0-2.遺跡の守護者
「ね、ねぇフィオ……わたしの気のせいかなぁ……? なんだかよくわからないけれど……さっきからね、なんか『ヘンな音』が聞こえるの……」
「フィア……たぶんそれ、気のせいなんかじゃないよ……」
「えっ……そ、それじゃあ……フィオも……?」
フィアの問いかけに、ぼくは黙ったまま静かに頷く。
聞こえる……確かに聞こえてくる。耳を澄ませば澄ますほどジリジリと何か物の軋む音が波紋となって、何度もなんどもしつこくぼくたちの脳裏を揺さ振るのだ。しかもその勢いは留まるところを知らず、今ではもう部屋全体にまで及んでいる。
一体この場で、何が起ころうとしているのだろうか……?
先の見えない不安と恐怖にぼくもフィアも思わず身を寄せ合い、その場でじっと立ち尽くしてしまう。
でも……微かに感じる、この魔素の波動……。
間違いない。
ここにはぼくたちの他にも『何か』がいる……。
「う、うぅぅっ……本当になんなんだろう? この音……」
「分からない……でも、何だかすごく嫌な予感がする……」
ぼくたちは大気を震わせるこの不気味な音の正体を突き止めるべく、周囲に意識を研ぎ澄ませていく。
耳に響いてくる音は、決して一つじゃない。少なからず、二つ以上はある。
音が聞こえてくる方角は、ぼくたちの後ろから……。
いや、違う……。
壁に反響していることも考えれば、音の発生源は――。
「ま、まさか……!?」
「ねぇフィオ! あ、あの石像っ!!」
「まずい……っ! お父さんっ!!」
ぼくは必死になって叫んだ。でも肝心のお父さんはぼくたちの気も知らないで、その場から呑気に立ち上がる。
「ん……どうしたんだ二人とも? 急にそんな、目を血走らせちまってよ……」
「お願いお父さん、早くそこから離れてッ!!」
「お、おいおい……!? 本当にどうしちまっ……」
「あぁっ!? おとうさん、あぶない……ッ!!」
「な、なぁ……ッ!?」
フィアが大声を上げた次の瞬間。
突如動き出した二体の巨大な石像が、壁画の前に立っていたお父さんに狙いを定めて勢いよく豪腕を振るう。
一瞬にして舞い上がる土ぼこり――。
耳元を突き抜けていく激しい怒号――。
――そして、今も遺跡全体を大いに揺るがす凄まじい衝撃の波……。
二体の石像から繰り出されたずっしりとした重みは硬い床なんか軽々と砕き、粉々になった破片が轟音と共に弾け飛んでいく。
目の前で起きた、ほんの一瞬の出来事。ぼくもフィアも未だに何もできないまま、ただ茫然とその場に立ち尽くしてしまう。
「ゲホッゴホッ……! くっそ……危ねぇあぶねぇ!! 危うくミンチになるところだったじゃねぇかッ!?」
段々と不穏な空気が漂い始めたその時。
土煙に紛れて文句を垂れるお父さんの大きな影が、ぼくたちの眼前にその姿を現す。
「お、おとうさんっ!!」
「お父さん、大丈夫っ!?」
「ったく……ああ、お前たちのおかげで何とか助かったぜ! だが……まずはあいつらをどうにかしねぇと、落ちおち話もしてらんなそうだなッ!!」
心配して駆け寄ってきたぼくとフィアに二カッと笑ってみせたのも束の間。お父さんは腰に携えていたナイフを握り締めると、鋭い剣幕でゴーレムたちを睨む。
その目付きは先ほどまでのひょうきんな態度とは比べ物にならないほど、まったくの別人……幾多にも渡って死地を潜り抜けてきた、勇ましい父の姿となっていたのだ。
ぼくもすぐさま左手に意識を集中させて大鎌を召喚し、戦闘態勢に移る。フィアもぼくたちに寄り添うようにして、前方の敵に意識を集中させていく。
『警告、警告……! 遺跡内ニ侵入者ヲ確認……! 生体反応ハ延ベ三体、ウチ二体ヨリ強大ナ魔素反応ヲ検知……! 情報ヲ分析……警戒レベルヲ3カラ7ニ移行、直チニコレヲ殲滅セヨ……!』
『命令ヲ受理……直チニ殲滅ヲ開始スル……!』
「な、なんだか……怒ってる、みた……い?」
「いや、怒ってる……というよりはむしろ『機械的』な反応だね……ねぇお父さん、あれは【クレイゴーレム】?」
