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7ストーカー?

 懐かしい夢を見た。まだ、自分が才能に満ち溢れていると疑ってかからなかった幼少の頃の夢。

 幼い頃から物語が好きで、たくさんの本を読んだ。その本の世界で、私は時に主人公のヒーローとなって、時にヒロインとなって、時にヒーローの仲間となって、敵役となって旅をした。戦いをした。恋をした。たくさんの夢想の中、私は誰よりも輝いていた。

 そうして自然と、私は自らの手で物語を書くようになった。

 自らを主人公に置いて、白馬の王子様がやって来る瞬間を想像した。

 正義の味方となって、悪い人をたおす瞬間を想像した。

 自分という美少女に恋に落ちる美少年とのロマンスを想像した。

 その世界の中で、私は無敵だった。

「……痛い夢を見た」

 悪夢から覚め、私は額を伝う冷や汗を寝巻の袖でぬぐった。

 寒暖差が激しい春の気候。今日は一段と陽気に恵まれているようで、羽毛布団の中で籠った熱のせいで、体がじっとりと湿っていた。

 寝苦しかったからおかしな夢を見てしまったんだ。そう思いながら、あるいはそう言い聞かせながら、私はさっとシャワーを浴びて汗を洗い流し、慌てて朝の準備を始めた。

 気づけば、車窓の先を見つめ、私は彼の姿を探していた。

 久徳くん。おそらくは私の願いに巻き込まれた、惚れっぽい男子。クラスメイトであり、私の一つ前の席に座っている人。何度も私に告白し、振られ、それら全てがなかったことになっている人。

 久徳くんの中には、私と積み重ねた時間はほとんどない。けれど私の心の中には、確かに久徳くんがいた。

 あの真剣な目を、好き、という唇の動きを、声を、私は覚えている。それらはもう、私の魂に刻まれてしまっていて、取り除くことはできなかった。

 不誠実な私は、何度も彼の告白から逃げてなかったことにして、けれどなぜか、久徳くんを探していた。

 多分、謝りたいんだ。そうに違いない。そのはずだ。

 決して、何度も告白される私ってヒロインみたい、だなんて思ってはいない。もっと告白してほしいとも、お姫様のように扱ってほしいとも、少しも考えてはいない。

 久徳くんにとって、私は呪いだ。私のような人間が、これ以上彼に関わってはいけない。

 胸の疼きから目をそらし、私は車窓に流れるホームに見えた久徳くんの姿からも目をそらして、スマホの画面に視線を落とした。

 四月終わりのことだった。


 気づけば、クラスではなんとなく一緒に行動するグループが出来上がっていた。私は、スクールカーストという表現を使うのであれば中間あたり、目立たない、平凡女子たちの一員となっていた。

 たわいもない、中身空っぽな話を繰り返す。どこかの駅に美味しいドリンクを出す店ができたとか、隣のクラスの格好いい男子が誰それと付き合うことになったとか、そんな話ばかり。

 昔の私なら、多分それなりに興味をもって聞いていた。それらの話を頭の中で膨らませて、物語を構築し、フリック入力で指を走らせていたと思う。

 そうしてスマホのメモに出来上がった作品を満足げに眺めていただろう。

 けれど、今の私は違う。

 どうにも、心が渇いていた。けれどそれは、渇望とは違う。

 表現するならば、空虚、だろうか。

 なぜだか空しかった。心にぽっかりと穴が開いたような気分だった。

 あれほど楽しみにしていた高校生活が、無味乾燥しているように思えてならなかった。

 楽しそうにどうでもいいことを話す友人たちの顔に、笑顔の仮面を見た気がした。揺れる顔は蒼白に染まり、そのうちに無機質な、大理石のような真っ白い仮面が現れる。唇がつり上がった仮面を見に纏う女子高生たちは、今日もぺちゃくちゃとたわいもないさえずりを交わし、その中で一人、私は心の中で膝を抱えていた。


 クラスでの私の友人は、この高校から比較的家が近い人ばかりだった。電車か、自転車か、徒歩での通学。つまり、私と登下校を共にする者はいなかった。

 ボッチになるなら死んでもいい――小学生時代の、クラスメイトの女子の言葉を思い出した。理由は、わからない。

 私は、死にたいとは思わなかった。灰色の世界を眺めながら、私は淡々と足を前に運ぶ。家に帰れば、もう夕方。宿題をして、少しネットを見て、友人と連絡を取り、食事やふろを済ませればもう寝る時間。そうして今日という日常の一つが過ぎ去り、変わらぬ退屈な明日がやってくるのだ。

