1-3.悪戯好きな神出鬼没の少女
ファーメルンの街を行き交う賑やかな声。道行く人々の軽やかな足音に乗って、今日も神託を知らせるパルテール教会の透き通った鐘の音が街中に鳴り響く。
この鐘の音が聞こえてくるということは、時刻はもう既に午後三時を過ぎたあたりだろうか?
今日は久しぶりに身体をたくさん動かしたこともあって、すごくお腹が空いた。お昼も大分過ぎちゃってることだし……フィアだって顔には出していないけど、きっとお腹をペコペコにさせているはずだ。
お父さんもそろそろ家に戻ってるだろうし、ぼくたちも早いところ家に帰ろう。
「ふぅ……やっと着いたわね……」
街の中央広場に入るなり一度足を止め、メリーヌさんはその場で小さく息をつく。
突然襲いかかってきたループスの群を追い払った後、ぼくたちは何事もなく星見の丘から下りてくることができた。この辺りをうろついている魔物は今のところ、ループスといったように比較的弱い個体が多いみたいだ。
しかし、現状確認されていない危険な魔物も存在する恐れがある。特にここ最近は、魔物の狂暴化がより顕著だ。街の外に出かけるなら、用心するに越したことはない。
見た限り、メリーヌさんもアルフォードさんも表情に大分疲れが見受けられる。普段はきっと、屋敷内に箱詰めなのだろう。その上、魔物の群に襲われたともなれば、ここまで二人が疲れてしまうのも無理はない。
でも再び街に戻って来ることができて、ついさっきまで二人の身体にまとわり付いていた緊張感といったものがいくらか和らいでいるように感じられた。
「ふぅ……さて、あたしたちはこの辺りで失礼するわね。もしも何か困ったことがあれば、いつでも言ってちょうだい。できる限り、力になるわ」
「はい、その時は頼りにさせていただきます」
メリーヌさんから別れの挨拶を受けて、ぼくは微笑みながら軽く会釈をする。どんな時でも、挨拶は大切だ。
まあ個人的にはあまり人様のご厄介になることは避けたかったけど、メリーヌさんにだって貴族なりのプライドがあるはず。ここは素直に、メリーヌさんのご厚意を受け留めておくことにしよう。
「さぁアル、早いところ宿舎まで戻るわよ。あまり帰りが遅くなると、お父様もお母様も心配するでしょうし」
「はぁ……黙ってこっそり宿を抜け出した時点でみんな、すごく心配してると思うけど……」
「あら……今、何か言ったかしら……アル?」
「う、ううん! べ、別に何も言ってないよ、姉さん! あ、あはははっ! ははっ……ふぅ……それでは、僕達はこれで失礼します。お二人とも、いろいろとお世話になりました」
「えへへ、いえいえっ! 困ったときは『お互いさま』ですから! ねっ、フィオ?」
「うん、それにここ最近は特に『魔物の狂暴化』が加速してますからね。この街の中なら魔物に襲われる心配もほとんどないかとは思いますが……今の時代、いつ何が起こっても何らおかしくありません。お二人とも、道中お気をつけて」
メリーヌさんに対していろいろと愚痴をこぼしながらも、すぐさま気持ちを切り替えてぼくたちに別れの挨拶を送るアルフォードさん。礼儀正しくお辞儀をする様は、さすが上級貴族と言ったところだろうか?
こういう立ち居振る舞いは普段の生活から身に付くものだと思うし、家柄的に躾けもなかなか厳しそうだ。
ぼくも手を小さく振っているフィアと一緒になって、この場から離れていく二人の姿を静かに見送る。
こうして見ると、メリーヌさんもアルフォードさんもれっきとした姉弟なんだなぁ……。
正直言って、二人ともまるっきり正反対な性格だったけど、それでも……身体から滲み出る生まれ持った気質と言うか雰囲気といったものは、二人ともよく似ているような気がした。
「……行っちゃったね、フィオ?」
「うん……とりあえず街まで戻って来たことだし、もうぼくたちがいなくても大丈夫じゃないかな? 街の中なら魔物除けの『星芒魔術障壁』もあることだし、余程のことがない限り魔物に襲われる心配もないでしょ。それに上級貴族ともなれば、護衛の一人や二人いてもおかしくないだろうし」
「くすっ、それもそうだねっ!」
口元に軽く右手を添えながら、今もニコニコと楽しそうに微笑むフィア。陽の光を目いっぱい浴びて輝くフィアの笑顔が、何とも愛らしく見える。
それにしても、ループスの群か……。
確かクレイス遺跡へ向かう道中でも、何度かループスの群と出くわすことがあったっけ……?