「ああ、そうみたいだな! だが……どうもただの【クレイゴーレム】じゃなさそうだ。おそらくは遺跡を守護するために特化された【守護者型のクレイゴーレム】と言ったところか……まったく、与えられた命令でしか動けない『ポンコツ野郎』が……初対面の相手にはまず『初めまして』だろうよ!?」
「あっ! おとうさんッ!?」
「ちょ、ちょっとお父さん何してッ!?」
ぼくたちの制止なんか耳にも留めず、大地を勢いよく蹴り上げ、お父さんは真っ直ぐクレイゴーレムに向かって突っ込んでいく。
あまりにも計画性のない行動に、ぼくもフィアも呆気にとられてばかり……ひたすら、前方で繰り広げられるお父さんと守護者たちの熾烈なぶつかり合いを、見つめることしかできない。
「くっそ! さすがに特注品は、硬さが段違いだなっ! おいッ!!」
守護者であっても、土塊人形には変わりない。だから動きもかなり鈍く、お父さんの軽快な身のこなしをもってすれば、何事もなく攻撃だけならかわすことが可能なはず。
でも表面を覆う外壁が硬すぎて、ナイフの刃が通らないとなると……劣勢を強いられるのは、明らかにお父さんの方だ。
「お、おとうさん……ッ!!」
「まずい、このままじゃ……フィア、ぼくたちも行くよ!」
「う、うんっ!」
「おい、待ちなっ! 俺ならこの通り、まだまだピンピンしてるぜ!? それよりもフィオーラ、フィアーナ!! 俺がこのまま奴らの注意を引く! その間に……このデカブツ共に向かって、お前達の得意な『魔法』を思う存分ぶちかましてやれッ!!」
お父さんの言葉を聞いて、ぼくもフィアも出しかけた足をすぐさま止める。
もしもクレイゴーレムたちの注意をお父さんが一手に引き受けてくれるなら、ぼくたちの魔術詠唱を止められる者はこの場に誰もいない。クレイゴーレムたちに向かって魔術を行使するとなれば、できる限り弱点に特化した属性で攻めていくべきだ。
あいつらは粘土から生み出された操り人形……乾燥に弱く、ひび割れの生じた身体は非常に脆い。そうなると、この場は『火系統の魔術』をけしかけるのが得策だ。
でも相手は二体いる。確かクレイゴーレムには別に『水を吸収する性質』を持っていたはずだ。それなら、もう片方はフィアに任せるべきだろう。
「フィア……片方はお願いできる?」
「うん、もちろんだよっ! わたしにまかせて!!」
「よし……」
ぼくは両手で大鎌を強く握り締め、前方に向かって意識を集中させていく。
深呼吸を繰り返し――。
乱れた心を落ち着かせ――。
――大気に漂う魔素を全身で感じ取る。
あの大きな土塊すらも呑み込む、全てを無尽蔵に焼き尽くす紅蓮の焔を身に纏った巨大な狼。
その姿を目の前に立ち塞がるクレイゴーレムの影と重ねて、ぼくはその言葉を口ずさんだ。
「邪狼よ……紅蓮の焔を纏いて牙を剥け!」
ぼくの呼びかけに大気は震え――。
大地より展開された紅い魔法陣が猛々しく閃光を解き放ち――。
――紅蓮の焔を身に纏った巨大な狼が姿を現す。
『グルルゥ……ワォォォオオオオオオオンッ!!』
そして、周囲に溢れんばかりの火の粉を撒き散らしながら、お父さんに襲いかかろうとしていたクレイゴーレムの巨体を頭から勢いよく呑み込んだ。
「……損傷率、90パーセント以上……装甲ニ、異常ガ発生……」
今もなお、真っ赤な業火に身を焼かれるクレイゴーレム。なす術もなく燃え上がっていく巨体を静かに震わせながら、そのまま大地に激しく膝を付く。次第に炎の勢いは弱まっていくも、黒く焼き焦げたクレイゴーレムの身体には至る所にひび割れが生じている。
「――情報ヲ、分析……自動修復機能ガ、10パーセントマデニ低下……コレ以上ノ、戦闘続行ハ不可能ト判断……速ヤカニ『自爆』行動ニ移行スル……」
「じ、自爆っ!? まずい……急いで、お父さんッ!!」
「おうよっ! そのまま、粉々に砕けちまいな……ッ!!」
言うが早いか。お父さんが腰からもう一本のナイフを手に取り出し、今にも自爆しようとしていたクレイゴーレムの懐に潜り込む。何度もなんども目にも留まらぬ速さから繰り出される斬撃は、その一撃いちげき全てが正確にひび割れたクレイゴーレムの身体を引き裂き、瞬く間にその巨体は粉々に砕け散ったのだ。
