1-19.暗影は静かな雨に溶けて
「はぁーい、入ってどうぞー!」
このなんかちょっと間延びした、やけに耳につく猫撫で声……間違いない、ツィーネだ。
いやまあ、フィアを迎えにツィーネの部屋まで来たんだから部屋の主であるツィーネがこの場にいてもなんらおかしな話ではないんだけど、何というか……ちょっと不思議な感じ……。
それもこれもたぶん、ツィーネの普段の行ないが強く関係してるんだろう。
そう……ぼくたちのよく知るツィーネは本当に『神出鬼没』で、どこからともなくその姿を現しては必ずと言っていいほど、ぼくやフィアに奇妙な悪戯を仕掛けてくる『ちょっぴり小悪魔な女の子』。
そんな感じのイメージが強く頭に焼き付いてるから、こんな風に普通に声が返ってきたことに対して強い違和感を覚えたのかもしれない。
「あっ、フィオ! おかえり! なんだか思ってたよりもちょっぴり時間かかってたみたいだね、フュールさんとのお話」
「ただいま、フィア。うん、ちょっといろいろあってね……すぐ終わるかなって思ってたんだけど、思いのほか話、長引いちゃって……ごめんね、結構待たせちゃったでしょ?」
「ううん、全然そんなことないよ! そのおかげといったらなんだけれど、ツィーネちゃんと久しぶりにい~っぱいおしゃべりもできたし!」
部屋に入って早々、フィアはぼくに向かい弾けんばかりの満面の笑顔を咲かせる。
良かった……見たところ、そこまで心配した様子もなさそうだ。応接室を出た時は顔の節々に不安な色が見え隠れしてたけど、それも杞憂に終わったみたい。
久しぶりにツィーネとも仲良くお喋りができたとフィアも言ってたことだし、結果的には丸く収まったということで良いのかな。
「クスクスっ……いやぁ~! お二人とも今日も今日とてすこぶる、仲がよろしいようで!」
ぼくとフィアが話をしてると、不意に部屋の奥にいたツィーネが会話に割って入ってくる。その顔にはニタニタと何とも薄気味悪い笑みをたずさえて、見るからに何か良からぬことでも考えてそうな表情だ。
「ねぇツィーネ……毎回思うんだけど、それ本当に褒めてるの? なんかツィーネに言われると、馬鹿にされてるようにしか聞こえないんだけど……」
「アハハっ!! バカにしてるなんて、そんなこと絶対にないよ? むしろその逆、二人ともまるで『絵に描いたかのような仲良しさん』で、すっごぉ~く微笑ましいなぁ~って毎回思ってるくらい!」
「……本当に?」
「うんっ! 本当にホントだよ? もぉ~う、フィオーラ君は相変わらず疑り深いなぁ~!」
訝しむぼくの姿を目にしても、ツィーネはケラケラと口元を片手で押さえながらただ笑うばかり。いつもとなんら変わらない態度で、今もケロッとしてる。
まあツィーネのことだし、まともに話し合うだけ時間の無駄か。このあっけらかんとした、どこか掴みどころのない性格は、今に始まった話でもないし……。
どうせ今回もまた、ぼくやフィアの反応を見て内心、楽しんでるに違いない。
「はぁ……ぶっちゃけ『兄妹』とは思えないくらい仲が良すぎてホント、怖いくらいだけどね。二人とも……」
「んっ……何言ってるの、ツィーネ? 今さら口にして言わなくても分かってるとは思うけど、ぼくとフィアは『双子の兄妹』だよ? じゃなかったら一体、何だって言うの? ねぇ、フィア?」
「うんうん、フィオの言うとおりだよ。わたしとフィオは『双子の兄妹』で、血のつながり合ったかけがえのない大切な、大切な『家族』……それ以上でも、それ以下でもないよ、ツィーネちゃん?」
「あ、あはは……そ、そうだよねっ! フィオーラ君もフィアーナちゃんも血の繋がり合った『双子の兄妹』で、今まで苦楽を共にしてきた、かけがえのない大切な『家族』だもんね! それなら、二人を結ぶ『絆』がここまで強いのも納得! そかそか、ごめんごめんっ! あたしったら、またヘンなこと言っちゃってさ! さっき言ったことは単なるあたしの戯言だから、キレイさっぱり忘れちゃって! ねっ!」
『んんっ……?』
やけにハイテンションで笑い飛ばすツィーネを前にして、ぼくもフィアもその場で一度お互いに顔を見合い、小さく首をかしげる。
別にそこまでして自分のこと、卑下しなくても良いのに……本当、おかしな奴だなぁ……。
まあ、ツィーネがおかしいのは今に始まった話じゃないし、そこまで気にしなくても別に良いか。
「――それはそうと、二人とも! 明日はいよいよ待ちに待った『ふれあい会』当日だねっ!」
「ああ、そうだね。ループスたちの襲撃で一時はどうなるかと思ったけど、準備も何とか間に合ったし本当、良かったよ」
「うんうん! あとは明日の朝、孤児院のみんなに渡す手作りのクッキーを焼いて、星見の丘で摘んだ『スピカのお花』といっしょに小袋に分けてプレゼントを包むだけだね!」
「そうそう、そのことでまた二人に相談があるんだけどさ。『ふれあい会』が始まる時間って、神託を知らせるパルテール教会の鐘が打ち鳴らされる『午後三時』からでしょ? クッキーは当日の朝、焼くとして……プレゼントを準備する仕込みの時間も含めて、何時ごろから取りかかるのが良いのかなって」
さっきまでの妙にハイテンションな態度から一転、今度は心底真面目な態度で明日パルテール孤児院で催される『ふれあい会』について話を始めるツィーネ。
その顔はまさに、真剣そのものだ。普段は冗談ばかり言ってるツィーネだけど、こう言う肝心な時に限っては自ら進んでしっかり話を取りまとめようとしてくれる。
その辺りはさすが、この国を代表する五大家のお嬢様ってところかな?