 ふと、耳に喧騒が飛び込んで来た。ささやくような声が聞こえてくる。

 顔を上げれば、何かを避けるように下校する集団が門の片側を避けていた。

 視線の先、通過した生徒の向こうに、私は一人の少女の姿を捉えた。

 見覚えのある少女。艶のある長い黒髪と、真っ白な肌。お人形みたいなその少女に対する既視感を頭の中で攫い、気づいた。

「……あの時、久徳くんに助けてもらっていた――」

 彼女は、以前路地裏で悪漢たちに囲まれていて、一度は私が助け、そして回帰した二度目では久徳くんに助けられ、彼に告白したという少女だった。

 気づけば私の足は止まっていた。群衆の中で立ち止まる私という不審な存在に気付いたからか、少女が顔を上げる。長い睫毛が揺れ、その奥にある黒曜石のような鋭利な輝きを帯びた瞳が私を捉える。

 パチリ、と一度瞬きして、それから少女は不思議そうに小さく首を傾げた。

「……どちら様でしょう?」

 その声は、喧騒の中でひどくはっきりと私の耳に届いた。

 その声に我に返った私は、改めて少女の姿を確認する。私服――というのはおかしくない。久徳くんの言葉が正しければ、彼女は小学生。

 その事実を証明するように、彼女は淡い水色のランドセルを背負っていた。赤くないランドセル、というのはやけに新鮮に見えた。男子は黒、女子は赤。それが私の中でのランドセルへのイメージだった。

 これが、世代のギャップというやつだろうか。

 そんな益体もない思考を首を振って追い払い、私は美少女の下へと歩み寄る。少女が、警戒を示すようにランドセルの肩ひもを握った。

「……初めまして。私は近藤です。それで、久徳くんを探してるの?」

 久徳くん――その名前を出した瞬間、少女はクワと目を見開いた。その目に、強い警戒の色が宿る。

「あなた、誰ですか?」

「私は久徳くんの……クラスメイトよ」

 私と久徳くんの関係を端的に言い表すとそんな言葉でしかない。ここで久徳くんに告白された人です、なんて自己紹介した日にはイタい人だ。だって、そんな事実はどこにもないのだから。

 不審気に私を見つめていた少女は、結局不審感が勝ったのか、案内を求めることなく私に久徳くんの下へと連れていくことを要求して。

「どうしたの、近藤さん――っ!」

 たまたまた通りがかった久徳くん目がけて、少女が目にも止まらぬ動きで走り寄った。

「久徳さん!」

 抱き着いた少女を見て、久徳くんが目を白黒させる。どこからか、ヒュウ、と口笛が聞こえて来た。ロリコン、と私の横を通り過ぎた女子生徒が、汚物を見る目で久徳くんを見ながら吐き捨てて足早に去っていった。

「……場所を変えようか」

 どうしたものかと困ったように頬を掻きながら、久徳くんは少女の腕の中から脱出し、私の手を引いて歩き出した。

 ……って、どうして久徳くんは私の腕を取っているんだろうか。大きな手。男の人の手。私とは違う手。

 隣から刺すような視線を感じた。少女の視線に体を小さく震わせながら、私は久徳くんの背中を見る。

 ねぇ、久徳くん。あなたは何を考えているの……?


 学校を出て少し行った先、小さな公園の入り口で足を止めた久徳くんは、そこでようやく私の腕を握っていることに気づいたらしく、少しばかり恥ずかしげに笑って手を離した。

 腕から消える温もりを求めるように私の心が叫んでいた気がするけれど、聞こえないふりをして。私は久徳くんと少女との間で視線を行き来させた。

「……久徳さん。その方はどなたでしょう?彼女は、久徳さんのクラスメイトなのですよね?」

 公立小学校に通っているらしい少女が、キッと鋭く私を睨む。その楚々とした言動には、やはりどこか「お嬢様」らしさがあった。

 ええと、と私を視線を交わす久徳くんを見て、少女が小さく頬を膨らませる。状況からすると、私は少女にとってのライバルなのだろうか。久徳くんを取り合う――

 その時、久徳くんの目に、見覚えのある光を見た。その光は、覚悟の光。けれど、いつものような、熱は感じられなかった。

 男子にしては柔らかそうな、形のいい久徳くんの唇が動く。決定的な言葉が、紡がれる。

「彼女は、僕の好きな人だよ」

 時が止まった気がした。少女の顔が、絶望に曇る。

「そ、んな……嘘」

「嘘じゃないよ。僕は彼女が、近藤さんが好きなんだ」

 巻き込んでごめんね――そんな申し訳なさそうな視線を向けて来る久徳くんに、私は何かを言おうとして、けれど何を言うこともできはしなかった。ただ口はぱくぱくと動き、声にならない息だけがもれる。

