36落ちる
午後、時間を経るごとに気温は高くなっていく。恨めしい思いで空を見上げてから、サッカーをする男子チームへと視線を向ける。すでに試合が終わったドッジボールとバスケの女子で集まって応援に来ていた。
野江たちバスケットボールチームは、惜しくも三回戦で敗れてしまった。
「……暑い」
「ほんとにね」
首から下げたタオルで汗をぬぐう野江が私に同意する。汗でびっしょり濡れているクラスTシャツは風を通さなくて気持ち悪い。照り付ける陽光の中、試合をしている男子も心なしかけだるそうにしている。午前中のほうが試合に勢いがあったように思う。まあ体力も消費しているだろうし、昼休憩をとったからと言って朝ほどの好調というわけにはいかないのだろう。
どこかだらだらとした中、それでも素早い動きを見せる男子もいる。特にクラス委員長の飯星くんは、別に全力で走っているわけでもないけれど、その動作にキレがあるように見える。なんというか、常に最善の動きをしているような感じだ。パスが飛んでくる場所にゆるりと移動して、巧みな空間把握能力によってマークされていない味方に素早くパスを出す。
その流れるような動きに、女子の一部から歓声が上がる。水谷さんたちのグループと、あとは別のクラスの女子。……飯星くんはかなりモテるみたいだ。
私から見ても水谷さんはすごく可愛いけれど、飯星くんが水谷さんと付き合うことはなかった。
好きな人がいるからと、告白のお断り文句としてはごく自然な言葉で飯星くんは水谷さんと付き合うのを断った。
好きな人。冷静沈着、ともすれば冷めていると表現できそうな飯星くんからそんな言葉が出てくるのに私はすごく驚いた。
それから盗み聞きがばれて、なぜか保健室前の長椅子で隣り合って座った。あの時間はひどく居心地が悪かった。どうして、飯星くんはわざわざ隣に座ったのか。私を心配するようなことを言ったのか。
それに、彼は久徳くんが何か話したか、と聞いてきた。
久徳くんと、何か大事な話をしたということだろうか。しかも、私について?
思い出した会話が、頭の中でぐるぐると回っていた。そんな中、再び歓声が響く。
試合に意識を戻せば、私たちのクラスが速攻で攻めていた。飯星くんも走っている。そして、大きく手を振って存在を主張する久徳くんの姿がそこにあった。
「パス!」
大きく声を張り上げた久徳くんの存在に気付いたクラスメイトが大きくボールを蹴る。弧を描いたボールはまっすぐ、吸い込まれるように久徳くんのところへ飛ぶ。
胸で受け止めたボールを、流れるようにドリブルし始める。汗で輝いた髪が大きく揺れる。迫る敵チームの男子を、軽くドリブルで抜く。
流れるようにパスを出した久徳くんが大きく息を吐く。私は、飛んでいくボールを追わず、久徳くんをじっと見ていた。
目が離せなかった。額ににじむ汗をぬぐうその姿が目に焼き付く。
ワッと歓声が上がる。ゴールを決めた男子が喜びをあらわに声を張り上げる。迫るようなその歓声に合わせて、心が強く震えていた。……おかしい。こんな、はずじゃなかったのに。
「ナッツー?」
「………野、江?」
「どうしたの?すごい変な顔していたけど」
「そう?」
「うん。疲れた?日射病?」
「そういうのじゃない……と思う。ありがとう」
不思議そうに首をかしげる野江の視線から逃げるように、続いている試合へと目を向ける。再び動き出した久徳くんを自然と目で追っている私がいる。そんな私を、どこか冷静に、客観的に見つめる自分がいて。
鼓動の高鳴りが、全身に広がっていく。せっかく消えかけていた炎が、心の中で強く燃え上がるのを感じていた。
――恋の炎。
ぎゅ、と手が握られる。視線を向ければ、心配そうに瞳を揺らす野江が私をじっと見ていた。
「やっぱり少し休まない?」
「……うん、そうする」
