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人が恋に落ちる瞬間を見たい  作者: 雨足怜


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33/49

33告白と邂逅

 後方の扉から教室に入れば、視線の先に彼がいる。窓際最後列。

 数名の男子に取り囲まれながら世間話をしている久徳くんの目が私を捉える。もごもごと動いた口は、ただ「おはよう」と音を紡ぐ。

「おはよう」

 もう、私が気構えするようなことはない。久徳くんが何を考えているか知らないけれど、どうだっていい。

 中間テスト以来、久徳くんが私に惚れたことはない。回帰したことはない。まるであの非日常が現実ではなかったのではと、最近では思うようになった。

 あれだけ私の心の中で燃え上がっていた熱も、今では少しずつ冷め始めている。

 時間が、想いを作って行くと思っていた。物語などで目にする「会えない時間が想いをはぐくむ」なんてことは、少なくとも私の身には起こらなかった。

 別に会えないわけじゃない。それどころか毎日目を合わせている。幻滅するような何かがあったわけじゃない。ただ、久徳くんと話す機会が減った。これまでのように久徳くんが私に話しかけてこなければ、私たちの間には十分な距離が生まれる。その距離が、私の心を落ち着かせた。

 きっと、ほかに考えるべきことがなければ私は狂おしいほどの愛に心を燃やしていたのだと思う。久徳くんの一挙手一投足に目を奪われ、久徳くんが女子と話していればその内容が気になり、嫉妬し、久徳くんの笑顔を独り占めしたいだなんて思っていたのだと思う。

 でも、そうはならなかった。私には、この想い以上に考えるべきことがある。恋に心を囚われているような余裕はなかった。

 回帰のこと、家族のこと。考えるべきものは私にとってひどく重くて、そして考えたところで私には何の解決も思い付けないようなもの。

 二つのことは私の中でぐるぐると回り続け、そのうちに久徳くんのことをあまり考えなくなった。

 もちろん、回帰について考えるうえで久徳くんの存在は外せない。少なくとも、久徳くんが私に恋に落ちるというのが、これまでのトリガーだったのだから。

 それも、もうひどく昔のように思える。

 ジーワジーワと鳴き続けるセミの音を聞きながら窓の外をにらむ。夏の日差しが降り注ぐ外はひどくまぶしくて、一瞬眩んだ。

 ちらと横目で確認すれば、やっぱり久徳くんは友人と話しながらも私に視線を向けていた。目があった次の瞬間にはすっと視線をそらされた。

「……はぁ」

 暑さと炎天下での登校による疲労が加わってため息が漏れる。帆杖をついてぼんやりと時計を眺めながら時間が過ぎるのを待つ。

 ……そういえば、最近では女子グループの輪に加わって話をすることも減っている。ぼっちなんて耐えられないと思っていたけれど、今はこの孤独が心地よかった。


 お昼の時間になると同時に、私は弁当を持って席を立つ。当然だけれど、私が久徳くんと一緒に食べることはない。北条さんとも、最近では一緒にお昼を食べていない。

 私が移動するのに合わせて、北条さんが教室前方の自席から私の席のほうに歩く。そうして、私の机の向きを反転させて、久徳くんの机とくっつける。

 二人並んで、久徳くんと北条さんがお昼ご飯を食べ始める。その光景に、少しだけ胸の奥がざわついた。

 購買に向かう生徒たちの流れに乗って、私も廊下を歩いていく。教室の外は当然だけれど冷房なんて効いてなくて、じめっとした蒸し暑さが私を襲う。セミの鳴き声も大きくなり、不快感はひとしおだった。

 汗がにじむのを感じながら階段を降り、校舎の外に出る。向かうのは中庭の端にあるベンチだ。茂みのわきにひっそりと存在するそれは塗装が剥げ、ひどく寂寥を感じさせるたたずまいをしている。

 そんな代物だからか、そのベンチを利用している人はいなかった。

 中庭にはまっすぐ舗装された道があって、その左右には芝生が生え、両脇の校舎のそばに長く花壇が伸びている。芝生の上にはカップルと思われる数組の男女や科学部らしい白衣の女子生徒の姿があった。

