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15心配

 今日は、朝から奈津(ナッツー)の様子が変だった。

 顔は青白く、目の下には隠し切れない隈があった。けだるげに机に肘をついていた奈津は、なんだかひどく儚く見えた。

 体調が悪いのに無理しているのだろうかと確認したけれど、熱はなかった。触れて、そこで奈津はへにゃりと、緊張の糸が切れたように笑った。

 その姿を見て、小さく心臓がはねた。

 最近、わたしは奈津と話す機会が少ない。グループが違えばそんなものだけれど、少しだけ気にはなっていた。

 ここのところ、奈津少しだけ様子が変だ。いつもどこか集団から距離を置くようなところはあったけれど、最近ではそれが顕著になっている。まるで身を守るように、自分の殻に閉じこもっているように見えることがある。

 何かから、自分を守ろうとしている……何から?

 いじめ、という三文字が頭をよぎった。憔悴したような、気力の尽きた顔。

 ねぇ、大丈夫?確認するように再度尋ねるけれど、心配しなくていいとばかりに奈津は愛想笑いを浮かべて大丈夫だという。

 明らかに、大丈夫になんて見えないのに。

 けれど友人が呼ぶ声を聞いて、わたしは奈津から離れた。

 今になって、それを後悔している。

 朝。鐘が鳴ってしばらくしたとき、教室後方で椅子が倒れるような音がして、小さな悲鳴が響いた。

 慌てて背後をむけば、そこには主人を失ったテーブルの存在があった。奈津の席――とっさに立ち上がれば、床に倒れた奈津の姿が視界に入った。

 青ざめた顔。何かに苦しむように眉間に寄ったしわ。どこかが痛むのだろうか。

「近藤さん!?」

 悲鳴のような久徳君の声が聞こえた。奈津は返事をしない。青ざめた彼女は、ただ床に倒れたまま動かない。

 騒然となった教室で、わたしは保健委員としてしっかりしなきゃと思いつつも、ただの一歩も動くことができなかった。

 足が重かった。呼吸がうまくできなかった。奈津、ねぇ、奈津。冗談だよね。目を覚ましてよ、奈津。お願いだから、起きてよ、ねぇ。

 地面に縫い付けられたように動かないわたしをよそに、駆け寄った先生が奈津に触れる。先生に答えるように、小さく奈津がうめく。よかった、少しは意識があるみたいだ。

 けれど、一瞬だけ目を開けた奈津は、再び意識を失った。

 クラス委員長の水谷さんたちが、奈津を抱いて教室を出ていく。その背中を、青ざめた奈津の姿を、私はじっと見送るばかりだった。

 大丈夫だよね?病気とか、そういうのじゃないよね?ただの寝不足だよね?

 熱にうなされるように苦悶の顔をした奈津の姿が扉の向こうに消える。そうしてようやく、わたしはへろへろと倒れこむように椅子に座った。

 心臓が早鐘を打っていた。痛いほどに感じる焦燥を飲み込むように胸元の服を握りこむ。

 大丈夫。きっと大丈夫。

 落ち着けとそう言い聞かせても、わたしの中にうずまく恐怖と不安は消えてはくれなかった。

 長い、ひどく長い一限の授業の間、わたしはただ奈津のことだけを考えていた。今、奈津はどこにいるのだろうか。保健室?病院?熱はあるの?さっきはなかったけれど。

 ちら、と先生の目を盗んで後方を見る。奈津の席は、空いたまま。抜け落ちたその席を見るのは私だけじゃなかった。

 わずかに青ざめた顔をした久徳くんが、ちらと奈津の席を見ては黒板へと視線を映す。

 奈津。みんな奈津を心配しているよ。だからさ、もし何か秘密を抱え込んでいるなら教えてよ。わたしが、その重荷を少しでも引き受けてあげるから。

 再び前を向いて、ノートに板書を写す。その文字は一目でわかるほどに歪んでいた。


 一限の授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。授業終わりの挨拶もそこそこにわたしは教室を飛び出した。

