7:15
-ピピピピッ―電子音でうっすらと目を開ける。カーテンから差し込む光、数十分前まで確かにそこにいたであろう彼女の残り香と布団のぬくもり、机の上の置手紙で目が覚める。机の上の紙切れに目をやると『おはよう、何度起こしても起きないから家に帰って支度するね!先に会社で待ってるね』丸みを帯びた文字に顔をゆがませる。ハッと我に返り時間を確認しなくてはと現実に戻される。電子音で騒いでいた板切れを恐る恐る確認する。『7:15』こんなものを見て安堵する自分に腹を立てながら社会人になったという事なのだろうかと考えながら朝の支度をする。
15分程で支度を済ませ革靴の紐を結び家の鍵を閉める。昨日は彼女とデートと言う名の買い物で1日を満喫していた。一昨日のストレス発散に丁度良かったなぁと色々考えながらそろそろ彼女にも鍵を渡した方がよさそうだと思いながら歩みを進める。駅前のコンビニに寄りコーヒーを買って一服でもしてから行こうなんて考えながら歩きコンビニに寄りコーヒーを選ぶ、少し贅沢でもしようと氷の入ったプラカップを持ちレジに並ぶ会計をしようとスマホを取りだす手短に会計を済ませスマホを確認すると通知が1件来ている事に気付く、プラカップの蓋を開ける前に確認すると『手紙に書き忘れたけど昨日の忘れてないよね?』…彼女は優秀である買い物の後に彼女に手伝ってもらいながら作成した紙切れを完全に忘れていたのだ。他人から見たら紙切れかもしれないが自分にとってはその一枚で今後の人生を左右するものだった。そう例の『始末書』である。プラカップをカバンの中にねじり込み来た道を全速力で戻る。よくもまぁこんなにいろいろな事を忘れられるものだと自分に飽き飽きしながら家に戻る。大事そうにファイリングしてある封筒を手にして家を出る。板切れを確認すると『7:55』…雲行きが怪しくなってきていた。駅に向かって全力疾走。なんとか駅に着く今までで一番早く走れたのではないか、ギネス記録狙えるのではないかと思うほどであった。『8:11』…電車に滑り込み板切れの確認を行う、時間を見て安堵する。上がる息を整えカバンの中を確認する。命をつなぐクリアファイルとプラカップに入った『水』を視界に入れる。手に取りコーヒーではなく冷たいプラカップに入った水を買ったのだと自分に言い聞かせ心と息を落ち着かせる。30分ほど揺られ車内から聞こえる癖の強い車掌の声「次は○○」降車駅を確認し扉の前に立ち開くと同時に電車を降りる。改札を抜け洗脳されたかのような目に光の籠っていない駒の皆様と同じ方向へと歩み自分はこうはなりたくないなと考えながら進む。
「おはようございます」座っている駒の皆様に挨拶をしながら自分の席へと座る。隣からは「おはよう」と明るい声が聞こえてくる。この人までが駒になってしまってはここの会社にいる意味が全く見つからないなとにやけながら挨拶を返す。
『9:05』ドスドスと重い足音が聞こえる。「おはよう」と黒いデカ物から大声が発せられる。皆が挨拶を返し朝礼が始まる。
朝礼後、デカ物の下へ行き頭をさげながら例の封筒を渡す。にやにやしながら話しているのが分かる声で「おう、忘れなかったか」「まぁ、今回のことはしっかり胸に刻んで…」デカ物の声が急に小さくなる、不審に思い顔を上げると課長が真剣な顔をしていた。課長の手元にある紙切れを確認すると封筒に堂々と『退職届』と書かれていた。ん?あれは先月位に会社が嫌になって勢いで書いてカバンの中に潜ませていた物ではないか?「そうか、お前には期待していたんだがお前は違ったみたいだな」「すごく残念だ、わりぃが今すぐカバン持って出ろ」「書類、私物もろもろお前の家に送ってやるだから何も言わずに消えろ」課長だったものが弁解の余地もなく冷静に刻々と話している。何もできず何も言い返せず自分はカバンを持ってその場を立ち去った。
駒の皆様と同じ顔をした駅のトイレの鏡に映った自分の顔を見て何も感じなくなっていた。そうだこのまま死んでしまおう。就職氷河期なんて言われて大したスキルも持っていない自分はあそこに居れただけ良かったのだ。人生に絶望した僕は『回送』と書かれた風を切って走る鉄の箱の目の前に飛び出したのだった。