 その集団の隅で、私はベンチの上にハンカチを敷いてその上に座る。

 開いた弁当は、昨日の残りの晩御飯のおかずばかり。適当に詰めてきたそれは登校時の振動のせいか弁当箱の中でぐちゃぐちゃになっていて、あまりおいしそうには見えなかった。

「……いただきます」

 照りつける日差しのせいで噴き出す額の汗をぬぐってから手を合わせる。膝の上に乗せた弁当に箸を伸ばす。

 話し相手もなしに一人で弁当を食べると、これまで時間が足りなかった経験が嘘なんじゃないかと思うほど早く食べ終えてしまう。まだお昼の時間は十分にある。けれどこのまま炎天下でぼんやりしている気は起きなくて、私はひとまず校舎の中、影のあるところに移動することにした。

 考え事をしながら向かった先は保健室前。壁際に置かれているベンチに腰を下ろす。閉じられた保健室の扉の隙間から、わずかな冷気が廊下に漏れ出していた。教室よりも保健室のほうが冷房が効いているみたいだった。

 喧噪から遠いその場所に腰を落ち着けると、途端に体から気が抜けた。

 冷気を求めるように壁に背中と、ついでに頬をつける。ひんやりとした壁が体の熱を冷ましていく。はしたないと思いつつも、ここには私の行動をとがめるような相手はいない。

 耳から頬まで、壁に触れている部分から伝わる冷たさはそのまま心臓へと流れ込む。心が、冷えていくような気がした。

 パチ、と寿命が近そうな蛍光灯が明滅する。遠く、廊下の先で生徒のグループがワイワイと騒ぎながら歩いていく。目の前にある虫歯予防のポスターをぼんやりと眺めていると、ふと、わななくような声が聞こえてきた。

 震えている声。まるで、自己紹介の時の私のよう。

 そう思って、廊下の先に視線を探すも、誰もいない。

 声は、壁の向こうから聞こえた。すぐ後ろ、校舎の外で女子生徒が相手の名前を呼ぶ。

『飯星君――来てくれてありがとう』

『別に。それで話っていうのは?』

『うん……その、私は、飯星君が好きです』

 ――覚悟と、わずかな期待と、両者を上回る不安がないまぜになった声。その声が、私の心を震わせる。聞き覚えがある声。たぶん、クラスメイト――水谷さん。女子のクラス委員長をやってくれている、責任感の強い人。

 その相手は、同じく私のクラスの男子委員長、飯星仁くん。シルバーフレームのメガネが特徴的な、冷徹でそれでいてどこかつかみどころのない不思議な空気を持っている人。

 盗み聞きをしてしまっているという申し訳なさから、慌てて壁から耳を話す。そうすれば声はひどく小さくなって、聞き取れるか怪しいものになる。

 でも、すぐそば、外から保健室に入るために存在する扉はわずかに空いていて、そこから声が漏れ聞こえてしまう。

『……ごめん』

 謝罪。淡々としたその声音に、心臓がきゅっと縮こまる。

『理由を、教えてくれる?』

 震えた、泣きそうな声。それでもたぶん、泣いてはいない。水谷さんが泣いているイメージが私の中になかった。

『…………好きな人がいるから』

『……そう』

 好きな人なんて本当にいるのか――そんな疑問を、必死で飲み込むような吐息。あきらめと、絶望と、わずかな、怒りだろうか。心がぐちゃぐちゃになりながら、水谷さんはゆっくりと歩きだす。

 ガラス扉の向こう、歩き去っていく水谷さんの姿が見えて、私は体を壁にはり付ける。ガタン、と長椅子の端が壁にぶつかって音が鳴った。

「……ッ」

 漏れそうになる悲鳴を、口を手で押さえることでとどめる。でも、響いた音をかき消すことはできない。

 ゆっくりと、ガラス扉が開く。ギィ、というその音に心臓が跳ねる。体が、小さく震える。

 恐る恐る――わずかな期待を胸に視線を上げる。そこには予想通り飯星くんの姿があった。

 静かな瞳が、私を見ていた。細められたその目は、少しだけ困惑に揺れる。何かを告げるように開いた口から、声にならない吐息が漏れる。

「……こんなところで何をしてるんだ?」

「何って……休憩?」

 今の自分の行動を示す適当な言葉が見当たらなくて、私は当たり障りのなさそうな言葉を選んだ。――選んだつもりだけれど、これじゃあ教室の雰囲気に耐えられないボッチだと言っているようなものだった。別に、それでもかまわないけれど。

