0-1.クレイス遺跡の巨大壁画
「どうやら、最深部に辿り着いたようだな……」
ファーメルンの街の近郊に佇む『クレイス遺跡』へ足を踏み入れて早一時間。ようやく遺跡の最深部らしき場所に辿り着き、ぼくたちの前を歩いていたお父さんが感嘆の声を漏らす。
ざっと見た限りでも、かなり奥行きのある大部屋と言ったところだろうか?
一歩足を踏み出すたびに、ぼくたち三人分の足音が波紋を描くようにして響いていく。少し頭上を見上げてみれば複雑に絡み合った植物の根が、外界からの来訪者であるぼくたちのことを静かに見下ろしているかのようだ。
しかし、長いこと人の出入りがなかった割には遺跡内の保存状態は非常に良く、透き通ったガラス張りの天井から降り注ぐ柔らかな木漏れ日が少しずつ、最深部の全貌を解き明かしていった。
「わぁあ~っ! ねぇねぇ、フィオもおとうさんも見てみて! ほら、すっごぉ~く大きな絵……っ!!」
すぐ隣を並行して歩いていたフィアが突然立ち止まったかと思うと、何ともはしゃいだ様子で部屋のある一角を指したまま元気よく声を上げる。
高鳴る鼓動を抑えつつ、ぼくもすぐさまお父さんと一緒にフィアが見つめる視線の先へと意識を向けた。
「ほぅ、こいつは驚いたな……この壁画はおそらく『始まりの伝詩』に登場する神話のほんの一部を断片的に描いたものだ。そうだな……ちょうど人間が神から魔法の力を授かり、繁栄を繰り返して理想郷を築き上げていく、まさに『古代文明の最盛期』と言ったところか……」
「へぇ~! それじゃあ、この翼の生えたキレイな女の人に向かってみんなが手をかざしてるのは、その魔法の力をもらうため?」
「ああ、その通りだ。時に『魔法はこの星に存在する【魔素】を用いることで行使可能となる事象だ』と頑なに言う研究者達もいるが、本来は『原初の神【ティアランティーナ】が持つ奇蹟の力を借りて行使するのが魔法である』と、未だに語り継がれてもいるからな」
「なるほど……わたしもフィオも普段は特になにも考えないで魔術を使っていたけれど、そんなにすごい力だったんだ……っ!」
お父さんの話を聞いてフィアは、すっかり感心してしまっているご様子。お父さんもお父さんでそんな娘の感心した姿を見つめて、胸を張りながら誇らしげな表情を浮かべている。
「それで……お父さんは一体、どっちの考えを信じてるの?」
しかし、浮かれてる二人とは違ってぼくだけは、依然として怪訝な表情を浮かべていた。今の話だってあくまでも他人の考えを述べてるだけで、お父さん自身の考えは何ひとつ述べられていない。ぼくとしてみればやっぱり、考古学者としてのお父さんの言葉を聞きたかった。
ぼくの質問を受けてお父さんはすぐに答えることもなく、しばらくの間黙り込んでしまう。いつにも増して真剣な眼差しを向けてくるお父さんを前にし、質問をしたぼくも隣りでぼくたちの様子を見守っていたフィアも固唾を呑んで回答を待ち続ける。
そして、再びにこやかな笑みを浮かべて口にしたお父さんの答えは、実に意外なモノだった。
「ふふっ……そりゃもちろん、後者に決まってるだろ? そっちの方が、どう考えても断然『夢のある話』じゃねぇか! あっはっはっはっは!」
「た、たしかに……わたしもそっちの方がすごく夢のある話だと思うけれど……ねぇ、フィオ?」
「うん……お父さん、その回答はさ……『考古学者』として、どうなのかなぁ……?」
「お、おいおい!? 二人してそんな目で俺を見るなって! フィオーラもフィアーナも『魔法』を使えるってことはだなっ! つまり、天から授かった神が持つ力をその身に宿してるってことだ! いやぁあ~! 俺にはこれっぽぉ~っちも魔法の才が備わっちゃいねぇから、お前達が本当に羨ましいわ~! おおぅ、まったくなぁ!!」
ぼくとフィアからジトーッと白い目を向けられながらもお父さんは、無理に笑顔を見繕っている。
正直な話、今さら実の子に呆れられたところで、お父さんも既に慣れっこだろう。逆にそこまで芝居がかった態度を取られてしまうと、ぼくたちとしてみてもさらに呆れて物も言えなくなってしまいそうだ。
これでも一応、お父さんも古代文明を始めとした考古学を研究するれっきとした学者の一人なんだから、もうちょっと根拠のある回答を期待したいものだけど……今の話を聴いて、期待するだけ無駄なんだと悟った。
