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どう足掻いても映えー苺パルフェを撮るー

何度来ても高級ホテルのラウンジというものはよい。

50階から眼下の街を見下ろしながらケンは思った。案内パンフレットでは華美でいけすかない空間に見えたが、来てみればなかなかどうして落ち着くし、なにより品位がある。これほど静謐な空間をさながら場末のキャバレーのように切り取るとは、余程腕のあるヘタグラファーを起用したらしい。


大窓に向かって立つケンの背後には固い表情の支配人が一枚の紙を持って控えており、そこに書かれた報酬額が細かく揺れている。支配人が意を決したように口を開く。


「百万円というのは、一枚の広告写真に払うにしてはいささか高すぎるかと……」

「パルフェ、現地の言葉ではparfaitだが、"完璧"を意味するこの甘味をへたくそに撮るのは並大抵ではない。」


このホテルに構えるカフェ「Rafino」で、一日10食限定で提供される季節の苺パルフェの広告写真を撮ってほしい、というのが今回の依頼である。

豪奢なパルフェとはいえ、単価で言えば一万円ほどの商品の依頼は久しぶりであった。ケンの主戦場はジュエリーやリゾートといった輝かしく高価なもの。当然報酬も高くなる。


「決裂ということであれば、私は帰らせていただこう。」

手土産に、と言ってカメラを取り出したケン。50階からの素晴らしい眺望はその手によってたやすく色彩と奥行きを失い、まるで死にゆくカラスが見る末期の景色のように味気無い写真として収まった。


足を踏み出しかけたケンを一人の女が制した。コック帽を被り、苺パルフェを運ぶのは「Rafino」で腕を振るうパティシエその人であった。

「せっかく足をお運びになったのですから一度ご賞味ください。」


テーブルの上に置かれたパルフェをケンは内心感嘆の思いで眺めた。


円錐型の器、その最下部から赤と白を基調とした甘味からなる地層が重なっていて、互いを侵すことなく全体に均整をもたらしている。半切りの苺たちは粉糖の化粧を纏い、ぷくりと膨らんだ果肉を柔らかなクリームの上に横たえて、器の淵からこんもりと積みあがる。それらは輪生する植物の葉のように互いを遠ざけ、己が爛熟したみずみずしい断面を競い合う。そしてその争いを毅然と見極めているのは、頂上に君臨する最高級苺「姫凛」である。一粒数千円はくだらないというその果実は、器と対を為すような完璧な円錐形。このパルフェの中で唯一つ十全な姿を顕現する苺であり、後継者を待ち望む東ローマ帝国の女帝・ゾエのように美しかった。


ケンの心中を正直に表せば「撮りたい」という一語に尽きた。こんなものをどうやってへたくそに撮ればよいのか、皆目見当がつかない。そういうものにケンは惹かれる。それは何よりも硬い鉱物・ダイヤモンドにどうにかひっかき傷を残してやろうと四苦八苦する子供のような幼い野蛮、あるいは純白の処女を穢すことを夢見る悪漢のような下卑た欲望なのかもしれない。


押し黙って考え込むケンを前に支配人は不安げな表情のまま落ち着かない様子である。ややあって口を開き、ケンはこう言った。


「出来高だ。こいつが売れるたびにその売価の5%の報酬を戴こう。」


金勘定に老練な支配人は即座に計算する。売価の5%とはつまり500円であり、10食限定なら一日5000円。旬の間、60日提供されたとしても30万円とすれば破格であり、三年後まで同じ広告写真が使えると考えれば初期提示額よりも得であると判断して間違いない。この男、写真の腕前は確かなようだが算数は苦手なようである。


こうして交渉は成立。ケンはパルフェを余さず平らげ、撮影は翌日「Rafino」店内にて行われた。


納品された広告写真を見て支配人は大変満足した。これ以上ない出来栄えといってもよかった。勘違いされがちだが、ヘタグラファーの仕事とはただ下手に撮るだけではない。例えばこの場合、パルフェを真上から撮影しただけでは消費者省の認可は下りない。なぜなら、全体を映さない写真は広告として不適格だからだ。こうしたいくつもの制約を潜り抜けてなお写真がへたなものだけがヘタグラファーとしての資格を得るのである。


報酬は規定通り提供期間終了後に支払われることになっていたのだが支配人は後々、やはり最初の提示額を受け入れておけばよかった、と述懐することになる。なぜか?


「姫凛」の高騰である。パルフェの頂上に据えられたその苺は、ケンの写真を以てしても高貴な佇まいを一部保持していたのである。「あのケンがへたに撮れなかった苺」として勇名を馳せた「姫凛」は瞬く間にその値が吊り上げられ、それを売りとしたパルフェの単価も同様に引き上げられることとなったのであった。報酬単価は500円どころではなくなったが、支配人は誠にあっぱれと思い、その写真は向こう十年に渡って使われることとなる。


ケンが手を抜いたのではないかという噂、それを打ち消すような噂、どちらも語られるこの国で、唯一その答えを知る男はアパートの一室で食事の真っ最中である。机の上に置かれているのは大量の桐箱、その中には指輪のように台座に畏まって収まる「姫凛」が一つずつ丁重に包まっている。


たっぷりと練乳に浸され、次々と口の中に放り込まれていく元女帝たちにその面影はない。ケンの口の端からぽたりと果汁が落ちた。そこには件のパルフェの写真が置かれていた。


円錐型の器、その最下部から地層のように重なった甘味は工業製品のように等分され、質感を感じさせない。横たえられたそれらはまるで奴隷船で折り重なって眠る奴隷のようだ。大写しになった半切りの苺は醜怪に種が強調され、派手な植物には毒がある、という人類が死を以てDNAに刻んできた根源的な恐怖を思わせる。積みあげられ、頂点に接続する最上段は育ちすぎた多肉植物を想起させ、はなはだ不気味である。それでも「姫凛」だけは優美な風を装っているが、臣下が息も絶え絶えな状況下、クーデタによって軍服に囲まれた女王のようにその華美な様相が滑稽さを際立たせている―。


水滴を乱暴に拭ったケンは苺にむしゃぶりつきながら独り言ちた。

「今回も上手く撮れなかったなあ。」


こうしてまた明日も、ケンはヘタグラファーとして活躍する。

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