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人が恋に落ちる瞬間を見たい  作者: 雨足怜


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41連絡先交換

 うだるような暑さの中、吹き出す汗は止まる気配を見せない。

 鳴き続けるセミの声が一層暑さを感じさせる。教室を出て少しすれば体に残っていた冷気はすっかり消えてしまった。

 土間で靴を履き替えて外に出れば、強い陽射しに目がくらむ。

 途端に体がどっと重くなって、私は足を引きずるようにして家に向かった。

「近藤さん!」

 なるべく日陰を歩こうと考えながら学校の敷地を出たところで、後ろから名前を呼ばれた。

 久徳くん――そう理解すると同時に、胸が高鳴った。

 少しの不安と期待をないまぜにして振り返れば、肩で息をする久徳くんの姿があった。

 額に汗を浮かべる彼は全力疾走してきたみたいで、膝に手をついて呼吸を落ち着ける。

「こ、近藤さん!」

 勢いに背中を押されるようにして、久徳くんが私の両肩をつかむ。

 視界に顔が迫っていて、思考が真っ白になった。肩に強い熱を感じた。

 長いまつげがゆれる。久徳くんが咳払いしながら私の肩から手を放す。その頬はひどく赤い。あちこちへと視線を動かし、それから頬を指で掻きながら口を開く。

「……あ、あの、さ。連絡先、教えてもらってもいい?」

「連絡、先?」

 予想外の言葉に思考が追い付かなくて、私は久徳くんの言葉をオウム返しする。

 ポケットに手を入れた久徳くんがスマホを取り出して画面を私に向ける。

「……ああ」

 ようやく頭が追い付いて、私もまたスマホを取り出す。

「いいの?」

「うん」

 すごくうれしい気持ちを必死に押し殺しながら、私はスマホを起動する。

 久徳くんが、私の連絡先を求めてくれた。このタイミングということは、夏休みに入ってしまうからに違いない。

 学校がない日にも私と連絡を取りたいということなのだと思う。

 ……期待、してもいいのだろうか。久徳くんが、私と一緒に遊びたいと思っていると、そう考えていいのだろうか。

 この期に及んで臆病になっている自分が嫌いだ。ほかに、何が考えられるんだろう。

 スマホに、久徳くんの連絡先が加わる。SNSの彼のIDを前に、私は緩みそうになる頬を必死に抑えた。

「うん……よかった」

 何がよかったのだろう?久徳くんの顔を見れば、そこには笑みが浮かんでいた。安堵に緩んだ頬を見て、私は少し絶望した。

 そこに、私は使命感を見出した。私と話さないといけない――そんな思いがあるような気がした。

 久徳くんは、私の体調をひどく気にかけていた。最近私をちらちら見ていたのも、それが理由なんじゃないだろうか。

 久徳くんは別に、私と一緒にいたいと思ってくれているわけじゃない。

 ――ズキン、と心臓が小さく痛んだ。

「どうしたの?」

 顔をゆがめれば、目ざとく気づいた久徳くんが心配そうに私に問う。

 大丈夫――そう告げる私は、けれど今日に限っては本当に大丈夫だった。

 その気遣いがうれしかった。些細な様子にも気づいてくれるということが、これまで久徳くんがどれだけ私を見ていてくれてかを示しているようで、すごくうれしかった。

 うれしくて、けれどその分だけ、苦しかった。

 好きだという気持ちが、心からあふれる。

 その想いを、けれど歯を食いしばってこらえる。

「……また、連絡するね」

「うん。楽しい夏休みにしようね」

 晴れ晴れとした笑みを浮かべた久徳くんは、「じゃあね」と告げて走り出す。

 その背中を、小さく手を振りながら見送る。

 久徳くんが見えなくなるまで、私はその場に立ち尽くしていた。


 ベッドの上。寝ころんだまま枕の上に置いたスマホを見る私の心に、じんわりと胸に温かい気持ちが生まれる。

 画面の文字を見ながら、緩む頬をもみほぐす。

 久徳くんのSNSのIDがそこにある。このスマホが、久徳くんとつながっている。

 それは、か細くも太い蜘蛛の糸。私を、今、ここではないどこかへと連れて行ってくれる希望。

 久徳くんのことを、連絡のことを考えている間、私はほかのすべてのことに意識を向けずに済んだ。

 ただ、最初はどんな言葉を送ろう、いいや久徳くんから連絡を待つべきだろうか、でも連絡をすると言ったのは私が最初だったし……。

「……はぁ」

 一向に連絡は来ない。やっぱり、私から連絡をしないとだめだろうか。

 スマホを手に、ごろりと寝返りを打つ。頭の上に両手で持ち上げたスマホをじっと睨む。

 少ししてから入力して、違うかなと思って修正して、たった数行の言葉を何度も推敲する。

 繰り返すうちに、どんどん言葉は増えていく。気づけば堅苦しい文章がつらつらと悩んでいて、ため息とともにすべてを消去した。

「連絡、来ないかな……」

 そうつぶやいたとき、あw他紙の手の中で小さくスマホが震えた。

 開いていた画面に、久徳くんの名前と「こんばんは」というメッセージが映る。突然のことに動揺した私の手の中からスマホがすっぽ抜ける。

 落下するスマホが、私の鼻先に当たった。

「痛っ……ああもう」

 一瞬、骨折したんじゃないかなんて思った。

 鼻を指でなでながら、もう一度寝返りを打ってスマホを枕の上に乗せ、返事を入力する。

『こんばんは』

『夏休み、近藤さんは何か出かける予定はあるの?』

『特にないよ。久徳くんは?』

『僕は友達と映画に行く約束はしてるかな。……それくらい?』

『何を見るの?』

『漫画原作の実写映画だよ。ほら、最近駅の広告とかでよく見るやつ』

『あれから。私の友人も見たって。面白かったらしいよ』

『おお!ますます楽しみになるね。近藤さんは見ないの?』

『んー、実写映画って苦手なんだよね』

『原作読んでるの?』

『うん。好きな作品だからこそ映画はやめとこうかなって』

『人それぞれだよね』

『うん』

 探り探り始まったやり取りがぴたりと途切れる。見返してみて、その簡素さにめまいが思想だった。スタンプはもちろん、絵文字の一つもなかった。……そもそも絵文字とかってどうつかったらいいかわからないんだよね。スタンプだって、せいぜい挨拶で使うくらいだし。

 久徳くんもスタンプを使わないこともあって、それからもずるずると文字だけのやり取りが続いた。

 それなりに話は広がって、けれど私は、ううん、私たちは決定的な一歩を踏み出せずにいた。

 一緒に出掛けない?そんな一言を、けれど送れずにいた。

 そうしているうちに気づけば夜も更けていって、私たちはおやすみの挨拶をして会話をやめた。

 それでもまだ、私はスマホを手放せずにいた。

 この心にある気持ちを、不安と期待と後悔をぐちゃぐちゃに混ぜたような気持ちを、文字にして吐き出す。そうでもしなければ眠れる気がしなかった。

「……できた」

 二時間ほどたって、私のスマホには短い恋愛物語がつづられていた。それは、物語というよりは独白と呼ぶのが近いかもしれなかった。好きな相手の言動を思い出しながら、心の中で言葉を重ねる主人公の揺れ動く想い。それは苦しくて、けれど愛おしい、そんな気持ち。

 胸に満ちる思いを抱きしめるように、電気を消してそっと目を閉じる。

 今日は、悪夢を見る気がしなかった。


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