王子妃なんて、やらなくて良いでしょう?
[シリアス]
※シンデレラ嬢〜とは違うテイストです。
(コメディではありません)
※12月18日夜 後半部分付け足し中幅改稿。ざまぁの解釈違いで皆さんを困惑させてしまって、大変申し訳ありませんでした!
「バラデュール伯爵令嬢! 偽りの聖女であるおまえとの婚約、今日をもって破棄とする!」
事が始まったのは、王立学園の卒業記念パーティーの最中である。その場にいた卒業生の大多数は『時と場所を選んでくれ』と心の中で思っただろう。不敬なので、あえて口には出さないが。
学園最後の祭事ということで、色とりどりの装いを纏った貴族の子息・令嬢と一部の特待生の平民の卒業生が居並ぶのは、煌びやかに飾り付けられた学園のホール。
そこで大きな声を響かせパーティーを台無しにしているのは、学年の問題児にして国の問題児でもある第三王子のシリル・ラクルテルだった。その右腕には、婚約者ではない令嬢が寄り添っている。
名指しで詰られた令嬢は、顔を上げすっと背筋を伸ばすと、集まっている生徒の中から前に進み出た。自然と他の生徒達が下がり、ホールの真ん中に人の輪が出来る。
「シリル殿下、このような場で何を仰っているのですか? 卒業したらわたくしたちは正式に結婚式を行う予定の筈ですが?」
強い声で受け応えたのは、華奢で小柄な少女、クロエ・バラデュール。蜂蜜色の瞳に、ふんわりと波打つ腰までの淡い珊瑚色の髪。小粒のルビーを差し色にしたパールの髪飾りに、金糸銀糸を刺繍に使ったシフォン生地を存分に生かした生成色のドレス。首元には複雑な意匠があしらわれた白銀色のネックレスが控えめに輝いていた。全体的なパステルカラーの色味が醸し出す愛らしい印象とは裏腹に、クロエは凛とした気配を纏い、ありえない場で常識外れなことを言い放った第三王子をその目でしっかりと見据えていた。
「先程言っただろう。婚約は破棄する、と」
「王命での婚約、その破棄を理由も経緯も分からぬまま諾と言う訳にはまいりません。仔細のご説明を、殿下」
蒼の瞳を細め、シリルはやれやれと首を振った。太陽色の金の髪が揺れる。我儘を言う子供を見下すような様子で吐き捨てた。
「理由ならある。おまえが、平凡な小娘でしかなかったからだ、クロエ」
「平凡?」
心外、と言いたげなクロエの表情を見て、ニヤリと意地の悪そうな笑みを唇に乗せ、シリルは軽い口で続きを喋り出す。
「バラデュール家に産まれる長女はここ数代内で最高の力を持つ大聖女となる、と二十年前に神託が下ったことはここにいる人間なら誰もが知っているな? その神託があったからこそ、第三王子の俺とおまえの婚約は結ばれたのだが」
その神託と、聖女クロエ・バラデュールの存在は、国にいるものなら誰でも知っている。彼女が聖女として神殿に行き、祈りを捧げていることは平民の間でも噂だった。今もクロエの首に光るのは、当代一の聖女が身に着けることになっている、聖なる護りだ。
「だが、現実はどうだ?」
ホールの一段高い場所から、シリルはクロエを忌々しそうに見下ろした。何も言い返さない彼女に、大袈裟に肩を竦め溜息をついてみせる。
「大聖女とは程遠い平均程度の魔力量、平均程度の魔法行使能力。ガッカリだよ。10年も縛り付けられていたのに結果がこれではね」
王命での政略婚約で縛り付けられていたのはクロエとて同じこと。聖女の義務も含めた聖女教育と共に本来なら受ける予定ではなかった王子妃教育も受け、それをしながらも友人と学生としての時間を過ごしたいと両親に懇願して学園にも通っていた。それこそ寸暇も惜しんで血の滲むような努力を続けてきたというのに、どうしてこの男は王族に生まれたという、ただそれだけで自分だけが被害者のように振る舞うのだろう。
「おまえが偽聖女だということを、分かりやすく示そうか?」
そう言ってシリルは懐から取りだした紙片を開き、ホールに向けて高々と差し出した。
シリルが持つ紙に注目が集まり、学生達が僅かにざわめく。流石に遠くて仔細は確認できないものの、それが何かに気付いた者達が、息を呑んだ。
「あれ、学園長室に保管されてる魔力・身体測定の記録紙だわ!」
「令嬢の記録を持ち出すなんて…!」
