1-2.双子の兄妹
「星……海……」
その光景を目の当たりにして、ぼくは思わず小さな声でそう呟く。
眼前に広がる青い世界。新たな風が西方から吹き込むたびに白い雲がいくつにも連なって、純白の翼を大きく羽ばたかせるコルムバの群と共に、遥か地平線の彼方へと静かに流れていく。もう少し先の空を見つめてみれば、まだ真昼であるにもかかわらず数多の星々が宝石のように美しく煌めいている。
そして、世界をぐるっと一周するようにして廻る星の架け橋。その発生源となる星海(フェリラル=プレマ)を越えた先には『幻の大陸』が存在するという話を以前、お父さんから聞いたことがあった。
もっとも……辿り着けた者は今のところ、誰一人としていないらしい。
今もなお、世界の起源が眠っていると言われる『幻の大陸』……。
考古学者であるお父さんはその「幻の大陸に降り立つこと」が長年の夢だった。
それは、今でも変わらないこと。だからなのか……お父さんのそんな背中姿を見て育ったぼくたち兄妹もまた、知らず知らずのうちに星海を越えた先にある『幻の大陸』に強い憧れの気持ちを抱いていたのかもしれない。
「すごく幻想的な景色だよね……わたしもここから見る景色が大好き」
「ぼくもだよ、フィア。ふふっ……やっぱり似た者同士なのかな? ぼくたちって……」
「くすっ……もうフィオったらヘンなの! 似た者同士もなにも、わたしたち……『双子の兄妹』でしょ?」
「あはは、それもそうだね」
ぼくたちはお互いに、目と目をしっかりと合わせて無邪気に笑い合う。
確かにフィアの言う通りだ。ぼくとフィアは『双子の兄妹』であって、それこそ写し鏡のような存在。多少なりとも性格は違っていても、髪型一つ揃えてみればお父さんですら見間違えてしまうほどそっくりだ。瞳の色だって左右逆になるだけで、基本は見分けが付かないほど瓜二つ。あとはぼくが男の子で、フィアが女の子であること以外にさほど違いはない。
だから考えていることもすごく似ていて、お互いに話を切り出すタイミングもほぼ同じだった。
「フィア、そろそろスピカの花、摘もうか?」
「フィオ、そろそろスピカのお花、摘もう?」
『あっ……』
そこで再び、お互い顔を見合う。本当にぼくとフィアの相性は、バッチリだった。
「えへへっ……それじゃあ、この辺りでスピカのお花摘もう!」
「うん、そうしよっか。二人で手分けして摘めば、そんなに時間もかからないだろうし……あっ、一応この辺りにも魔物が出るって話だから念のため、あまり離れないようにね、フィア?」
「うんっ! それじゃあ早速、スピカのお花を……」
『ワォォオオオオンッ!!』
突然フィアの声を遮るようにして、穏やかな空気に包まれていた丘に戦慄が走る。
どこからともなく聞こえてくる、耳をつんざくようなけたたましい遠吠え。怒りと飢えに本能を剥き出しにしたかのような獣の雄叫びが、幾度となく頭の中で木霊する。この耳に飛び込んでくる凶悪な叫び声に、ぼくもフィアも段々と表情を強張らせていく。
「ね、姉さんっ! ちょっと待って!!」
「ほら、アル! ループスの群がすぐそこまで来てるのよ!? 泣き言なんて言っている暇があるなら、つべこべ言わず早く走りなさいっ!!」
魔物たちの怒り狂った声とはまた違う、ぼくたちと同じ人の声が二つ。ぼくもフィアもすぐさま、声の聞こえてきた方角へ視線を向ける。
どうやら、あの二人が先ほど聞こえてきた声の主のようだ。黄色いワンピースを身に纏った気の強そうな女性が長い亜麻色の髪を振り乱し、なりふり構わずこちらへ真っ直ぐ向かってくる。そのすぐ後ろには、深緑色に染まった上着を激しく左右に揺らめかせながら必死に走り続ける少年の姿もあった。
しかし、一番の問題は二人のすぐ背後に迫る、黒い毛並みを大きく逆立てた何匹ものループスの群だ。今にも二人に襲いかかろうと言わんばかりの勢いで、鋭く尖った白い牙を激しくギラつかせている。
このままでは二人の命が危ない……。
逃げてくる二人を助けるためにも、ぼくたちはその場でグッと身構える。
「フィア、いくよ!」
「うんっ! 二人とも! 危ないから伏せてください……ッ!!」