ついこの前、ファーメルンの南西にあるフィーリンスの森から比較的規模の大きなループスの群が街のすぐ近くまで流れてきたという噂を聞いてはいたけど、いよいよもってその噂話も現実味を帯びてきた。
その証拠に、クレイス遺跡も星見の丘も街からそんな離れているわけではない。万が一、クレイス遺跡の周辺で出没したループスの群と今回星見の丘で出没したループスの群が、例のフィーリンスの森から流れてきたというループスの群だったとしたら……事態はぼくたちが思っていた以上に、かなり深刻な状況かもしれない。
特に群を統率する『クイーンの存在』があまりに脅威だ。これだけ大規模な群を率いているともなれば、群のリーダーである『クイーン』もまたそれ相応の力を有している可能性が非常に高い。その上、ファーメルンの街のような主要都市を取り囲むようにして展開されている『星芒魔術障壁』は、クイーンのような『上位クラスの魔物』に対してはあまり効果がないとも言われている。最悪の場合、魔術障壁を破って街の中まで魔物の群が侵攻してくる可能性もゼロとは言い切れない。
一応アリエータさんやヒューゴさんたちの話だと、近いうちに街の自警団を派遣して事実調査を行ない、しかるのちにループスの群を討伐するとのことだったけど……さて、どうなることやら……。
「んんぅ? フィオ、どうかした……? そんなコワイお顔までして……」
「あぁ……ううん、特に何でもないよ。それよりもフィア、ぼくたちもそろそろ家に帰ろうか? お父さんもきっと、お腹を空かせて待ってるだろうし」
「うんっ! ホントに今日はい~っぱい身体を動かしたから、わたしもうお腹ペコペコ! えへへ、はやくお家に帰ろう!」
ぼくの態度に一瞬表情を曇らせるフィアだったけど、すぐさまいつもの明るい笑顔が舞い戻る。
そして、再び家に向かって歩き出そうとしたその時だった。どこからともなくふわっとそよ風が吹いたかと思うと、クラアナの花の甘い香りと共に突如目の前に広がっていた色鮮やかな世界が一瞬にして、暗闇に閉ざされたのだ。
「クスッ……だぁーれだ?」
「……」
やけに耳にまとわり付く猫撫で声。目蓋を覆うその二つの温かな温もりに反して、ぼくの心はどこまでもどこまでも氷のように冷え渡っていく。
そんなぼくの気持ちを知ってか知らずか。ぼくのすぐ背後に取り憑いた『ソレ』は性懲りもなく、クスクスと小さく笑い声を上げながら再び耳元で同じ『コトバ』を繰り返す。
「ふふっ……だぁ~れだ?」
「……はぁ……ツィーネ、さっきからふざけたことしてないで、さっさと離れてくれない? 鬱陶しいことこの上ないし、ものすっごく暑苦しいんだけど……」
「アハハっ! もぉ~う、フィオーラ君は相変わらずつれないなぁ~!」
悪びれた様子もなく周囲におちゃらけた声が響き渡ったかと思うと、次に振り返った時には艶やかな金色の長い髪がぼくの頬を勢いよくかすめていく。
目の前に映り込む透き通った紫色の瞳。そして、にんまりとしたツィーネの顔。
ぼくは表情を引きつらせながらも突如、姿を現した彼女の姿をしっかり見つめる。
いかにも悪だくみを考えていそうな顔だ。これでも一応、彼の有名な五大家がひとつ『ファーメルン家』の四姉妹のお嬢様が一人『ツィオーネ・フォール・リヴ・クロット・ファーメルン』だと言うのだから驚きだ。
もっとも……出会い頭にこういった悪戯を仕かけてくるのは既にもう日常茶飯事だったけど、毎回ツィーネの奇妙な言動を目にしていると「本当に国を代表する五大家のお嬢様なのか?」とつい疑いたくなってしまう。
というか、ツィーネも相変わらず気配を押し殺して、何食わぬ顔で人の背後を取りにくるなぁ……。
