#119 SIDEペルセホース:酒乱
「……だいぶ近づいてきたのう……」
直に草原に座り、ペルセホースは呟く。
動き出した『ダンジョンモンスター』が、岩が連なったような巨躯を揺らして歩く。
「酒が飲みてぇ……」
最初は遠目に見ていたものが、かなり距離を詰めてきていた。
だが、今はただのヨボヨボなご老人でしかないペルセホースには見ていることしかできない。
望むものは――
「お持ちしました! 大量のお酒です!!」
「待っとったぞ」
二輪の荷車を引いて、魔術師団の団員たちがやって来る。
積み荷はもちろん酒。
「ダンジョンで熟成していった瓢箪の酒も美味かったが……やはりシャバの青空の下で飲む酒は違うだろうのぉ!!」
「……えー、空は『闇』に包まれていて晴天とは言えませんが……」
「細かいこと気にせんでええんじゃ! ふぉっふぉっ、悪いがワシは飲むぞ!!」
何だかもう既に酔っ払いのように見られている気もするが、ペルセホースは酒を飲み始める。
それはもう浴びるように。
「か〜〜〜っ!! いい味じゃ!!」
赤ら顔になっていき、
「ふぉ……ふぉ〜〜ふぉっふぉっふぉっ!! ウィ〜〜〜ふぉっふぉっ!!」
「お、おい……本当にこの爺さま大丈夫なのか? ダンジョンの化け物が迫ってきてるが……」
「い、いや、あのルーク様やマコト・エイロネイアー様が信頼していた……はず……」
パワーアップする様子も見せず、座ったペルセホースは膝を叩いて笑っている。
モブ魔術師たちは――こんなことのために酒を運んだのか?
「王都が……どれほどの惨劇に見舞われていると……?」
「本来、酒なんか運んでいる場合では……」
「とにかく奴を迎え撃つぞ!」
「ウィ〜〜〜ッひゃひゃひゃ!!!」
笑いが止まらないペルセホースを見限って、魔術師たちはダンジョンモンスターへ向かっていく。
巨大な敵だ。人間など虫ケラ同然。それでも、
「〈アイス・バレット〉!」
「〈ウィンド・カッター〉!」
進行を続ける四本足。
前足の片方に狙いをつけて、氷漬けにして動きを止めようとしたり、風の刃や炎で岩を削ったり。
あの巨体には、雀の涙のような攻撃でしかないが……
「我々の国だ!!」
「命を投げ打ってでも……守るぞ!!」
全力で。決死で。必死で。皆が、サンライト王国を守りたい一心だった。
しかし敵は止まらない。
風など跳ね返し、氷など蹴散らし、悠然と王国の外壁へ向かって歩く。
「わ、我々では……やはりダメなのか……」
「諦めるな、攻撃を続けろ!!」
もう目と鼻の先まで近づいてきているダンジョンモンスターを、誰も止められないまま――
「〈酒乱龍王〉」
「「!!?」」
魔術師たちの後方から、野太い声。
信じられないほど筋骨隆々、顔だけ見れば老人なのはわかるが、その年齢はあまりにも肉体と釣り合わない……
「ペルセホース・メネフィオス……!」
「これがギルドマスターの真の姿か……!?」
魔法ではない。
長年鍛え続けた筋肉が普段は眠っていて、酒をトリガーに呼び起こせるだけのこと。
まるで保険をかけるかのように、年老いても若き頃と同様の力を解放することができる、それは神業だった。
「……!」
空気を震わせるほどの覇気に、魔術師団員たちは威圧されてしまいそうになる。
一歩、踏み出すペルセホースに対し、花道のように道を開けるしかなかった。
「ぬううううううう……」
腰を捻り、太い右腕を振りかぶって、
「〈破壊拳〉!!!」
――ぼふっ。
届く、わけがない。
敵はあれほどの巨体。大ジャンプしなければ顔に当たるわけもなく、もっと走らなければ足にすら届かない。
ペルセホースのパンチは、正面の空気を殴ることしかできなかった。
「……えぇ……?」
魔術師たちは、ひどく失望した。
同時に絶望が襲ってくる。
外壁を壊して侵入するつもりであろうダンジョンモンスターを討伐する、という国の命運の一つを握っていたペルセホース。
彼がやはり単なる酔っ払いジジイで、頼りにならないとなれば……
おしまいだ。
「……ウィ〜〜〜ひっひっひっ!! ウィほほほほほほ!!」
「「……!!」」
ムキムキの爺さんが、笑いながらも諦めたみたいに、どっかり座り込んで酒をあおる。
とうとうその筋肉すら縮んでいき、元のヨボヨボに戻っていって――
――びきっ。
「え?」
妙な音が、魔術師たちの耳に入る。
幻聴ではない。全員がお互いに顔を見合わせたのだから。
「まさか……」
見上げる方向は一つしかない。
――ビキッ、ビキッ! バキバキバキッ!
ダンジョンモンスターの歩みが止まり、その顔に当たる部分と思われる先頭の岩に、突如としてヒビ割れが起きて。
――バコンッ!!
破壊され、爆散する。真下の地面に岩の雨が降り注ぐ中、
――ボコンッ! ドゴンッ!
「え? えっ!?」
「うおお!?」
――バコンッ、ガゴンッ、ボコンッ!
前から順々に、連なった岩たちが爆発四散していく。
先程までの進撃が嘘のように棒立ちしていたダンジョンモンスターは、胴体のほとんどを失ってガタガタと四本足をフラつかせる。
「え……えぇ〜〜〜〜ッ!?」
「まさかさっきの拳で……!? いや、それ以外ないか!!」
モブ魔術師たちは、目玉が飛び出るほどに驚いていた。
時間差で判明したペルセホースの真の実力――彼の拳は文字通りに空気を震わせて、空高くまで強引に届かせてしまったのだ。
――ボゴンッ! ドゴゴォ! ドゴ、ボコォン!!
最終的には……残った足も上から順番に爆散していき、脅威でしかなかったダンジョンモンスターは、ただの瓦礫の山と化した。
「ぉ〜……ふぉっ、ふぉっ……酒は最高じゃ……シャバは、最高じゃな……」
荷車の酒がなくなるほど、短時間で飲みまくったペルセホースは仰向けに倒れる。
「老いぼれの仕事はここまでじゃ……あとは、頼んだぞ……マコト・エイロネイアーと愉快な仲間たち……」
もう世界は大丈夫だろうと確信している幸せそうな顔で、眠りにつく。
魔術師団員たちは尊敬の念を抱くとともに、恐れおののいた。
ペルセホース・メネフィオス。
かの英雄エバーグリーン・ホフマンや、現王国最強の魔術師マゼンタ・スウィーティー。
それに匹敵するほどの伝説的な強さを……こんな老人が持っていることに。




