37北条祈
覚悟は決まった。決断する理由ができてしまった。
あたしは今日、千尋に告白する。告白して、そして多分、また振られる。
振られると、そう確信を持っていても、あたしは彼に告白せずにはいられなかった。もし、万が一、そんな可能性とも呼べない未来がある限りは、あたしは立ち止まらない。
以前告白した時には簡単に躱された。でも、今度はそうはさせない。
この一か月。あたしは千尋に自分が好きだと伝えたうえでアプローチを続けてきた。その時間を、熱意を、想いを、千尋は知っている。わかっている。そして、一心に思われる自分に酔ってしまえばいい。あたしに押されて、なあなあであっても「付き合おう」と返事をしてくれればいい。
恋人になってしまえば、あたしは千尋に自分を好きになってもらう自信がある。と、思う。
……どうだろう。最近では少し自信がなくなってきた。あたしは、容姿はそれなりに優れているほうだと思う。でも、それだけ。とりわけ勉強ができるとか、頭がいいとか、男受けする性格をしているだとか、そんなことはない。
千尋があたしを好きなってくれるか、その心に別の女子がいても可能なのか、あたしには断言できない。
近藤を意識している千尋を、この一か月で、あたしは自分だけに目を向けさせることができなかった。
一か月。ああ、一か月だ。それだけの時間を、あたしは千尋に好きになってもらうために費やした。これだけやったのだから、うまくいってほしい。あきらめたくない。それほどに、千尋が好きだった。あるいは、これがコンコルドの過ちという奴だろうか。
かけた時間の分だけ、諦めがつかずにいる。早くあきらめてしまえばいいのに、想い合っているだろう二人を引き裂こうともがいて、振られて、どうしようもない現実に打ちのめされて、心に傷が増えていく。
正直、つらくて仕方がなかった。あたしのことを見てくれない千尋に、怒りがわくこともあった。どうしてあたしじゃなくて近藤を見るのか――そう叫びたい気持ちもあった。ちらちら、ちらちらと近藤に視線を向けては口ごもる千尋に、いら立ちばかりが募った。それも、すべては今日までのこと。
今日、決着をつける。夏休みまでもう時間もない。長期休暇を超えてしまったら、多分もう間に合わない。
根拠はないけれど、そんな確信があった。
千尋と付き合って、夏を満喫する。その時間は、きっとこれまでの人生の中で一番幸福な期間になるだろう。うれしくて、楽しくて、幸せで、そんな未来にたどり着ける可能性が、ほんの少しでもある。
だから、あたしは行動する。
告白をすると決めたところで、バレーの試合がなくなるわけじゃない。
決勝戦――といっても各学年でのクラス対抗戦の決勝で、この後に各学年一位のトーナメントが待っている。もっとも、学年を超えた試合は余興のもので、成績には関係ない。そうじゃないと体が出来上がる三年生が、特に三年男子が有利すぎる。
始まった試合は、実力も様々な同級生たちによって繰り広げられる。当然だけれど、決勝まで進んだチームであっても、上手い人とそれほど得意ではない人の差が激しい。それでもここまで来られたのはチームワークのおかげだ。声を出して、自分の範囲だけでも確実にボールを拾って見せると、そう意気込んでやってきた。
あたしは別にバレー部じゃないし、それほどできるほうでもないと思う。そりゃあ部活動でやっていう人とは比べ物にならない。それでもそこそこできるほうだし、点数を取るために活躍しないと、と思う。
サーブの番が回ってくる。ボールを受け取って、コート後方へと向かう。
その先に、千尋の姿があった。先ほどの試合で惜しくも千尋たちは負けてしまい、試合はこれでおしまい。その敗北に、あたしの試合を見に来てくれたことに、歓喜するあたしがいた。
落ち着け――一度目を閉じて、呼吸を整える。無駄に緊張する必要なんてない。この勝敗が人生を決めるとか、そういうことはない。
――でも、千尋にいいところを見てもらいたい。活躍しているあたしを、見てほしい。
そんな思いが、手に加わる。
ステップ、ジャンプ。高く、手の平の下でボールの中心を打つ。
ボールは、高速で飛んで行った。しまったと、そう思いながら着地したあたしの視界の先、思いっきり飛んで行ったボールは、場外を跳ねて転がっていった。
「ドンマイ!」
「……ごめん」
気にするなと、そう笑いかけてくれるチームメンバーに小さく頭を下げながら、内心では羞恥でいっぱいだった。
活躍しているところを見てもらいたい――馬鹿じゃないの?そんなことで力んで失敗していては世話がない。
小さなため息は、けれど心の中で抑え込んで。
これ以上の失態はするまいと心を改めてボールを待つ。
結局、最初のサーブの失敗を引きずった。見当違いの方向にボールを飛ばし、二度目のサーブをミスし、失敗を繰り返した。
足を引っ張っている――申し訳なさで恥ずかしかった。空回りしていた。
もし千尋がこの場に来ていなかったら、もっと動けたかもしれない。そう思うけれど、たとえみじめなところで千尋が見てくれていると思えば前を向けた。
あたしは、千尋が好きだ。それは、一緒にいるだけで胸がいっぱいになるからで、どこか飄々としながらも思いやりにあふれたところが好ましいからで、頑張らないといけないと思わせてくれる相手だからだ。
千尋の前では、背伸びをした自分を見せたい。そう思うから、挑戦しようという気になる。千尋が隣にいるだけで、あたしはどこまでも行ける気がした。
比翼の鳥。片割れでは飛べない鳥。あたしにとって、千尋はそんな存在だった。千尋がいれば、あたしは大空に飛び立って、どこまでも羽ばたいていける。でも、千尋がいないと地面を歩いて進み、時々空を飛んではるか彼方へと飛び去って行く人たちに嫉妬して足を止める。
千尋にとって、あたしはただ、「自分を好きだと言ってくれる人」だ。比翼の鳥なんかじゃない。でも、それでも、あたしと一緒に歩いてくれたら、一緒にどこまでも行こうと思う。くじけそうなときには励ましてあげるし、時には先を言って手を差し伸べて引っ張り上げて見せる。
そういう関係に、なりたかった。
千尋は、あたしのことをどう思ってる?やっぱり今も、ただのクラスメイト?