まったく、油断も隙もあったもんじゃない……。
「くすくす……やっほー、フィアーナちゃん。そのびっくりとしたお顔、いつ見ても可愛いね!」
「そ、そうですか……? あ、あははは……ははっ……」
ツィーネの突拍子もない行動を目の当たりにして、未だに口を半開きにしたまま驚きの顔を隠し切れないご様子のフィア。そんなフィアに向かい透かさず、ツィーネは心底嬉しそうな笑みをこぼす。
何度この笑顔を見ても、ツィーネって本当『いい性格』をしてる。
もちろん、悪い意味で……。
「くすっ、フィオーラ君もフィアーナちゃんに負けず劣らずなかなか『可愛い』よ? それこそ、いつ見ても『女の子』と見間違えちゃうくらいにね!」
「あははっ! ねぇツィーネ、ソレ『本気』で言ってる……?」
「まっさかぁ~! もぉ~う、そんな怖いお顔してたら、せっかくの『可愛いお顔』が台無しだよ? 半分は冗談だから安心してねっ!」
つまり、半分は本気と受け取って良いのだろうか?
どちらにしても、人を小馬鹿にしているような言動には少しイラッとくるものがある。
でも毎回悪戯が終わった後に見せるほんの僅かな微笑みが目に焼き付いて、ついつい憎めなくなってしまうのもまた事実。悪戯好きがある意味、ツィーネの取り柄であると共に愛嬌なのかもしれない。
「はぁ……それで? 今日は一体、何の用なの? まさか、わざわざぼくたちをからかいにここまで来たわけでもないんでしょ?」
「クスクスッ……もちろんっ! あたしだって、そこまで暇を持て余してなんかいないよ?」
それじゃあ、どうして毎回のようにぼくたちに対して奇妙な悪戯を仕かけてくるのか。純粋に問い詰めてみたかったけど、普段からあっけらかんとしてるツィーネのことだ。まともな回答など、端から期待できないだろう。
「それで本題なんだけど……実はね、明日の買い物についてもう一度、何を買うかとか事前に確認しておこっかなぁ~って思って、二人のこと探してたんだよ」
「買い物……? あれ、なんかツィーネと約束してたっけ?」
ぼくはおもむろにフィアの方へ視線を移す。それにフィアは何だか少し呆れた表情で、小さく首をかしげる。
「もうフィオったら……もしかして、忘れちゃったの? パルテール教会の『ふれあい会』でみんなに贈るクッキーの材料とか、包装に使う袋とか飾り付けのリボンとか買いに行こうってこの前、ツィーネちゃんと約束してたでしょ?」
「あぁ~……言われてみれば、そんな約束してたっけ……」
「そうそう! そうだよ、そう! さっすがフィアーナちゃん! 今まで約束を忘れちゃってたフィオーラ君とはえらい違いだねっ!」
ここぞとばかりにぼくのことを軽く侮辱ってくるツィーネ。確かに約束を忘れてたぼくにも原因はあるけど、それでもやっぱりイラッとするものはイラッとする。
というか、そのニンマリと笑いながら何度もチラチラとこっち見てくるのはやめろと……。
「ということで! 大体買う物はまとめておいたから、この通りに買い物すればいいよね?」
「ん……そうだね、クッキーの材料なら雑貨屋『ジェーノ』でほぼ集まるだろうし、包装関係なら装飾店『フィーリンス』に行けば大丈夫でしょ」
ツィーネがまとめてきた買い物リストをざっと見た限り、特に問題はなさそうだ。予算に関しても当初の予定通り、しっかりぼくたち三人のお小遣いで賄える範囲に収まってる。
本当、いつもはあんなにあっけらかんとしてるのに、こういう取り決めごとになると途端にしっかり者になるんだから……。
その辺はさすが、由緒正しき『五大家のお嬢様』と言ったところかな……?
