『Philosophy of poorgraph』
写真より明らかにパサパサなハンバーガー。
写真よりはるかにペラペラなセーター。
写真より三回りは狭く寂れた旅館。
20××年、景品表示法が改正され、私たちが広告写真に失望させられることはなくなった。あらゆる商品とその広告は消費者”省”の管理下に置かれ、広告中の商品のビジュアルが「実物を少しでも上回る」と判定された場合、掲載することができなくなった。
しかし世は一億総写真家時代。21世紀初頭から爆発的に普及したカメラ付き携帯電話は撮影の基本や技術を全国民に与えた。水平や画角に気を配るのは当たり前、光源の調整やレタッチの技術すらこの国で生まれた人間にはほとんど無意識のうちに刷り込まれている。
誰しもが上手く撮れてしまう世界で企業担当者たちは頭を悩ませていた。
「どうしたって映えてしまう……」
「どうしたら下手くそに撮れるのかわからない……」
彼らはどう頑張ってもそれなりに撮れてしまった大量の写真を前に途方に暮れていた。
そんな中現れたのがヘタグラファーという職業である。
東にジューシーなステーキあれば、生白く不気味な断面を見せ、
西に新たな景勝地あれば一面の灰色世界を撮る。
南に可愛い猫あれば歯茎をむき出しに迫る瞬間を捉え、
北にお見合い前の人あれば半目で下膨れした顔面を切り取る。
彼らは絶望的なセンスと怪奇的なシャッターポイント、そしてなにより不運を持ち合わせた時代の寵児であった。人気ヘタグラファーとなれば一件あたりの単価も高く、撮られたい商品が一年後まで列をなしているとの噂も囁かれた。
そしてこのヘタグラフ界の頂点に立つといわれている男、それがケンである。広告写真に必ず撮影者の名前が入る時代、ケンの名前があるものは飛ぶように売れた。ケンの写真は下手だった。世界で一番下手なのかも知れなかった。だからこそ商品は売れた。その理由を『Philosophy of poorgraph』と題した雑誌インタビューでこう解説している。
「……俺の写真は世界で一番下手かもしれない。だからこそ客は商品に期待する。景品表示法が改正される前、客は広告をみて期待を引き算していた。わかるか?広告がこれなら実物はこんなものかな、と考えて、自分をなんとか納得させていたんだ。信じられるか?……(中略)……俺がやっていることはその逆、つまり"ケンの写真でこれなら、実物はよほどすごいに違いない"という期待の飛躍、そしてそれに応えるのがヘタグラファーとしての俺の価値である。……」
これはヘタグラフを追い求め、それに憑かれた男の物語である。