03
翌年、私たちは学園へ入学した。
この学園は二年制で貴族しか入れない。
学問を学ぶと共に、集団生活を送る中で貴族としての社交力を身につけさせる事が目的なのだという。
一年目は平穏に過ぎた。
この一年で殿下は見た目も中身も急成長した。
声が低くなり、身長は見上げるほど高くなった。
『僕』が『私』となり、言葉遣いも大人びた。
元々年齢以上の言動や知識を持っていたが、それらにさらに磨きがかかり、王としての風格も備わり始めていた。
私の目の前で優雅にお茶を飲んでいるのはあの漫画に出てくるオニキス殿下そのものだった。
それに対して私は…面立ちは確かに漫画のサファイアによく似ているが、あんなに目つきはキツくないと思う。
中身は全く別だろう。
漫画のサファイアは悋気深くプライドが高い女性だったが…今の私は前世の性格を引きずっているからか、穏やかな方だと思う。
相変わらず仲はいい。
それに私は、殿下の隣に他の女性がいても嫉妬したりはしない———いや、できないのだ。
「明日から学園が始まるな」
漫画の事に気を取られていた耳に殿下の声が聞こえた。
「ええ。忙しくなりますわね」
学園生活は残り一年。
卒業して半年後には私たちの結婚式、そして更に半年後は即位式だ。
その準備と学園での生活———やる事は沢山ある。
「ところで、サファイア」
殿下がティーカップを置いた。
「君は私に隠し事をしているよね」
「…え?」
私は思わず目を見開いた。
そんな私を殿下はじっと見据えている。
「…ええと…それは、隠し事の一つや二つ、誰にでもありますわ」
いくら婚約者や家族といえども、全てを知られる必要はないし、相手の全てを知るのも無理だと思うのだけれど。
私にも日常の失敗というささやかな事から前世の記憶といった大きな事まで、殿下に知られたくない事は色々ある。
一体、どの事を言っているのだろうか。
私は首を傾げた。
「ふむ、では質問を変えよう」
黒い瞳が光る。
「君は去年、学園で誰を探していた?」
ほの暗く光る闇の光。
———ああ、この光はだめだ。
決して偽る事を許さないという意志を持つ、そして逆らえばその先にあるのは破滅であろう、闇へと導く光。
「……王妃様に、言われたのです」
観念して私は答えた。
「母上に?」
「はい…後宮に相応しい者を探すように、と」
「何だと」
新たに瞳に宿ったのは、驚きと…怒りの炎。
「母上が?君にそんな事を?」
「王妃様は私のためを思って下さったのです」
その怒りが私ではなく王妃様に向けられているのに気づき、慌てて私は言葉を繋いだ。
「私が…王妃様のように苦しまないように、と」
「———そうか」
しばらくの沈黙の後、殿下は息を吐いた。
「そうだな…確かに母上が負ったものは大き過ぎた」
後宮。
それは王宮の奥にあり、政から隔離された花園。
国王の寵愛を受ける愛妾達が集められ、王の身も心も癒す、王の為の休息場所だ。
一夫多妻について、私は悪いとは思わない。
前世ではそれは良くない事とされていたけれど、貴族、特に国王にとっては必要なものだと思う。
いや、国王というよりも王妃のために必要なのだ。
王妃の役目は王を支え、国の顔として表舞台に立つ事。
愛妾の役割は、王を癒す事と子を産む事。
王妃一人で妃、妻、母の役目をこなすのは負担がかかりすぎる。
特に国母となる事———子を産む事は、本人の努力だけでどうにかなるものでもない。
この世界よりもずっと医学が発達していた前世でさえ、不妊に悩む女性は多かった。
私は未婚だったけれど、友人や姉など身近な人が苦しんでいたのを見てきた。
国王の大切な役割の一つに、血を繋ぐ事がある。
その為にも、愛妾を複数持つ事は悪い事ではないと思うし———オニキス殿下が愛妾を持つ事も…嫉妬がないとは言わないけれど、仕方ない事と受け入れている。
だが亡き陛下は愛妾を持つ事をしなかった。
王妃ただ一人を愛し、それ以外の女性を近づける事すらさせなかったという。
後宮は王妃の為の鳥籠となり、若い頃は王妃をそこに閉じ込めて誰の目にも触れさせないほど溺愛していたという。
息子であるオニキス殿下でさえ近づく事を好まず、殿下を産んだ後は子供を宿す事を許さなかったのだ。
その一途さは美談と言えるかもしれない。
だが全ての役割をその身一つに負わされた王妃様の負担は…どれほどだったろう。
国王崩御後、病に伏した王妃様は傍に侍る私にその胸の内をとつとつと語り続けた。
王妃様も陛下を愛していたけれど———深すぎる愛は毒となる。
『陛下が亡くなられて…少しほっとしてしまったの』
そう呟いた王妃様の瞳には…私には想像しきれないほどの様々な光と闇が宿っていた。
王妃様は私に後宮の、そして愛妾の大切さを語った。
そうして二年の在学中に殿下の相手を務められる者を探すよう命じたのだ。
「だが、私も愛妾など必要ない」
殿下は手を伸ばすと私の手を握りしめた。
「私には君がいればいい」
「ですが…私が子を産めない場合もあるでしょう。それに殿下をお支えする者は多い方がいいですわ」
「だからといって君がそれを探すなど」
「後宮の管理は王妃の役目だと言われました」
「君はそれでいいのか」
再びその瞳に炎が宿る。
その怒りの先は王妃様なのか、それとも…
「———私の役目は国王を支え、国の未来を守る事です」
私が嫁ぐのは殿下ではない。
臣下として、そして王妃として。
この国に嫁ぐのだ。
「そのために時には殿下に背く事もありましょう。ですからどうか…愛妾を側にお置き下さい」
殿下の目を見つめて私はそう答えた。
しばらく見つめ合い———やがて殿下が視線を外らせた。
「…母上は本当に君が可愛いのだな」
ぽつりと呟くような声。
「私よりも君の方が…ずっと大事なのだ」
「王妃様は殿下の事も愛しておられます」
「では君は?」
再び私を見た瞳に宿る、ほの暗い光。
「君の愛は私のためではないのか」
握る手に力がこもる。
———ここで答えを間違えてはならない。
それで私の未来が決まるのだから。
「…私の愛は、殿下と、国へ捧げています」
ああ、どうかそんな顔を———捨てられた子のような顔をしないで欲しい。
「そうか…君は私の唯一になる気はないのだな」
子供の頃から変わらない…母親の、そして父親の愛を得られない事を悲しむ声。
「だから私は、殿下だけに愛を捧げる者を探すのです」
きっと、すぐに…そう明日にでも。
『彼女』が現れるのだから。
だからどうか、悲しまないで。