「あ……ッ!? アル、伏せるわよ!!」
「えっ……ちょッ!?」
「んっ……! 降り注げ、氷の刃!!」
さっきまで無我夢中で必死になって走っていた二人がフィアの詠唱に気づき、すぐさまその場に身を伏せる。
二人の姿が花畑の中に消えるのとほぼ同時、フィアの周囲からいくつもの氷の刃たちが一斉に姿を現す。
「キュアンッ!?」
周囲の大気を凍てつかせながら突き進む氷の刃たちは真っ直ぐ風を切り裂き、ループスたちに向かって勢いよく吸い込まれていく。
しかし、向こうもタダでやられるほど馬鹿ではない。降りかかる氷の刃たちを視界に捉えたループスたちもとっさに進撃を止める。
ループスたちの足元に深々と突き刺さった氷の刃。そびえ立つようにして生まれた氷の柱はまるで鏡のように、魔物たちの狂暴化した姿を鮮明に映し出していく。
「ガルルゥゥ!!」
「させないっ!」
「キュアンッ……!?」
ぼくは左手に意識を集中させ、練り上げた魔素から黒銀の大鎌を召喚する。そして、未だに我を失ったまま牙を無造作に突き立ててくる一体のループスに向かい、渾身の一撃を振るった。
刃の付いていない側で懐を捉え、ループスの身体は軽々と宙に打ち上げられる。いくら強靭な肉体を持っていてもこの一撃にはさすがのループスでも耐え切れず、大地に打ち付けられる直前で受け身を取るも既に戦意を喪失しているように見えた。
それは他の仲間たちも同じようだ。さっきまでいきり立っていた長い尾も、今ではもう弱々しく横に振っている。
そして、今の自分たちの力では勝てないと踏んだのか……。
ループスたちの群は早々にぼくたちの前から姿を消していったのだった。
「ふぅぅ~……フィオ、これで終わったかなぁ?」
「……うん。周囲にもう魔物の気配は感じられないし、どうやら終わったみたいだね。我を失っていたみたいだけど、すぐに退いてくれて本当に助かったよ」
いくら狂暴化して我を失った状態であっても、防衛本能までは失われていなかったようだ。再び舞い戻ってきた穏やかな空気に当てられて、ぼくもフィアもその場でほっと胸を撫で下ろす。
ループスの群も立ち去り、さっきまで魔物に追われていた彼らも安心した様子で息を整えている。ぼくは大鎌を再び魔素にして大気中に還すと、フィアと一緒に彼らのもとへ歩み寄った。
「ふぅ……助けてくれてありがとう、礼を言うわ。本当、魔物の群に襲われた時はさすがにあたしも死を覚悟しましたわ……ほら、アルもしっかりとお礼を言いなさい?」
「はぁ……元はと言えば、姉さんが『街の散策に出かけるわよ!』だなんて言い出したのが原因なのに……本当にすみません。改めて、助けていただきありがとうございます」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから。とりあえず、二人とも無事で良かったです。ねっ、フィア?」
「うんっ! 見たところ、お二人とも特にケガもないみたいで本当によかったです!!」
フィアの言う通り、二人とも特にケガもしていないようだし、本当に良かった。最近は動物たちの魔物化が急速に進んでいたから、こういった出来事も既にもう日常茶飯事となっている。
だから、自分の身は自分で守れるくらいでないと何かと大変だ。今までの様子を見た限りだと、この二人はおそらく『守る側』というよりむしろ『守られる側』の存在なのだろう。装いとか雰囲気とかもどことなく、貴族のそれによく似ていた。
「それにしても驚いたわ……見たところ、まだ幼いのにあなた達は魔術を扱えるのね? 話には聞いていたけど、まさかこんな形で魔術を見ることになるなんてね……自己紹介が遅れたわ。あたしの名前は『メリーヌ』。『メリーヌ・エル・フリクセル・カトレット』よ。それでこっちが、不肖の弟の『アル』」
「ふ、不肖って……まったく、姉さんはいつも……はぁ……改めて、僕の名前は『アルフォード』。『アルフォード・エル・フリクセル・カトレット』と申します。以後、お見知りおきを……」
二人の姉弟は改めて、丁寧な面持ちでぼくたちに向かい挨拶をする。
『エル・フリクセル・カトレット』