「あとは何時ごろに集合するかなんだけど……フィオーラ君とフィアーナちゃんは、何時がいいとか希望はある?」
「いや、特にこれと言って希望はないかな。ツィーネの都合の良い時間に任せるよ」
「うん、わたしもフィオと同じ。何時でもだいじょうぶ! ただ、朝早くだとちょっぴり辛いかもだけれど……」
「ふふっ、フィアーナちゃんは昔から朝が苦手だったもんね! それじゃあ……午前十時にここ、中央広場の噴水の前で待ち合わせってことでどう?」
午前十時に、この広場で待ち合わせか……。
確かにそれなら、普段から寝覚めの悪いフィアでも問題なく起きられるだろうし、万が一、寝坊したとしても家からそこまで離れていないから起きてすぐ向かうことができる。うん、この条件ならきっと大丈夫だろう。
ツィーネの提案に、ぼくもフィアもそろってしっかり頷く。
「くすっ、決まりだね! ということでフィオーラ君、あたしたちとの約束……破っちゃダメだぞ?」
「はいはい、ちゃんと約束は守るから早いところ帰ってどうぞ。診療所の手伝い、まだ終わってないんでしょ?」
「あはははっ! やっぱり、バレちゃってたか! でもまあ、確かにフィオーラ君の言う通りかな? さすがにこれ以上油を売ってると、フュール姉様たちからお叱りを受けちゃうもんね。うん、早いところ屋敷に戻るよ。ではでは、フィオーラ君もフィアーナちゃんもまた明日~!!」
「うんっ! またね、ツィーネちゃん!」
別れの間際、ツィーネは二カッと眩しい笑顔をぼくたちに贈り、そのまま流れるようにしてファーメルンの街の人込みの中へと消えていく。
本当、相も変わらず嵐のような存在だ。突然どこからともなく現れたかと思ったら、勢いそのままにふらっと去っていく。まったく、息をつく暇もあったもんじゃない……。
でも、なぜだろう……?
不思議と嫌な気分はしなかった。
「ツィーネちゃん、なんだか最近大変そうだよね?」
「まあ仕方ないよ。近頃は魔物の狂暴化のせいで、診療所に通う患者の数が日を追うごとに増えてるみたいだし。特に最近だと、王都-ファーメルン間のトンネル開通工事中にいろいろと問題が起きてケガ人も続出してるみたいだしね……」
ぼくもフィアもその場で一度、中央広場の向こう側に広がるメインストリートの先を見つめる。
この街路樹が立ち並ぶ、天然のアーチを携えたメインストリートを越えた先。そこには誰もが知るファーメルン邸が佇んでいる。
ファーメルンの街で唯一の診療所でもあるファーメルン邸。代々、薬品作りや治癒術に長けたファーメルン家の一族であるツィーネもまた、幼い頃からその診療所で家業の手伝いをしていた。
ぼくもフィアもたまに診療所の手伝いをしに行くから、その大変さはよく分かる。
普段から悪戯好きであっけらかんとしているツィーネではあったけど、そう言った事実を知っているからこそ、あの笑顔の裏側でいろいろ苦労してるんだなぁって……。
「あっ……! え、えへへ……!」
不意にフィアのお腹から「ぐぅ~」っと小さな鳴き声が上がる。
何だかフィアの顔が少し紅い。ぼくにお腹の音を聞かれたのがそんなに恥ずかしかったのだろうか?
先ほどまでぼくと一緒に神妙な面持ちでいたのがまるで嘘であったかのように、フィアは少し慌てながらも照れ笑いを浮かべている。その仕草一つひとつとってみても、可愛らしいの一言だ。
「ふふ……早く家に帰ってご飯、食べないとね?」
「うんっ! それじゃあフィオ、どっちが先にお家に着けるか競争しよう? もちろん、魔術は使っちゃダメだからね! 負けた方が一週間、家のお掃除当番だよっ!!」
「うん、望むところだよ!」
フィアが走り出したのを合図にして、ぼくも負けずと家に向かい勢いよく走り出した。