 飯星くんは何も言わずにしばらく私をじっと見つめ、それからややあって扉を閉めて私のほうに近づいてきた。

 殴られでもするのかと、恐怖に目を閉じて体を小さくして。

 長椅子がきしむ。

 果たして、飯星くんは私の隣に座った。

「……え?」

「なんだ?」

「ううん、何でもない」

 どうして隣に座ったのか、まったくわからない。私はただ茫然と飯星くんの顔を見つめていた。

 整った顔。頭もよくて、運動もできる。私は、あまり近づきたくない相手。花奈を、思い出すから。

 でも、飯星くんは花奈とは違う。花奈のような、誰をも引き付ける明るさを持っているわけでも、人目を惹く笑顔を浮かべているわけでもない。

 それでも、似ていると思った。だから、飯星くんに苦手意識があった。

 実際に隣に並んで、その感情は強くなった。今すぐに彼の隣から逃げなければ――そんな強迫観念のようなものが私の心の中で膨れ上がった。

「……体調はどうだ?」

「ん、大丈夫、だよ」

「寝れてないんだろう?」

「……ええと、」

 どう、答えるべきだろうか。ただの話の導入だと思っていた言葉は、けれど確かな心配と気遣いに満ちていた。

 飯星くんは私を見ていない。その視線は、真正面にある虫歯ポスターへとむけられている。でも、その声は、その感情は、確かに私のほうへと向いていた。

 流石委員長、とでも思っておけばいいのだろうか?委員長だからクラスメイトを気遣う。これは、ただそれだけなのだろう。

 きっと。

「……大丈夫だよ。前よりは眠れている気がするし」

「そうか」

「うん、そうだよ」

 嘘だった。前よりも、高校入学当初よりも、私の睡眠時間は減っている。回帰という超常現象が私にもたらす不安は大きい。冷え切った家は、日を追うごとに居心地の悪さが強まっていて、できるだけ家にはいたくなかった。休めないし、深い眠りにつくこともできない。そのせいで、最近では授業中に舟をこいでしまうことが多くなった。

 当然授業への集中力も落ちていて、一学期の期末テストは正直不安ばかりだ。そういえば、もうテストまで二週間もない。つい少し前に中間テストを乗り越えたと思ったらもうテスト。高校も中学と同じでテストばっかりだ。

 飯星くんは、テストだからと意気込むことはないんだろうな。毎日コツコツ積み重ねていて、テスト前には軽く復習をする程度で高得点をとれるんじゃないだろうか。それとも、最後の追い込みだと猛勉強するのだろうか。……あまり、そうして根を詰めているようなタイプじゃない気がする。

 会話が止まる。居心地の悪さが大きくなる。

 静寂を打ち破るように聞こえてきた予冷の音が、福音のように思えた。

 立ち上がった私とは違って、飯星くんはまだ座ったままじっとしていた。教室に戻らないのか――確認するように振り向けば、目が合った。

 強い、強い光がそこにあった。覚悟をした目だ――そんなことを思った。覚悟って、何だろう?

「……久徳は、何か言っていたか?」

「何かって、何?」

 どうして、ここで久徳くんの名前が出てくるのか?私の困惑に気づいたらしい飯星くんは「そうか」とだけ言って立ち上がり、すたすたと足早に私の隣を通過する。

 その、瞬間。

 ――相談があったら言え。

 ささやくように残された声は、果たして私の聞き間違いではなかったのか。

 彼の声が残る左耳を抑えながら、私はぼんやりと長椅子を眺め続けた。

 そこには当然、私たちが並んで座っていたことを示すようなものは何もなかった。


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