第二話『水田』
去年、地球風邪で死んだ祖母は孫のグヌーに水田には化け物がいると言った。
「化け物?」
「そうだよ」
「それって地球人よりも怖い?」
「怖いよ。星の神が守ってくださるあいだは出てこないけど」
「じゃあ、神さまにいっぱいお供えしないとね」
「そうだよ。お供えが少なくなってしまったら、お前、絶対に水田に近づくじゃないよ」
地球人の兵隊は谷にあるいくつかの村を焼いていて、グヌーの住む村も何とか生き残れたが、家も家畜も失って途方にくれた人びとが寄り集まって掘っ立て小屋に住んでいた。
グヌーたちもふんだんに食べ物があるわけではないので、床屋のフジャンのように避難してきた人びとへ罵声を浴びせたりする人もいたが、ほとんどの人は明日の我が身だと思っているので、出来る限り親切にし、食べ物もめぐんでやったりしていた。
星の神はこうした善行を見ているのだから、自分たちの村だけは地球人たちが焼かず見逃すようにしてくれるかもしれないし、たとえ、自分たちの村が燃えて、他の村に行くことになったら、同じように親切にしてくれるかもしれない。
焼け出された人たちは地球兵の蛮行を恐ろしく伝えた。
母親たちはグヌーのような子どもたちがききわけが悪いと「地球の兵隊がやってきて、さらってしまうよ!」と脅かすくらいだ。
カママー村の百姓だった男は地球兵のなかでも一番恐ろしいのはシノビだと言った。
「シノビは目に見えない。だが、確実にそこにいて、風のように動きながら、人間を斬り殺す。その殺しの技があまりにも手早いので、殺されたものたちは自分が死んだことに気づいていないから、命のない人間が避難民のなかに紛れ込んでて、誰かがぶつかると、シノビがつけた切れ目の通りにバラバラになってしまったりするのだ」
母親たちは脅し文句を「いい子にしないと、シノビがお前をバラバラにするよ!」と格上げさせたのは言うまでもない。
地球軍の爆撃機が池に爆弾を落とし、星の神の祠にお供えできる魚が減ったからだろう。
ついにとうとう地球軍の兵隊たちがやってきて、グヌーの村を襲った。ゲリラと思われた村民や避難民が撃ち殺され、グヌーの両親と弟も殺された。地球兵は銃剣の先に赤ん坊を突き刺して笑っていた。
グヌーは水田のあるほうへは逃げなかった。怪物がいるからだ。
村のそばの漁師の小屋に隠れた。もう何年も使われていなくて、植物がいい具合に小屋を隠していた。
だが、グヌーが震えていると、その背後から冷たい風が吹き、ふり返ったとき、そこにはカママー村の百姓からきいたシノビが大きな刀を手にグヌーを見下ろしていた。
シノビは何も言わず、ただ見下ろしている。
まるでグヌーが人間に数えられていないかのような目で、そういうふうに人間を見ることのできる人間がどれだけ冷酷なのかは想像もつかなかった。
グヌーは叫び声を上げながら、シノビの横を走り抜け、地球兵たちがいないほう――水田のほうへと逃げた。
暗い夜道を燃える村が照らしている。
その灯りも届かなくなるころ、周囲は水田だけになってしまった。畝によって切り離された夜空の影が一面を覆い尽くし、それは山裾のほうまで広がっている。
ずぶ。
水田から音がした。
ずぶ。ずぶ。
魚の頭が、そして、鱗だらけの手が。
ずぶ。ずぶ。ずぶ。
グヌーをつかんで水田へと引きずり込もうとする。
グヌーは悲鳴を上げたが、半魚の化け物はヒレのような手をグヌーの顔にかぶせて息ができないようにしたまま、水田の泥のなかに引きずり込んだ。
泥のなかでもがく。自分は死ぬのだ。
そう覚悟すると急に泥が居心地のいい布団のように思えてきた。
意固地につかんでいたものを離すような感覚がやってきて、そのままグヌーは――
次の瞬間、グヌーは畝の上で泥を吐いていた。
その目の前には魚の頭があって、ヒッと体が縮まる恐怖を覚えたが、その目には生気がなかった。灰銀色に星々を写す刃に頭蓋を貫かれていたからだ。
先ほどのシノビがいる。
魚の頭に刺した刀を抜いて、お札だらけの鞘に納めると、グヌーのほうを向いて、人差し指を口元に持っていき、微笑んだかと思ったら、風とともに消えた。
全身、泥まみれのグヌーは立ち上がり、そして、来た道を見た。
村はまだ火柱を立てていた。
そのなかに彼の家族や友達、必死の思いでつないでいた生活があった。
カララン谷にゲリラたちの隠れ家があるのを思い出した。
志願すれば、グヌーのような少年にも銃の撃ち方を教えてくれる。
それに何より、飯が少し出るかもしれない。