「すぅぅ……ふぅぅ……すぅぅ……恵みの水よ、我が声に従いて激流となれっ!!」
続けざまにフィアの魔術詠唱が完了するとほぼ同時。足元から広がっていく青い魔法陣が、もう一体のクレイゴーレムの頭上にも現れる。そして、そこから勢いよく大量の水が降り注いだ。
あまりに突然の出来事に回避することもままらなかったクレイゴーレムの巨体は、段々と水気を吸って粘土本来が持つ茶の色に戻っていく。硬かった装甲も大量の水を含んだことで見る見るうちに柔らかくなり、歪んだ二本の足では重量の増した自身の身体を支えることもできなくなってしまう。
しまいには、グシャッと足元から大地に崩れ落ちた。
「――フィオ、今だよっ!!」
「うん……っ! 大気に渦巻く狂風の調べよ、我に仇なす敵を討て……ッ!!」
フィアからバトンを受け、透かさずぼくがとどめとして、大気を収束させた六つの砲弾を一斉に解き放つ。
多量の水を含んだ上、身動きの取れなくなったクレイゴーレムはまさに恰好の的。着弾と同時に吹き荒れる強烈な爆風が、遺跡内を一気に駆け抜けていく。
そして……次にぼくたちが見た時には、クレイゴーレムの姿なんて跡形もなく弾け飛んでしまっていた。
「ふぅ……何とか終わったみたいだな。まったく、やれやれだぜ……」
敵の影がもう周囲にないことを確認し、小さく息を吐きながらお父さんはそっとナイフを元の鞘にしまう。
本当に一時はどうなるかと思ったけど、ぼくたち三人の連携がうまく決まったことで無事に切り抜けることができたようだ。ぼくもフィアも少しずつ警戒を解いていき、ゆっくりお父さんの元へと歩み寄る。
「もう、お父さんったら……相変わらずなりふり構わずひとりで突っ走ろうとするんだから……」
「あ、あっはっはっは……! 悪いわりい、頭ではちゃんと分かってるつもりなんだが、つい身体が勝手に動いちまってな……長年染み付いた癖ってもんは、案外バカにできないもんだわ! しっかしまあ、まさかあのタイミングで守護者共が目を覚ますとはなぁ……いやぁ~、マジでお前達がいてくれて助かったわ~!」
「お、お父さん……それ、本気で反省してる……? 今回はぼくとフィアがいたからどうにかなったけど、もしもいなかったらどうしてたの……?」
「あ、あははは……と、とりあえず! みんな無事で本当によかったね!! ほ、ほらっ……フィオもいつまでもそんな怖いお顔してないで大鎌をしまって、落ち着いて……ねっ?」
「……はぁ……まったく、お父さんは本当にしょうがないんだから……」
何度もフィアになだめられて愚痴をこぼしながらもぼくは、ようやく大鎌を再び魔素に換えて大気中に還す。
よく考えてみれば、こんなところで怒って余計に体力を消耗するのも馬鹿ばかしい話だ。お父さんがこういった性格なのも既に知っていたことだし、今更何を言っても直るわけがない……。
「まあいろいろとあったわけだが……これでようやく、俺たちの役目も終わりだな! 後の細かな調査は……とりあえず、王室の研究者連中にでも任せるとすっか……さてさて、そんじゃフィオーラもフィアーナもそろそろ街に戻るぞ!」
「うんっ! お昼も大分すぎちゃってるみたいだし……身体もいっぱい動かしたからわたし、もうお腹ペコペコ!!」
「おうっ! 帰ったら即行、メシにしようぜ? まあ実際に作るのは『フィオーラ』だがな、あっはっはっはっは!」
フィアとお父さんはお互いに笑い合って、そのままゆっくり部屋から出ていこうとする。でもぼくは未だにその場で立ち尽くしたまま、黒猫の姿を探し続けていた。
さっきの騒ぎに紛れて、どこかへ逃げ出してしまったのだろうか……?
辺りをくまなく探してみても、黒猫の姿はどこにも見当たらない。
「フィ~オ~! ほらっ、早くはやくぅ~! 早くしないと置いてっちゃうよぉ~っ!!」
「あぁ……うん! 今すぐ行くよ、フィア!」
フィアもお父さんも向こうで待っている。ぼくは黒猫の無事を祈りつつ、急いでフィアたちのあとを追いかけた。