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人が恋に落ちる瞬間を見たい  作者: 雨足怜


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21/49

21誘い

 今日は朝から近藤さんの様子がおかしい。

 ここ最近体調が悪そうで、今日はいつにもまして顔色がおかしかった。

 顔色、だけではない気がする。近藤さんがまるで僕のことを拒絶しているような気がした。

 挨拶をしても返事が返ってこないし、目も合わない。

 でも、不思議と怒りが沸くことはなかった。

 僕は聖人君主というわけじゃない。無視をされれば腹立って立つし、どうしてそんなことをされたのかと不安に思い、あるいはいじめられているんじゃないだろうかと心配になる。

 でも、近藤さんを相手にすると違う。怒り以上に心配が先に出る。

 どうしたのかと確認するけれど、返事はなかった。

 代わりに、「これ以上関わらないで」という拒絶の挨拶が聞こえた。

 挨拶を返しながら、僕は困惑するばかりだった。

 何か、近藤さんを怒らせるようなことをしただろうか。約束を忘れた?いいや、そんな約束は覚えがない。でも何か、何かあるはずだった。

 それが何か、考えているうちに、近藤さんは体を抱えるようにうつむきがちな姿勢もまま教室を出て行った。

 お腹が痛かっただけだろうか。だから、顔色がおかしかった?

 そう期待した。期待せずにはいられなかった。

 本当は何か、重い病気なんじゃないか――むくむくと膨れ上がる不安が胸の中で暴れまわっていた。

 ふと、思う。僕はどうしてこうも近藤さんを気にしているのだろうかと。

 席が隣だから?しかも前の席では前後だったから?確かにそれは話すきっかけにはなると思う。けれど、僕は自分の前の席に座っていた相手とはそれほど仲良くはなかったし、今も反対隣の男子とはそれほど話すことも気を配るようなこともない。

 近藤さんだから、僕は彼女を気に掛けているのだろうか?近藤さん、だから?どうして?

 ……僕は、近藤さんに妹を重ねているのだろか?やや引っ込み思案な明日香と近藤さんは、確かに似ているような気がしなくもない。けれど、年齢だって背丈だって考え方だって違いすぎる。それに、同級生に妹を重ねるなんてひどいしおかしいと思う。

 でも、ほかに理由が見つからない。

 ただ、顔色が悪いから心配せずにはいられないだけ――その心配は、どこから来るのか。

 何か、何かが欠けている気がした。言いようのない違和感が僕の中に存在するように思えた。

 でも、それに手を伸ばそうとすればふっと消えてしまう。まるで、そんなものはただのまやかしであったというように。

 隣の席に人の姿はない。予鈴が鳴ったその時にも、まだ近藤さんは帰ってこなかった。

 大丈夫だろうか。大丈夫なはずだ。大丈夫ではないかもしれない。

 ねぇ、近藤さん。近藤さんはどうしてそんなに苦しそうにしているの?どうして僕にそれを隠そうとするの?僕は嫌われるような何かをしたの?もしそうなら教えてよ。

 心の中で彼女に問いかける。返事は来ない。

 しばらくして教室に先生が入ってきて、それと同時に近藤さんが戻ってきた。

 相変わらず顔色は悪くて大丈夫かと尋ねるけれど、僕が本当に望んだ返事は帰ってこなかった。

 そもそも、大丈夫と尋ねたった求める返事が返ってくるはずがないのに。

 何かをこらえるように手のひらに爪を立てる近藤さんを横目に、僕は全く集中でいないながらもただ板書を写し続けることになった。


 昼食の時間になって、クラスメイトはめいめいに行動を始める。

 購買に向かう人、その場で弁当を広げる人、机を運んで食べる相手と机をつなげようとする人、四限に出された宿題を解いている人。

 教室を見回し、それから何とはなしに窓の方を見る。現実から目をそらすように。

 教室の外、窓から見える景色は雨のせいで灰色にかすんでいた。重苦しく広がる真っ黒な雲は不吉で、帰りの時間にも雨が降っているだろうことを思うとますます憂鬱な気分になった。

 教室の中もまた雨のせいで全体的にじっとりとした空気が漂っていて、締め切られた扉を開いて外に出れば途端に冷たい空気が頬を撫でた。

 トイレから戻って席に着けば、そこには弁当を開くこともなく机に伏している近藤さんの姿があった。

 少しだけ毛先に癖が出た髪が、くるりと弧を描いていた。湿度が高いせいだろうか。

 その姿を見て、すぐに眠っていないと分かった。全身に力がこもっているのを感じた。腕をつかむ指が、近藤さんのきめ細やかな肌に食い込んでいた。その肩は、小さく震えていた。

 近藤さんから目をそらして、ちらと彼女に視線を送る北条さん――祈と目があった。近藤さんの体調の悪さを心配して、一緒に昼食を食べるのをためらっているみたいだった。

 突っ立ったまま視線を交錯させていた僕たちだったけれど、やがて祈が小さく噴き出した。途端にどこか緊迫したような空気は消え、肩からストンと力が抜けた。

 ……ああ、そうか。僕は今日、ひどく体に力が入っていた。また倒れるんじゃないかと近藤さんが心配で、何かをしなきゃと思うのに動けなくて。そのもどかしさから肩に力が入っていた。

 体が軽くなり、からからと笑う祈に笑みを返した。

 大きく目を見開いた祈が屈み、机の横に引っ掛けてあった弁当のカバンをつかんだ。反対の手には椅子を持つ。

 近づいてくる祈の顔は心なし赤いような気がした。

 ややぶっきらぼうに、けれど強い心配の念がこもった声で近藤さんに話しかける。

「……近藤はまだ調子が持ってないみたいだな?」

「そう、だね。……近藤さん、つらかったら保健室に行ってもいいんだよ?」

 いい、と聞き取れるかどうかといった小さな声が聞こえた。

「ほら、近藤。早く昼食にしよう?食べ損なうでしょ」

「……ごめん」

 また、小さな声。顔を上げることもせず、その代わりに一層強く腕が握られる。そんなに握ったら血流が悪くなってしまいそうだ。それに、痕がついてしまう気がする。

「お昼ご飯を抜くのはきついと思うけどなぁ」

「だな。まあ周りで食べていれば近藤だって食べようって気になるんじゃないか?」

 言いながら、祈が僕の机の前に椅子を置く。僕の弁当の反対側に自分の巾着を置いて座る。

 ……今日は男子同士で食べようと思っていたんだけれど、この状態で席を動くのはおかしいよね。

 すでに弁当を開き始めた祈の行動の早さに少しだけあきれながら、僕も座って弁当を開く。

「そういえばもう聞いたわけ?」

「ん?……ああ、聞いていないや。この調子だと近藤さんは厳しそうだけれど……ねぇ、近藤さん。実は祈と学校の図書室で一緒に勉強しているんだけれど、近藤さんも一緒にしない?」

「いい」

 今度は、ひどくはっきりと返事が返ってきた。その強い拒絶に、僕の思考は完全に停止した。

 体が小さく震えていた。それほどに、僕は衝撃を感じていた。

 ちらと、祈に視線を向ける。ジト目が僕に向けられていた……どういうこと?

 祈が小さくため息を漏らす。近藤さんがぴくりと肩を揺らす。

「近藤……いいの?」

 その言葉に対する返事はなかった。

 ただ、これまで以上に強く、強く、その腕を握りながら、北条さんは机に顔を伏せていた。


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