 ――彼は、嘘をついている。何度も告白を受けて来たからこそ、私はそこに熱がないことを理解した。理解、できた。

 心が痛んだ。

 嬉しいと、そう叫ぶ私がいた。久徳くんに頼ってもらえた、巻き込んでもらえた、協力を求められた。そのことが、嬉しかった。

 嫌だと、そう叫ぶ私がいた。こんな嘘は要らないと、好きだなんて言葉を、こんな軽々しく言ってほしくないと、そう痛みを感じていた。

 果たして、私は黙って、久徳くんの袖を引いた。

「……ごめんね。だから、こんな僕の通っている学校を調べ上げて、校門前で待ち伏せするようなことは、もうやめてほしい」

 うつむいた少女の表情はわからない。ただ、その肩は小さく震えていた。

 行こう、とそう告げた久徳くんが歩き出す。振りほどいた私の手を、強く握って。

 蹴躓きそうになりながら、私は久徳くんに引かれるように歩き出す。

 振り向いた先、そこに立ち尽くす名も知らぬ少女を見送って。

「ごめんね」

 先ほどとはどこか違う声音で、久徳くんは私に告げる。

「……これで、よかったの?」

「良かったんだよ。近藤さんは優しいんだね。見ず知らずの相手に気を使うなんて。……最初は妹みたいで心配だったけれど、今ではただ、助けなければよかったと思っているよ」

 ――優しいと、以前にも久徳くんに言われたことがある気がする。けれど、私の心の中にはただ罪悪感しかなかった。

 苦いものが口の中に広がっていく。

 ああ、確かに彼女はストーカーかもしれない。けれど一度は、必死になって私自身が助けた相手だから。それに、彼女の想いを、久徳くんへの思いが、私には痛いほどわかってしまう。理解できてしまう。

「……ねぇ、私は――」

 私は――なんと、言いたかったんだろうか。あなたの恋人でもいいよ?あんな嘘をついてほしくなかった?どうして私を好きな人なんて言ったの?

 泡沫のごとく浮かび上がる思いは破裂し、けれど空気となったその思いが胸の中で膨らみ、溢れそうになる。

 ああ、私は、久徳くんに恋をしている。認めざるを得なかった。一人の少女の恋を失恋に導いてなお、私が目を逸らすことは多分許されない。

「私は――あなたが好きだよ、久徳くん」

 瞬間、世界が色づいていた気がした。あれだけ灰色に満ちてみた景色が色を帯びる。

 目の前の久徳くんの頬の赤さが、やけに目についた。

 その顔は、私が求めた、恋に落ちた人の顔だった。

 足を止めた久徳くんが、真っすぐ向き直る。

 ゆるりと、その唇が言葉を紡ぐ。

「――僕も好きだよ、近藤さん」

 照れたように告げる彼が、手を動かし、私の指に指を絡める。

 顔が熱かった。体が熱かった。彼とつなぐ手が熱かった。

 心臓は張り裂けそうに痛くて、視界がチカチカと光っていた。

 心が温かい。気力が充溢していく。

 ああ、幸せだ――


 瞬間、世界がゆがんだ。それは、慣れてしまった怪現象だった。


「っ!?」

 咄嗟に、彼の存在を確かめるように、私は久徳くんの手を強く握った。

 その手の中にある温もりが、感触が、消えていく。

 世界の色が混ざり合い、崩れ、私という存在もまた、曖昧になっていく。

 そして、私は目を覚ました。

 下校中の生徒たちの喧騒が耳に飛び込む。校門に向かって歩く生徒たちの中、私は数歩、惰性のままに歩き、そこで足を止める。

 呆然と、立ち尽くす。

 心の中にあった幸福感が、一瞬にして消えていく。

 ああ、神様。恋愛の神様。こんなひどいことがあるだろうか。

 私は確かに、人が恋に落ちる瞬間を見たいと祈った。けれど、こんな展開を求めていたわけではなかった。

 恋を知りたいと思った。理解したいと思った。万人に届く恋の物語を書けるようになりたいと思った。人の心を動かす物語を、書けるようになりたいと思った。

 ただ、それだけだった。こんな、幸福が奪われるような展開を、求めていたわけじゃなかった。

 頬を、一筋の涙が伝った。

 不思議そうに私を見ていた生徒たちがわずかに顔をしかめ、私から目を逸らす。

 世界が灰色に染まっていく。周囲の音が遠ざかっていく。

 校門に背を向ける。そこに待っている、想い溢れる少女から目をそらすように。

 走り出した私の横を、久徳くんが通り過ぎる。

 彼はまるで、私のことが見えていないように、通り過ぎて行った。

 歩みを止める。

 振り返った先、何事かを話していた久徳くんとあの少女は、二人並んで校門の向こうに消える。

「は、はは……」

 乾いた笑い声が喉を震わせた。

 私は、久徳くんの隣にいられない。神様に、呪われてしまっているから。


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