「さて……無駄口を叩くのはこれくらいにして、ちゃっちゃと遺跡調査をおっぱじめるとすっか! あまり時間をかけ過ぎると、依頼主にも余計な迷惑がかかっちまうしな。おい、フィオーラにフィアーナ、何かめぼしい物を見つけたらすぐに教えてくれよ?」
「うんっ! 探し物ならわたしにまかせて!」
「うん、分かった。あっ……そうそう、お父さんは本当におっちょこちょいなんだから、変なところでも触って妙な騒ぎとか起こさないでよ?」
「あっはっはっはっは! フィオーラ、お前は相変わらず心配性だな? まったく、誰に似たんだか……念には念を入れるのは一向に構わねぇが、いつもそんなに肩肘張ってたら途中でバテちまうぜ?」
「それ、単にお父さんが自由人なだけでしょ……?」
「おうおう、なかなか言うようになったじゃねぇか!! それでこそ、俺の息子だ! まあ自分で言うのもなんだが、こう見えても俺はこの道の専門家だぞ? そんな失敗、今更起こすわけないだろ~!!」
ぼくの心配なんかよそにお父さんは景気よく腰に両手を当てたかと思うと、遺跡全体に響き渡るほどの大きな声で笑い出す。
こうやって余裕をかましている時に限って、いつも問題を起こすんだから本当に困ったものだ。お父さんと一緒に遺跡調査へ出かけたのは今回が初めてだったけど、普段から家で目にしている姿もあったのでなかなか不安は尽きない。
しかし……急にめぼしい物と言われても、漠然としすぎてて困ってしまう。ぐるっと見回してみた限り、特に目立った物は見つからない。
強いて言えば、さっきまでぼくたちが眺めていたあの巨大な壁画か。もしくはその壁画の左右に置かれていた、これまた巨大な二体の石像くらいだろうか?
見上げただけでも優に七、八ヴェルトは超えているであろう巨人の石像が、何を語るでもなくジーッとぼくたちのことを静かに見下ろしている。
何だか監視されてるみたいで、少し不気味な感じだ。ゴツゴツとした灰色の岩肌が見せる威圧感はここからでも十分に分かるくらいの迫力があり、まるで生きてるかのように見えてしまう。
「フィ~オ~! ねぇねぇ、フィオはなにか見つけた?」
少し離れた場所から石像を見上げてると、さっきまで部屋の出入口付近を調べていたフィアが、ちょこちょこと銀色の髪をなびかせながらぼくの元へと駆け寄ってくる。
最近になってフィアは、また髪が伸びたようだ。以前までは背中にかかる程度だった髪も、今ではもう腰の辺りまで届いている。木漏れ日を浴びて艶やかな光を解き放つふわふわとしたフィアの長い髪は、本当に綺麗の一言だった。
「フィア……ううん、今のところ特に何も見つかってないよ。そういうフィアの方はどんな感じ?」
「うぅ~ん……こっちも全然だね。特になにも見つからなかったよ……」
「そっか……まあ、そんな簡単に見つけられたら何も苦労はしないよね」
「うんうんっ! あっ……!?」
突然何かにびっくりしたかのように目を真ん丸と見開いて、口元を両手で覆い隠したまま少しばかり甲高い声を上げるフィア。
一体、何を見つけたのだろう?
まさか……また魔物の類が、どこかに息を潜めてたのだろうか……?
ぼくはすぐさま、フィアが見つめる視線の先へと目を向けてみる。壁画の前に立っていたお父さんも娘の異変に気づき、透かさず鋭い眼光をこちらに向ける。
しかし、ぼくたちの目の前に現れたのは……それはそれは何とも可愛らしい、一匹の『黒猫』であった。
「ニャッ、ニャー、ンニャーオ」
「わぁあ~っ! フィオ、ねぇねぇフィオ! 見てみて、ほらっ……『クロネコさん』だよ!! すらっとした身体に細長い尻尾! ちょこんと生えた二つの小さな耳もそうだけれど、やっぱり一番注目すべき点は『ツーン』とした感じなのに構ってほしそうなこのお目め! うぅぅ~! すっごぉ~くかわいいなぁ~!!」
「あ、あははは……相変わらず『可愛いモノ』には目がないね、フィア?」
「うんっ、もちろんだよ! だって、可愛いモノはかわいいんだもん!!」
「そ、そっか……そうなんだ……でも、どこから迷い込んできちゃったんだろうね? この子……」
「ニャ、ニャー」
思ってもみなかった可愛らしい来訪者を目にして、瞳をキラキラと輝かせながら何とも嬉しそうに満面の笑顔を咲かせるフィア。そんな狂喜乱舞しているフィアの態度に若干苦笑いを漏らしつつも、ぼくは注意深く黒猫の姿を見つめ続ける。
まさかとは思うけど、本当にこんな遺跡の奥深くまで迷い込んできてしまったのだろうか?
