もうすぐ夜
祖父もわたしも安心しきっていて、全く考えていなかった。
「「ど・・どうする?」」
声は重なったが、目が泳いでいるので視線は合わない。
そもそも林さんはいつから姿が変わるのだろうか。もう夕方だが、何か条件があるのだろうか。
「何時までなら大丈夫か分かる?」
「え~と、まだ大丈夫なはずじゃ。もっと暗くなって寝るような時間で・・。」
祖父は不安そうな顔をしながら答えた。
夜までに母とわたしがこの家から離れるのが1番確実で良いと思うが、今から自宅に帰るにはそれなりの理由がいる。
ギックリ腰になった祖父の為に泊まる予定なので「なんか急に家に帰りたくなったな~」なんて言っても意見が通るわけがない。
「林さんに、静かにしててねってお願いしてみたらダメかな?」
夜の姿で無言になれるのかは分からないが、今の姿で出来ているなら夜も可能かもしれない。わたしの提案で林さんにお願いしてみることにした。
祖父が動く度に心配した母の視線を感じるので祖父は必要以上に動けない。
祖父には母の足止めをしてもらい、わたしはトイレに行くふりをして廊下に出ると、そのまま静かに奥の部屋へ向かった。
・・カチャ
・・・キ~
林さんがいるはずなのだが、部屋の中はシーンとしていて声を出すのをためらってしまう。
静かにゆっくり足を進めると、ドアから死角になるように家具で作られた狭いスペースに林さんがいた。姿勢よく椅子に座り、微動だにせず目の前の壁をじっと見つめている。
凛としていて作り物のように綺麗だが少し怖くて背中が冷たくなった気がした。
「林さん」
小声で名前を呼ぶと、急にスイッチを入れられたロボットみたいに反応しこちらを見た。
「・・杏ちゃん!」
わたしを見つけ嬉しそうに微笑む林さんを目の前にしたら心臓のあたりがキュッとなった。
罪悪感かもしれない。
わたしは好きなことをしながら家族と過ごしていたのに、林さんは一人でずっと黙ってこの椅子に座っていたのかと思うと心が痛む。
とてもじゃないけど「明日の朝までこのまま声も出さずここにいてくれる?」なんて言えない。
「林さん、ごめんね。もう少しだけ待ってて。」
そう伝えると、また静かに移動し祖父たちの元へ戻った。
作戦変更だ。
リビングのソファに座ると母が見てない隙に祖父とアイコンタクトを取り、首を横に振ってダメだったことを伝える。
作戦変更だが他に案があるわけではない。
やはり自宅に帰る理由があればと考えるが思い浮かばない。
祖父が何か思いついたかもしれないと淡い期待を抱きチラリと見るが、険しい顔で腕を組んだり首を傾げたりしている様子を見るとまだのようだ。
母は鼻歌を歌いながら機嫌よく食器を洗っているが、わたしと祖父は作戦会議すらできないまま焦るばかりだ。
♪~♪
その時、想いが通じたのか母のスマホが鳴った。
母は通話に出ると同時に仕事用のカバンから書類を取り出し、こちらに背を向けながら話し始めた。
仕事の電話だ!
今がチャンスとササっと祖父の隣に移動すると小声で話しかけた。
「おじいちゃん、何か良い案あった!?」
「いや!考え中じゃ。杏ちゃんは!?」
「・・わたしもまだ。」
「そっか・・。」
お互い残念そうに言う。
「わたし、ダメもとで家に帰ろうってママに言ってみよっかな。」
「ママがすんなり納得するかな?それか、もうママにも林さんのことを話してみるのはどうだい?」
「ん~、それが良いかな?けどなぁ・・」
コソコソと話し合っていると母の声が耳に入ってきた。
「それじゃあ、またかけるから。」
電話が終わるようなので何事もなかったかのように祖父から離れ定位置に戻る。
結局話は進まなかった。
「お仕事、大丈夫だった?」
祖父がまた分かりやすく考え込んでしまったので、わたしは電話を終えた母に声をかける。
何気なく声をかけただけだったのだが、正解だったようだ。
「あ~、仕事でちょっと。明日会社に行こうと思ってたけど今から仕事した方が良さそうかなって・・。けど今会社に行ったら遅くなりそうだし、どうしようかな・・。」
思わず「え!!」と少し大きめの声が出る。
またもチャンス到来だ。
祖父も同じことを思ったようでガタッと椅子の動く音がした。
母が単純に仕事をするのが嫌で渋ってるわけじゃないのは知っている。
仕事は好きだが祖父とわたしのことが心配で悩んでいるのだ。
「ママ、わたしがおじいちゃんといるからママは安心してお仕事に行ってきて。ママが作ってくれたシチューがあるし、お米くらいは炊けるから大丈夫だよ。それで、遅くなるなら今日は仕事終わったら自宅でゆっくり休んで明日の昼過ぎにでも迎えに来てよ!」
「うん。それが良い!杏ちゃんもいるし、私も杏ちゃんもあとご飯を食べて寝るだけだから大丈夫。この春から仕事を増やして張り切っていたところじゃろ?精いっぱい頑張ってきておくれ。」
二人で畳みかけたので胡散臭いかと思ったが、母は娘の成長と父の優しさに感動しているようで「二人とも、ありがとう。」と、全く疑わずにいてくれている。
邪魔者扱いして申し訳ないがタイムリミットが迫っているので仕方ない。
(今度ちゃんと林さんを紹介するからね。)
そう心の中で呟くと仕事へ向かう母の背中を見送った。