それにしても、準備に取りかかる時間か……。
「うぅ~ん……たしかに言われてみると、何時ごろがちょうどいいんだろうね? 孤児院のみんなの分のクッキーを焼き上げるのに大体、えぇ~っと……二時間前後くらい? は、かかるとして……」
「その他、クッキーの袋詰めやその袋自体の飾り付けに要する時間も考えると……プレゼントを準備する時間として、三時間くらいは必要になるかな?」
「ふむふむ、なるほどね……以前話した通り、今回準備に使う場所は距離的に二人のお家で良いとして……フィオーラ君たちの家からパルテール孤児院のある教会までは歩いて五分程度。そうなると、全体的に余裕を持って『四時間くらい』はほしいところかなぁ」
「四時間か……それなら昼食のことも考えると、十時頃から準備に取りかかるのが良さそうだね」
「えっと……それじゃあ、集合時間は『午前十時ごろ』?」
ぼくとフィアの言葉に、ツィーネは黙ったまま大きく頷く。
どうやら、話はまとまったようだ。
「くすっ、決まりだねっ! じゃあ、明日の『午前十時』にフィオーラ君とフィアーナちゃんのお家にお邪魔するから、二人ともそれでよろしくね!」
「うん、分かった。午前十時ね」
「うんっ! そのくらいの時間ならわたしもたぶん、だいじょうぶ!」
「くすくすっ……フィアーナちゃんは朝が苦手だもんね! ということでフィオーラ君、朝に弱いフィアーナちゃんのためにも寝坊しないよう気をつけてねっ!」
「はぁ……そんな心配しなくても毎日、朝五時半には起きてるから大丈夫だよ。というかツィーネこそ、今度はちゃんと玄関から入ってきてよ? また二階の窓から侵入するような真似は本当、勘弁だから」
「えへへ、そんなに念を押さなくても分かってるよ! もぉ~う、フィオーラ君は本当に疑り深いなぁ~!」
そう言ってツィーネは、いつものあっけらかんとした悪戯っぽい笑みを浮かべ始める。
この調子だと、あの神出鬼没なツィーネのことだからいくら念を押したところで、何かしら『仕掛けてくる』だろうなぁ……。
それとなく、用心だけはしとこう……。
「んっ……もう午後七時か……明日のこともあるし、ぼくたちはそろそろこの辺りでお暇しようかな。そう言えばフィア、お父さんは?」
「たぶん、まだシャルルさんたちみんなとお話してるんじゃないかなぁ? 応接室を出ていくときにおとうさん、言ってたから。『フィアーナ、フィオーラが起きたら悪いんだが、お前達は一足先に帰っててくれ』って」
「そっか……」
フィアの話を聞いて、ぼくはふと窓の外に視線を移す。
見た感じ……まだ雨は降ってるようだけど、数刻前と比べたらだいぶ雨脚も弱まってきたみたいだ。
これなら、ぼくたちがいなくてもお父さん、あまり雨に濡れずに済みそうかな?
ぼくやフィアは魔術が使えるから障壁を展開すれば雨に打たれなくて済むけど、お父さんは魔術使えないし……。
でもまあ、お父さんのことだから『水も滴るイイ男だろう!?』とかよく分かんないこと言い出して、雨に打たれながらも平気で笑い飛ばしてそうだけど……。
「よかったら二人とも、玄関まで送るよ。ほら、フィオーラ君もフィアーナちゃんもよく知ってるとは思うけど、あたしの家って無駄に広いし!」
「あ、あはは……もう、ツィーネちゃんったら……」
「はぁ……ツィーネ、それ自分で言う……? でも、ありがとうね。正直、すごく助かるよ」
ぼくとフィアは苦笑いを漏らしつつも、屈託のない笑顔をたたえるツィーネと共にそのまま部屋を後にした。