覚悟しておいて」
「え?」
「もう、逃がさないから」
とても爽やかに微笑みながらまるで食い違う言葉を言うレイディルに、ミトセリスは全く頭がついていかなかった。