生徒会の役員だった令嬢や子息が顔を青くする。そのことに気付いた周りの生徒達が次々と顔色を変えていった。持ち主本人にとっては人目に触れさせるなど言語道断の数値の羅列である。特に令嬢にとっては、何よりも隠したいもの。そんな物を男性であるシリルが保管場所から強引に持ち出した上で公の前に掲げたのだから、まぁそうなるだろう。自分の話に夢中なシリルは周囲の目など気にもしていない。
「それは、生徒個人の情報です。誰の物であろうとそのような物を不用意に持ち出し、あまつさえ衆目に晒す行為など愚の極み。王族として…いえ、紳士たる男性として、恥ずかしいとは思われないのですか?」
クロエが語気を強めてシリルの行いを咎めるが、相手には全く響かない。
「偽の聖女だとバレたくなくて必死だな、クロエ。俺はもうしっかりと、確認済みだが」
生徒が貴族の子息や令嬢の王立学園においては、個々人の情報は悪用されぬよう厳重に管理される。身体や魔力の測定は一人ずつ半個室で行われるし、運動能力などは一部公にされるものもあるが、魔力に関する詳細などは他の生徒には秘匿されるような記述もある。
それ故に、その記録紙は本来は厳重に保管されており、必要な時にだけ教師が利用するのみ。学園の手伝いを行う生徒会役員も、自分のもの以外で記入されたそれを見る機会はない。そもそも本来外に出せるような物ではないのだ。それを婚約者の地位と王族特権を使って持ち出し、人目に晒す。到底許されぬ不快で愚かな行為だった。クロエは僅かに眉根を寄せ、不快感を示してみせた。
「おまえの魔力は入学当時から今まで、ほとんど伸びていないな。毎年測定しているが、まるで横這いでろくに上がっていない。貴族なら普通に持つ程度の魔力値だ」
チラリ、目線をやる先は右腕。そこにいるのは銀髪の美女。ここ暫く、シリルが彼女を傍に置いているのをクロエは知っていた。
「光魔法の行使と魔力量、どちらもおまえよりもここにいるオデットの方が優秀だぞ?」
シリルの腕に寄り掛かるオデット・アルナルディ伯爵令嬢は、サラリとした銀糸の髪に青みがかった紫の瞳が美しいといわれている令嬢である。魔法の腕も人より頭一つ抜けているという。聖女の魔法とも呼ばれる光魔法の適性があるのも珍しい。面食いが災いしてか決まった婚約者はまだおらず、婚約者探しをしている男子生徒の間で持て囃されながらあちらこちらと蝶のように舞う姿は、一部の令嬢の間では顰蹙を買っていた。どうやら今は、シリルの顔に夢中のようだ。
「大聖女様のお父様は、神殿に熱心にご寄付されていらっしゃるようですね?」
言外に賄賂でも贈ったのではないかと囁いて、オデットはシリルの横からクロエを挑発するように嗤った。
「婚約者だから歩み寄ろうと贈ったアクセサリーは着けた試しがない。贈ったドレスも袖を通さない。シリル様からそうお聞きしましたわ。なんでも聖なる護りと合わないから、と。首からぶら下げている聖女の証の首飾りがそんなに大事ですの?」
嘲りを込めた声に、クロエはキッパリと答えた。
「大事ですわ」
「聖女を騙っただけの女のくせに。おい、あいつを拘束しろ」
シリルの後ろに控えていた女騎士が命令に頷き、さっと飛び出すとクロエを後ろ手に捕らえた。生徒たちの中から、息を飲む者、小さく悲鳴を上げる者が出る。クロエの信奉者や友人たちだ。
「何をするのです」
抵抗するクロエに、シリルがゆっくり歩み寄る。息のかかる距離まで近くに寄られ、クロエは怖気に身を硬くした。
「もうこれは必要ないだろう。国と神殿の所有物だ、返してもらうぞ」
首に手を回され、留め金が外される。白銀のネックレスを奪うと、シリルはクロエからさっさと離れた。
「このような暴力、許されるとお思いですか!?」
捕らえられたままのクロエが声を荒らげたが、シリルは振り返らない。優雅に歩み寄ったオデットが自らのチョーカーを外しているのを見て、クロエは二人が何をしようとしているのか悟る。
「やめなさい! つけないで!」
「黙れ、クロエ。もうこれはおまえの物じゃない。今日からオデットが聖女で、俺の婚約者だ」
「そういうこと。偽聖女さまはお役御免よ」
シリルがオデットの首に聖なる護りをつける。留め金をかけ、位置を整えると護りは鈍くキラリと光った。
シリルとオデット、二人が並んでクロエに聖なる護りを見せつけようとしたその時に。ふいにオデットが、フラリと体を揺らした。
「なに…?」
小さく呟いた彼女は、みるみるうちに顔色を悪くし、立っていられずその場に崩れ落ちた。隣にいたシリルが慌ててその腕を掴む。