わななく唇からこぼれおちる声は、私の声ではない気がした。強い熱。それは、もはやひどく気持ちが悪いほどだった。
野江に手を引かれるように、応援中のクラスメイトたちの輪から抜け出す。
ひどく体が熱かった。照り付ける日差しのせいか、暑さのせいか、水分不足のせいか、それともまた別の理由からか。
どくどくと強く高鳴る心臓にそっと片手を抑えながら、私は引っ張られるままに歩いた。
「……」
そんな私の一部始終を見ている視線に、私が気付くことはなかった。
◇
零れ落ちんばかりに目を見開いて、呆然と立ち尽くす。顔は次第に赤みを帯びていき、ひとみは潤み、目の奥で強い感情が燃える。距離はあっても、熱い吐息が漏れるのを感じた。
あたしは、そんな近藤から全く目が離せなかった。
球技大会の午後。バレーの試合が終わってすぐ、あたしは男子サッカーの試合へと走った。時間的に、まだ間に合う。少しでも多く観戦をしたかった。
あたしの目的はただ一人。久徳千尋。あたしが好きな人の活躍する場面を見逃すまいと、全力で足を進めた。
果たして、グラウンドの端にあるバレー会場から向かう中。視線の先、クラスメイトの男子チームはちょうど攻勢に転じたところだった。
全員が走り出す。相手チームのマークを抜けて、走る。
その集団の中に、千尋の姿があった。
「……頑張って!」
走る彼に、ありったけのエールを送る。千尋が大きく手を振り、叫ぶ。
ボールが飛ぶ。胸トラップをして、すぐにドリブルで走り出す。
千尋が走る。相手をかわして、パスを出す。振りぬいた脚が、やけにゆっくり動いているように見えた。
躍動感のある姿が、心に焼き付く。心臓がトクンと音を立てる。
ああ、やっぱり格好いいなぁ。
心の中で感嘆の言葉をつぶやきながら、ふらふらとコート横まで進み出て。
ふと、視界の端に入ったクラスメイトの表情に、あたしの心は一瞬にして凍り付いた。
頬は上気し、目は潤み、千尋に熱い視線を送る近藤。それは、間違いなく恋をしている顔だった。あるいは、恋に落ちた顔だった。
冷や水を浴びせられた思いだった。
あたしは千尋が好きで、千尋は近藤を気にしていて、近藤は千尋を好きになった。
そこに、あたしの居場所はない。
まだわからない。まだチャンスはある――ずっと、そう思ってきた。
千尋の心の中心には、近藤がいた。そんなこと、好きになってすぐに分かった。わからないはずがなかった。だって、ずっと見ていたから。
千尋はいつだって近藤を気にしていた。気にかけていた。それはもう、恋に等しいものだった。
でも、そこにはまだチャンスがあった。千尋はまだ、近藤を好きだと理解していなかった。誰が見ても特別扱いしていても、それでも千尋自身が恋だと認識していなければ希望はあった。それに、近藤も千尋を気にかけながらも、恋をしている感じはなかった。
けれど今、可能性は限りなくゼロに近づいた。
近藤は千尋を好きになった。千尋は違って、たぶん近藤は自分の思いに気付いている。柚木野江との会話があたしにそう確信させる。
――あたしは、たぶん、間に合わなかった。それでもと、心が叫ぶ。
これまでのあたしの頑張りは無駄じゃなかったはずだ。千尋にアプローチしてきた時間には確かな効果があったはずだ。そう、信じたかった。
強く、手のひらに爪が食い込むほどに強く、こぶしを握っていた。
近藤が、柚木に手を引かれて歩いていく。その背中をただじっと見送った。
覚悟はできた。あとは、告白するだけ。
これで振られたら、今度こそ諦めよう。でも、もし近藤が、好きになっても千尋にアプローチをしなかったら?
……不毛だ。両想いの二人に割って入ったところで、きっと得られるものなんてない。
覚悟と、深い悲しみを胸に、あたしはコートの中で走り続ける千尋を見つめる。
なんの苦しみも感じていなさそうな千尋の顔が、ひどく苛立たしかった。