なるほど……話し方と言いこの物腰と言い、道理で二人からどことなく上品な雰囲気が漂ってくるわけか。さっきからずっと不思議で仕方なかったけど、ようやく合点がいった。
「あ、あれ……? 『エル・フリクセル・カトレット』って……ねぇねぇフィオ、どこかで聞いたことなかったっけ?」
「フィア……聞いたことあるもないも、この方々はおそらく……五大家のひとつ『ファーメルン家』の旧友でもあり、ここディズリッド国の建国から現在に至るまでの歴史を記録し続けてきたことで有名な、あの『カトレット家』の一族だよ」
「えぇっ!? 『カトレット家』って確か……ファーメルンの街の隣にある、月影満ちる祈りの聖都『トリステス』を統治されている、あの!?」
ディズリッド国に住んでいれば誰もが知っていた。ここディズリッド国の建国から現在に至るまでの歴史を記録し続ける上級貴族のひとつ『カトレット家』。実際にこうして話すのは初めてだったけど、思っていた以上に話しやすい人たちで安心した。
おそらく、貴族も一概に同じというわけではないのだろう。ぼくが知っている限り、ディズリッド国を代表する五大家のひとつ『ファーメルン家』の人たちも貴族の割には、分け隔てなく誰に対しても優しかったし……。
「ふふっ、そこまで大それた存在でもないわ。単にたまたま偶然あたし達の祖がここ『ディズリッド国』の建国に携わり、ひょんなことから国王陛下より国の歩んだ軌跡を歴史書として作成するよう賜っただけのこと。大して偉いことなんか何もしてないわよ。むしろ、面倒くさいことの方が多いくらい……貴族だからって時には変に着飾らないといけないところもあるし、立ち居振る舞いとかも結構うるさいし、何より……婚姻だの世継ぎだの見合い話だの、ごちゃごちゃゴチャゴチャとほんっとぉ~うにうるさいのよねっ! まったく、お父様もお母様も結婚する相手くらい自分で見つけるって言うのに、本当しつこいんだからもう……っ!!」
『……えっ?』
急にメリーヌさんの態度が一変して、ぼくもフィアもあまりの豹変ぶりに思わず言葉を失う。
何だか後半からよく分からないことを口走ってたみたいだけど、メリーヌさんのこの険しい表情から察するにあまり触れてはいけない話題だということは何となく想像がつく。それはフィアも分かっているようで、ぼくと同じように呆気に取られながらも小さく苦笑いを漏らしている。
ただこの場で誰よりも困った様子で頭を抱えていたのは、他でもないアルフォードさんだった。今も苦々しい表情を浮かべながら、深々と溜め息をついている。
「はぁ……また始まったよ、姉さんの悪い癖……ああ、お二人とも気にしないで下さい。コレ、いつものことなので……あっイタッ!?」
『えぇっ……!?』
アルフォードさんが文句を垂れるや否や、透かさずメリーヌさんが目にも留まらぬ速さからアルフォードさんの背中目がけて鋭い手刀を入れる。これにはぼくもフィアも驚きを隠し切れない。
しかし、アルフォードさんに凄まじい勢いで手刀を入れたメリーヌさん本人はと言うと……あたかも何事もなかったかのように、今も何食わぬ顔をして毅然とした態度を取っていた。
な、なるほど……この感じからして、アルフォードさんはかなりの苦労人のようだ。おそらく、普段からお姉さんであるメリーヌさんの尻に敷かれているのだろう。
でもこれ以上のことは人様のプライベートにも関わることだし、変な詮索はこの辺りでやめておこう。誤ってこっちにまで飛び火したら、それはそれで面倒……じゃなくて、大変だし……。
「んっんぅ! ふぅ……まあそれはそれとして、これも何かの縁だわ。良ければ、貴方たちのお名前もお聞かせ願えないかしら?」
気を取り直して、メリーヌさんがぼくたちに向かい名前を尋ねてくる。向こうが名乗ってきた以上、ぼくたちも名乗り返すのが礼儀というモノ。
ぼくもフィアもお互いに静かに頷き、そして再び真っ直ぐ二人の目を見つめた。
「はい、ぼくの名前は『フィオーラ・バーンズ』」
「わたしの名前は『フィアーナ・バーンズ』」
「ぼくとフィアは……」
「わたしとフィオは……」
『双子の兄妹ですよ』