「どうした!?」
「なに、これ? 魔力の流れがグチャグチャになる、気持ち悪い、なんなの…!? これが聖女のアミュレットですって!?」
信じられないとでもいうように喚いて、オデットは護りを外そうとするが上手くいかない。シリルも手伝おうとするが、護りの放つ魔力に指を弾かれる。そこへ、漸く女騎士を振り払ったクロエが素早く駆け寄った。
「外しますわ!」
クロエが手を翳すと、パンッと何かが弾けるような音と共に、魔力残滓が白く煌めき、聖なる護りがオデットの首から外れて落ちた。
「助けて…頭が痛い、気持ちが悪いの…」
息も絶え絶えに訴えるオデットの手を両手で包み、クロエが小さく呪文を呟く。淡く小さい光が彼女たちを包み込み、数秒のちふっと消えた。
顔色を取り戻したオデットの背中を支えているシリルが、二人の顔を交互に見る。クロエは何事も無かったかのようにオデットの手を離すと、床の護りを拾い上げた。
「何が、起きた?」
ぽつりと声を漏らしたシリルに、クロエは半身振り返って呆れた声音で答える。
「ただの魔力酔いと魔力涸れですわ」
「魔力涸れ…?そんな、わたし、今までどんなに大きな魔法を使った時も、涸れたことなど一度もなかったのに…」
オデットは呟いて、ふと自分の身に起きたことを理解した。聖女の護り。その本当の役目とは。ふるり、と体が震えた。
「その護りは、ただのアクセサリーではないのね…?」
問いかけられたクロエは、小さく頷いた。
「この聖なる護りと呼ばれるネックレスは、単なる聖女の証ではありません。王家と神殿共有の古代魔導具です。装着者の魔力を吸収し、対になる魔導具に送る機能があるのです」
「なんだと…そんな話、俺は聞いていない…」
「わたくしの婚約者のあなたでしたら、陛下にお訊きすればすんなり教えて頂けたはず。ただの聖女の証として使うのであれば、この機能は使用されません。今はわたくし用に調整されているだけです」
本当にわたくしのことに無関心だったのですね、と溜息ともつかぬ息をふっと零し、クロエはその身の上に起こったことを話し始めた。
「確かに産まれた時から、いいえ、産まれる前から、わたくしは大きな魔力を持っておりました。ですが、あまりに大きな力は過ぎれば毒にもなるもの。魔力に体が耐えられるのかも分からず、医者にも首を横に振られるばかり。体が耐えられたとして、幼い精神で魔力が暴走でもすれば幾多の命を奪うやもしれません。それを憂慮していたわたくしの父と国王陛下と当時の大司祭様は、わたくしが産まれる直前に話し合いの席を持ち、わたくしの魔力の封印を決めていたのです」
クロエは手の平にある護りに目を落とす。喪われた技術で造られた白銀色のネックレスは、雑に落としたにもかかわらず細部まで歪みも壊れもしていなかった。
「結局、将来のことまで考えた御三方は、わたくしの魔力を完全に封印しませんでした。そうしてしまえば、その後魔力を操ることが難しくなるであろうと予測されたからです。そのため解決策として使われたのがアミュレットです。この聖なる護りという古代魔導具を使って、過剰分の魔力を吸い上げることで、年相応の魔力量に留めるように調整したのです。神殿にいる時には、魔力や魔法を無理なく行使できるよう、大司祭様自らが計らって下さっていました」
言われてみればと学友たちは思い返す。クロエは確かにいついかなるときであっても、そのネックレスを身に着けていた。魔力測定の時にも、外してはいなかったはずだ。
「月に一度は魔力測定を行い、護りの吸収する量を調整しておりましたので。先程の紙にある測定値は間違っていません。その数値になるように、設定されていましたので」
ところで、と切り替えて、クロエは未だぐったりとしているオデットを抱き抱えて床に膝をついているシリルを見下ろした。
「調整した魔力、つまりわたくしから溢れた魔力は、この魔道具が吸い上げたあと、対になる魔導具…神殿にある魔力を与える腕輪などへと転送され、そこで働く者たちに供給されておりました」
クロエは冷えた目線で第三王子を睨めつける。
「癒しや加護に惜しまず魔力を使える、通常なら魔力の足りぬ司祭でも必要なだけ魔法を行使できる、有力な司祭の居ない遠くの村や町でも魔力さえ届けられれば魔獣に襲われた者たちに手を尽くせると、神殿の司祭様や侍者様方からわたくし大変感謝されておりますが。シリル殿下は、わたくしの話を聴くために神殿に赴かれたことはございますか? わたくしが成長してゆくにつれ、神殿で使用する魔力ポーションの量が減ったことを、婚約者である王子殿下はご存知なかったのですか?」