炎天下。タオルを頭からかぶりながら、あたしはじっと千尋を見ていた。
クラスメイトの男子と何かを話している千尋がふと顔を上げて、誰かを探すように周囲を見回す。誰か――わからないはずがない。千尋が思い出したように探す相手なんて一人しかいない。
でも、近藤は今ここにはいない。さっきから姿が見えない。たぶん、どこかでのんびりしているのだと思う。あるいは、心の整理をしているのだろう。
千尋を好きになった彼女が、行動を始める前に、あたしはこの恋に結末を与えようと思う。
だから、あたしは一歩を踏み出す。まっすぐに、千尋のもとへと歩く。
「……少しいい?」
「あ、うん。いいよ」
はやし立ててくる男子に苦笑を返しながら千尋があたしの前に立つ。
場所を変えよう――その提案に否定の声は上がらなかった。
バレーコート脇から、運動部用の休憩室の裏、保健室前の狭い通路に移動する。グラウンドの範囲内で、けれど人気のないここは、影になっていて体を休めるのにもちょうどいい場所だった。
日陰に入れば、その涼しさに肩の力が抜ける。照り付ける太陽のせいで熱かった頭頂部が冷えるまで、あたしはぼんやりと休憩室の壁に背中を預けた。
「さっきの試合、残念だったね」
「すごく失敗したから申し訳ないな」
本当に、申し訳ない。一人で勝手に意気込んで空回りして失敗して。あたしはさぞ滑稽だっただろう。ドンマイ、とそんな励ましが今もまだ心に突き刺さっている気がした。
「それでも、すごかったよ。ぎりぎりでボールを掬い上げようとする姿は、すごく格好良かったよ」
それでも、間に合わなかった。膝を軽く擦るだけに終わった。
でも、その言葉一つで、報われた気分になった。自分の単純さが少しだけ嫌になりながらも、火照る顔を冷ますように手で風を送る。
「……そう?」
「そうだよ。すごく輝いていた」
本当に、さらりとこういうところを言えるのがダメなんだ。こんなことを言われるから、期待してしまうんだ。まだあたしにも脈があるかもなんて、このまま時間をかければ千尋と付き合える未来がやってくるかもなんて、そんな期待をしてしまう。
でも、だめだ。そんなのはだめだ。
「……千尋」
名前を呼ぶ。かみしめるように、一音一音に心を込めて。
あたしの変化を察したのか、千尋もまた休憩室の壁から背中を話して、まっすぐにあたしと向き合う。
まっすぐ、まっすぐに千尋があたしを見ていた。ほかの誰に視線を移すこともなく、ただ真剣にあたしを見ている。あたしだけを見ている。
たまらなくうれしくて、そして切なかった。
心が震えだす。その震えが全身に広がろうとしたところで、片手で腕を抑えて震えを飲み込む。
「話があるの」
「うん」
わかってる。そう言うように千尋が静かに頷く。
さぁ、終わりの言葉を告げよう――そう、思っても、開いた口からは言葉が出てこない。
代わりに、想いばかりがあふれていた。
楽しかった。この一か月。千尋を振り回していろいろなことをやった。放課後デートのようなこともしたし、休みの日に一緒に遊びに行くこともあった。その距離感は恋人ではなくてただの友人のそれだったけれど、かまわなかった。だって、本当に楽しかったから。
「……あたし、は」
声が震えていた。みじめで、みっともなくて、恥ずかしいと思った。
こんな予定じゃなかった。もっとさっぱりと、もっとまっすぐ、もって強く、千尋に告げるはずだった。好きだと、あたしを好きになってと、付き合おうと、必ずあたしを好きになってもらうと、そう宣言の一つでもするつもりだった。
でも、実際のあたしはひどく臆病で、まともな言葉の一つも出てくることはなかった。
遠く、あるいは近くで歓声が沸く。グラウンドで笛が鳴る。得点が入った。
時間がない。いつ誰がこの場所に来てもおかしくない。だから、言わないといけない。早く口にしないといけない。
「あたしは――」
強くこぶしを握る。体の震えを、恐怖を飲み込む。
まっすぐに、千尋の顔を見る。もう見慣れた、けれどいつみても格好いい以外の言葉が出てこない、大切な人の顔。