いくら高い身体能力を有した俊敏な猫であっても遺跡内には、我が物顔で徘徊する魔物たちがたくさんいる。万が一、奴らに目を付けられることがあればタダじゃ済まない。
そのことを踏まえた上で仮にも、たった一匹でここまで辿り着いたと言うのなら……それはそれで大したものだ。
「くすっ……ほらほら、クロネコさん! なにも怖くないから、こっちにおいで?」
「ニャー、ニャーン」
それにしても……本当にフィアは、こういった可愛らしいモノが昔から大好きだった。今だって何の躊躇いもなく、ぼくたちの目の前に突如現れた黒猫へ一歩近づく。そして、ゆっくりとその場でしゃがみ込み、黒猫に向かって目線を合わせながら小さく手招きをしているのだ。
紅と紫。
ぼくと同じ、左右で色の異なる二色の綺麗な瞳をキラキラと輝かせるフィアの表情は、木漏れ日を浴びてさらに明るみを帯びていく。
黒猫の方もそんなフィアのほんわかとした優しさに触れてなのか。そのまま招かれるようにして、ぼくたちのすぐ近くまで歩み寄ってくる。
「あ、あぁ~っ! し、しあわせ……!!」
「ニャーン! ニャッ、ンニャ、ゴロゴロ……!」
「もうフィアったら……本当に、幸せそうだね……?」
「えへへ……っ! うん、もちろんだよ!! だって、こんなにかわいいんだよ? もう可愛くてかわいくて仕方がないんだよ!? あぁっ……幸せすぎてわたし、今にもどうにかなっちゃいそう……っ!」
「そ、そう……とりあえず、フィアが幸せそうで何よりだよ……」
頻りに黒猫の頭をこれでもかと言うくらい撫でまわして、何とも幸せそうに恍惚とした表情を浮かべるフィア。あまりに幸せすぎて、今にも倒れてしまいそうな勢いだ。お父さんも黒猫と戯れるフィアの無邪気な姿を見るなり頬を緩ませると、最初から何事もなかったかのように再び遺跡内の調査に戻っていく。
一方、黒猫の方はと言うと……依然として無防備な状態でフィアに優しく全身を撫でまわされながら、心底気持ち良さそうな顔をしていた。一般的には人間に対してもっと警戒心を向けるものだと思ってたけど、ここまで人懐っこいのは非常に珍しい。
もしかしてこの黒猫、以前誰かに飼われていたのだろうか?
それとも、本気でフィアが持つ飾り気のない純粋な優しさに心惹かれたのか……。
どちらにしても、この薄らと浮かび上がる透き通った青い瞳をじっと見つめてると、何だか心の隅々まで見透かされてるような気がして、少し不気味な感じだ……。
「くすっ……ほら、フィオもそんなところにいつまでも立ってないで、わたしといっしょに撫でてみようよ! 黒い毛並みがすごく温かくて、もふもふのモフモフですっごぉ~く気持ちがいいよっ!!」
「い、いや……ぼくはちょっと、遠慮しとこうかな……あ、あはは……」
「ニャッ!? ミャーオー! シューッ……シャーッ!!」
その時だった。
さっきまで警戒心の欠片もなかった黒猫の表情が、一瞬にして強張る。緩んでいた頬も激しく吊り上がり、全身の毛という毛を大きく逆立てながらただ一点を見つめて黒猫は、ぼくたちの目の前でそのギラついた鋭い眼光を周囲に解き放ち始めたのだ。
「な、なに……っ!?」
「きゅ、急にどうしたの!? クロネコさんっ!!」
フィアの問いかけにも、黒猫は一切反応を示さない。ただひたすらその場で低く唸り声を上げたまま、お父さんが立っていた壁画の方に向かって激しく目を血走らせている。
やっぱり、あの壁画には何かあるのだろうか……?
胸に渦巻く不安を押し殺して、ぼくはお父さんのもとへ向かおうと一歩足を踏み出す。
でもそれとほぼ同時、どこからともなく何か物の軋む音が聞こえ始めた。
『長さ・距離・高さ』
km=sv⇒ストゥルムヴェルト
m=v⇒ヴェルト
cm=fv⇒フェルヴェルト
『重さ』
kg=rc⇒リプルシェイム
g=c⇒シェイム
『通貨・お金・西方大陸』
円=f⇒ファリス