全く動けないシリルを無表情で見ながら、クロエはやれやれと肩を竦めた。さて、と周囲を確認する。聖なる護りは外れてしまった。そろそろ神殿でも騒ぎが起きている頃かしら。そんなことを考える。
「大聖女を王家で囲いたいが為の、王命での婚約。正直わたくしシリル殿下のことは持て余しておりましたので、持ちかけてくださった婚約破棄のお話、喜んでお受けいたしますわ」
呆けた顔の第三王子を見下ろし、何かを思い出したようにクロエは両手を合わせた。言い忘れていたことを付け足す。
「そうそう、王命とはいえ元々父は婚約には乗り気ではありませんでしたのよ。なので婚約の誓約書に但し書きがあるのを、殿下は確認されましたか? 学園を卒業する十八の歳に、『お互いに』相応しい相手と認められたのならば正式に結婚、と書いてあるのですが。…ふふ、全然そんな雰囲気じゃありませんね」
何らかの処罰は免れないだろう。オデットを抱いたシリルは、青ざめた顔で床に視線を落とし口を噤んだ。
ドレスを翻してくるりと回って見せるクロエ。最後にダンスが出来なかったのは残念ですけれど、と独り言を言ったクロエは、ホールの出入口に見覚えのある司祭服を見つけ、聖なる護りを自身の首につけ直した。ご自身が駆けつけて下さったんですね、と呟く声は誰にも聞こえなかった。
「わたくし、明日からは本格的に神殿勤めですわ。神託の通りであれば、わたくしの本来のお役目は日々の安寧を祈り、大地を富ませ、皆様の幸せを願うことだと思うのです。ですので」
満面の笑みを湛えて、クロエは学友たちの顔を見回した。
「王子妃なんて、やらなくて良いでしょう?」
微笑んだまま僅かに首を傾げてみせると、最初は小さく、次第に大きな拍手が彼女に降り注いだ。煩わしいとずっと思っていた元婚約者をその場に残し、クロエは己に与えられた使命のために歩き出す。ホールの出入口から、着任して数年の若さと美貌で有名な大司祭がクロエを迎えるために大きく名を呼んだ。大司祭さま、と呼びかけるクロエの声は歓びを湛え、頬は薔薇色に輝いていた。
大司祭の横に並ぶとクロエは振り返り、彼女を称える生徒たちに祝福の光を降り注がせる。
「皆様にささやかですが祝福をお贈りします。国のため民のために、頑張ってくださいませね」
最後に一度、綺麗なお辞儀をしてみせて、クロエはその場を後にしたのだった。
◇ ◇ ◇
正当な聖女に独断で瑕疵をつけようとし、衆人環視の中で辱めた第三王子は王位継承権を剥奪された。王国と神殿共有の魔導具の所有を勝手に扱った件に関しても神殿から追求が入り、近く王城の敷地のはずれの塔に幽閉されるという。騒ぎに加担したアルナルディ伯爵令嬢は、謹慎後、行方が知れなくなった。
それらを傍らの大司祭に聞かされたクロエは、そうですか、と短く応えた。もう、その二人には興味を無くしていた。穏やかに微笑む彼がいれば、他の者など要らない。クロエは彼の名前を呼び、それを遠回しに告げた。大司祭はほんの少し困ったような顔をしたが、その耳はほんのりと赤く。見つめ合う美男美女。暫くして、彼はクロエの手を取ると、恭しく口付けを落とした。
学園の卒業と同時に神殿に上がった大聖女は、類稀なる力で国と民に多くの恩恵を齎したという。それこそ、王家の威光が霞んでしまうほどに。容姿端麗な大聖女と眉目秀麗な大司祭とが並ぶ姿は、その後何代にも渡って語り継がれるほど神々しく美しかったという。
お読み頂きありがとうございます!
いいね、★、感想頂けたら泣いて喜びます。
初稿ではクロエの退場シーンを綺麗にしたいが為に
王子と令嬢回りのの描写を省きすぎました。
そして省きすぎてざまぁが消えてしまってました。
改稿前のものを読んだ方には申し訳なかったです。
※オデット嬢は王子に辿り着く前にもやらかしがあったので、
家門の汚名を雪ぐために存在を抹消されたものと思われます。
※このお話での神殿の司祭(女神を祀る神殿の従事者)や聖女は結婚が許されております。
※結婚できないことで認知が広いのはキリスト教カトリック派の神父=司祭です。プロテスタントの牧師は結婚可能です。