ああ、好きだな。顔を見るだけで、幸せだった。同じクラスにいるということが、話をできているということが、千尋の目にあたしが映っているということが、あたしに幸せをもたらした。
ただ、それだけで幸せだった。
女々しい?ああ、その通り。あたしは乙女だった。どうしようもなく、夢見る少女だった。
その思考は、ストンとあたしの中で落ち着いた。
そうだ。あたしは、夢見る少女だった。でも、いつかは夢から醒めないといけない。そして、それは今だった。
「あたしは――千尋が好きだよ」
「うん」
知ってる、と視線で頷く。
「千尋が、大好き。……ううん、そんな言葉では語りつくせないほどに、愛してる」
「……そう、なんだ」
「そうだよ。あたしの目には千尋以外入らない。千尋が隣にいるだけでうれしくて、話をするだけで心が弾んだ。あたしにそう思わせてくれる千尋が、あたしは好きだ」
好きなところなんて、数えだしたらきりがない。その少し眠たげな眼もととか、雨の日に跳ねる襟足の髪とか、カッターシャツの一番上を外したままの少し崩した格好とか、友人を大切にするあり方とか、なんだかんだ言いながらもあたしのわがままに付き合って一緒に外出してくれるところとか、意外と筆まめでこまめに連絡してくれるところとか、近藤を見つめる温かい視線とか。
好きだった。ただ、どうしようもなく好きだった。そして、それは千尋も同じ。千尋もまた、どうしようもなく近藤に惹かれて、目が離せなくて、何かを言おうとしても言葉が出てこなくなる。さっきの、あたしみたいに。
「……今、ここで教えてほしい。決めてほしい。あたしは、千尋の彼女になれる?千尋と、付き合える?」
それは、永遠にも等しい時間だった。すべての音が消えて。時間の感覚が狂うほどに長い時間のような気がした。
でも、一瞬だったような気がする。少なくとも、あたしは次の瞬間には、千尋の顔から、告げられる言葉が分かっていた。
「……………………ごめん」
蚊の鳴くような声で、彼はそう告げた。わかっていたことだった。
わかっていたはずだった。それでも、胸で暴れる感情は、溢れる想いは、止まる気配を見せなかった。
うつむくことしかできなかった。にじんだ視界の先、影に黒いしみが生まれる。ぽたり、ぽたりと、大地が濡れる。
千尋の足音が聞こえた。視界の中に、彼の足が映る。距離が近づく。
「……来ないで」
延ばされた手が、虚空で止まるのを感じた。これ以上、みじめなのはごめんだった。
好きだった。でも、これ以上を望めないというのなら、そんな残酷なことはしないでほしい。これ以上、好きになりたくない。
「……ごめん」
もう一度、今度ははっきりと聞こえた。背中を向けた千尋が――久徳が、あたしのところから去っていく。背中を向けて、止まることなく歩いていく。
その背中に、すがるように手を伸ばして。その腕を、反対の手で抑え込む。
何を、しようとしているんだろう。これは、訣別のためだ。終わりにするためだ。あたしの、多分真剣に想った、初めての恋。初恋と呼んでも過言じゃないこの恋は、今、終わった。
あたしの手で、終わらせた。
これで、よかったんだ――言い聞かせながら、肩から壁にもたれる。体重を預け、ざりざりとこするように、滑るようにしゃがみ込む。
涙が頬を濡らす。あふれる想いが、言葉が、顔が、ぐるぐるとあたしの頭の中で回っていた。
――これで、いい。明日から、あたしと久徳は、ただの友人。クラスメイト。知人。それに戻る。
久徳はきっと、振った相手であるあたしが近くにいたままでも気にしないだろう。いつも通りに、近藤を見ては一喜一憂する。そんなゆうじゅうふだんな久徳を見ながら、やっぱり恋人になれなくてよかたっと、そう思うまで近くでのんびりと二人のことを見ていたいと思う。
あたしは、近藤を友人だと言った。その言葉を嘘にするつもりはない。両想いの友人の関係に水を差すつもりはない。
「頑張らないと許さないからね、近藤――」
涙でにじむ目で見上げた空。校舎と休憩場所の壁に阻まれた狭い青空を眺めながら、あたしは少しの間、そこで泣き続けた。




