朝だから
疲れていたからだろうか、林さんのことを気にしていたわりにぐっすり眠れた。
(林さんはあの後どうしたかな。)
ボーっと考えていると、
トントントンッ。
部屋のドアからノックする音が聞こえた。
(祖父か林さんだろうけど・・朝から何の用事だろう。)
「?・・はーい。」
身体を起こして返事をすると、控えめにドアが開き林さんの姿が見えた。
「杏ちゃん、おはようございます。」
「あ、おはようございます。」
つられて敬語で挨拶を返す。
林さんが部屋に入り窓を開け始めたので、太陽の光と心地良い朝の風が入ってくる。
爽やかな目覚めではあるが、まだ顔を洗ってないのでよだれの跡はついてるかもしれないし、髪もだいぶボサボサで全体的にひどい状態なので正直林さんには早く部屋から出て行ってほしい。
手櫛でなんとなく髪を整えながら
「林さん、どうしたの?何かあった?」と訊く。
すると林さんはまっすぐこちらを見て
「朝だから?」
と首を傾げて不思議そうに答えた。
「そっかぁ。朝だもんね・・。」
よく分からないが、祖父も窓を開けては「今日も気持ち良い風じゃ」と日課のように言っているのでその影響かもしれない。
それはどうでも良いので、とりあえず早く身支度を整えたい。
「林さん・・リビングに行こっか。」
林さんはまだドアに近い所にいるのでそのまま部屋を出てリビングに向かってもらおう。
しかし、林さんは微笑むとなぜかわたしの座っている布団の横に来てしゃがみ、両手を差し出した。
昨日似たような光景を見た気がする。
(これはもしかして昨日と逆?)
急いで手のひらを布団でゴシゴシと拭く。そして恐る恐る手を乗せ軽く手を握ると、林さんはバランスを崩さないようにゆっくりとわたしを立たせてくれた。
昨日と同じように目が合う。
「あ、ありがとう。」
思わず目を逸らすとヨレヨレのTシャツと短パンという自分の格好が目に入ってきた。
林さんは気にしないだろうけど綺麗な林さんと向かい合うといたたまれない。
(しかも、この流れはもしかして・・)
そう思っているとやはり林さんは片手を離し、片手はつないだままで「よし。行こ!」と言い歩き始めた。
「待って!」
思わず声が出て手を離してしまう。
もう手遅れかもしれないが、寝起きの姿はこれ以上見られたくない。
林さんはビックリした様子でこちらを見ている。
しかし離された手に視線を落とすと少し悲しそうな顔をした。
夜の姿だったら耳が垂れていただろう。
「わーーー!!ごめん!やっぱり一緒に行くよ!」
恥ずかしい気持ちより林さんに悲しい顔をさせた申し訳なさが勝ち、急いでまた手をつなぐ。状況を把握できていない林さんは目を丸くさせたが、焦っているわたしを見て可笑しくなったようで「ふふっ」と微笑んだ。
この微笑み方に弱いわたしは、手は握ったまま顔は林さんに見られないように逸らしながら歩き始めた。
「お~。杏ちゃん、おはよう。さっそく林さんと仲良しだね。」
リビングへ行くと手をつないだ二人を見て祖父がニコニコしながら言った。
こちらの葛藤も知らず呑気なものだ。
林さんは『仲良し』という言葉を知っているのか、なぜか少し誇らしそうに胸を張って握った手の力を強めた。
しかしリビングに着いたからなのか、『仲良し』に満足したからなのかは分からないが、その後すぐに手を離したので、その隙にその場を離れ小走りで身支度を整えに行った。
またリビングに戻ると、祖父と林さんで朝ご飯の準備をしてくれていた。
顔も髪も格好も、短時間のわりには頑張って整えて来たのに、林さんは案の定どうでも良さそうで昨日の残りのシチューしか見ていない。
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お昼前になると、母からの電話が鳴った。
「杏ちゃん、昨日ありがとうね。そっちは変わりなかった?おかげで仕事も終わってゆっくり休めたからもう少ししたらおじいちゃんのお家に行くね。お昼に何か食べたいのある?」
連絡を受けると祖父とわたしは林さんが使った食器を片付け、林さんにもこれからの予定を伝えた。
「少しの間また奥の部屋にいてもらうけどごめんね。あと、わたしは今日お家に帰るけど、またすぐ遊びに来るから。」
林さんは「ほうほう」と頷きながら話を聞いている。
そして電話から数十分後、母が到着した。
窓から母の車が見えると林さんはすぐに廊下へ出た。祖父とわたしの話をちゃんと覚えていて、奥の部屋へ向かうところだ。
林さんはとくに振り返ることもなくその場から立ち去った。
母には美味しいパン屋さんに寄ってもらうようお願いしていたので、たくさんの総菜パンが今日の昼食だ。シチューもまだ余っているが、林さんが気に入ったようなので残しておくことにした。
並べられた様々な種類のパンを見てると、もしこの場にいたら「これは何?」と訊きながら吟味するであろう林さんを想像してつい笑顔になる。今度一緒にパン屋さんに行くのも楽しそうだ。
笑顔になったわたしを見て、「たくさん買ってきて良かった。」と母も嬉しそうにしている。
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昼食を終え少しゆっくりすると、今日は早めに自宅に帰ろうと母に提案した。
林さんが一人で寂しい思いをしなくて良いように、今わたしが出来る唯一のことだから。
と言っても、林さんが奥の部屋で寂しい思いをしているかは分からないので自己満足でしかないのだが。
「それじゃあ、お父さん。帰るけど何かあったらすぐ連絡してね。」
「おじいちゃん、また来るね。腰、気を付けてね。」
まだ外は明るくいつもより早い時間ではあるが、車の助手席に乗り込み祖父に手を振る。
次はいつ来られるだろうか。
これから帰るというのに、もう次会うことを考えながらそっと目を閉じた。