 焦燥をにじませて走るわたしを、不思議そうに見つめる視線が集まる。けれど、そんなことは気にならなかった。

 駆け降りるように階段を下りる。走るなと注意する先生の声を振り切って、保健室へと向かう。

 扉の前、荒い呼吸を落ち着けながら心を静める。

 ノック。養護教諭の若い女性の先生の声を聞き、扉を開く。

「あの、近藤奈津さんはいますか?」

「ああ、彼女ならそこで寝ているわ」

 視線を追った先、閉じられた桜色のカーテンのほうへと無意識のうちに歩き出す。先生は止めなかった。多分、止められてもわたしは止まらなかっただろうけれど。

 そっと、カーテンの間から顔をのぞかせる。白いベッドで眠る奈津の顔色はよくない。けれど、先ほどまで見せていたような、苦悶をにじませる表情ではなかった。

「……よかった」

 安堵に胸をなでおろす。奈津はまだ、大丈夫。でも、まだ一人で苦しんでいる。

 カーテンの先へと踏み込み、そっと奈津の額に手を当てる。ぎょっとするほどに冷たい。恐怖が背中を走り抜け、思わず手を離した。

 奈津は反応しない。ただ小さく寝息を立てている。

 今度は、布団から覗く手に触れる。冷たい、けれど確かな熱がある。

 ベッドの脇にあった丸椅子に腰を下ろし、奈津の手を両手で包んで温めながらじっと寝顔を見つめる。

 友人のわたしが、奈津に手を指し伸ばさないといけない。何かを抱えているだろう奈津に、わたしが力を貸すんだ。

 覚悟を胸に宿すわたしを呼ぶ声がする。もう、次の授業が近い。

 慌てて保健室を出て、そこで足が止まる。

 扉の先、道をふさぐようにして虚空に手を伸ばした男子の姿があった。ノックをしようとした姿のまま止まっていた久徳君は、何かをこらえるように唇を噛む。

「近藤さんの様子はどうだった?」

「ストレスのせいじゃないかって。もし何度もこうして意識を失うことがあったら教えてって言われたよ」

「そっか……大丈夫、なのかな」

「大丈夫だよ。わたしが、何とかする」

 思っていた以上に強い言葉がわたしののどを震わせた。こぶしを握る。こみ上げる苦い感情を飲み込み、覚悟を胸に久徳君を見る。

 こうして奈津のところに来たあなたは、これからどうするつもりかと、視線で尋ねる。久徳くんは一瞬だけ顔をゆがめた。困惑、あるいは、痛みをこらえるように。

 逃げるように視線をそらした近藤くんが半歩先を行く。もう授業目前のせいか、もうほとんど人気はない。遠く、慌てて移動教室をしているだろう生徒が廊下を走る音が聞こえた。

「……柚木さんは、近藤さんのことがすごく大切なんだね」

「そうだよ。知り合ったのは中学校でだけど、三年間よく一緒にいたからね」

 友人たちの中でも大事な存在だ。そんな奈津と距離を作った。高校生になれば新しい友人関係ができるだろうし、その邪魔をしちゃいけないなんて、そう言い聞かせて。

 本当は、わたしが新しい生活に夢中で、大事な友人とのかかわりをおろそかにしただけ。

 そのせいで、奈津は何かを一人で抱え込んでしまった。ストレスで倒れてしまうほどに。

 先を行く久徳君に視線で尋ねる。あなたにとって、奈津はどんな存在なの?時々話しているのを見かけることはあったけれど、傍から見ていてその関係はただのクラスメイトのそれだ。

 少なくとも恋愛感情があるようには見えなかった。

 久徳君は、奈津のことをどう思っているの?

 それを訪ねることができるほどには、わたしは久徳君のことを知らなかった。気安い関係ではなかった。

 けれどもし、あなたが奈津の世界に踏み込む覚悟があるのなら。その時はわたしに手を貸して。わたしは奈津の友人。わたしの手が届く限り、この手は大切な人を捕まえ続ける。

 あの日にわたしはそう誓ったのだ。


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