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02

私が前世を思い出したのは十歳の頃。

婚約者との顔合わせの時だった。


王宮にある、薔薇の咲き誇る庭園の東屋に設けられたテーブルで、緊張しながら婚約者となる相手を待つ。

期待と不安と———色々な感情が心の中で入り乱れて小さな心臓が限界を迎えそうになった頃。


「君がサファイア?」


背後からかけられた、少年らしい高くて涼やかな声に飛び上がりそうになりながら、私は何とか椅子から立ち上がると振り返った。


そこにいたのは美しい少年だった。

月の光を集めたような銀色の髪に、夜の闇に似た漆黒の瞳。

十歳という幼い歳でありながらも、その面立ちは既に未来の賢王を約束されたような風格があった。



———知っている。


ふいに私の中に記憶が流れ込んできた。


ああ、そうだ。

私は彼を知っている。

彼は、私は、この世界は———


刹那、私の中に大量の記憶が流れ込んできた。





私はサファイア・ユヌバーグ。

このビジュー王国の有力貴族であるユヌバーグ侯爵の娘。

そして私の婚約者は王太子であるオニキス・アルジャン・ビジュー。


私が王太子の婚約者に選ばれたのは、彼と近い年齢の令嬢達の中で私が一番家格が高かった、ただそれだけ。

けれどそれは王妃にとって大切な条件で、だから私達の婚約に反対する者はなく、私の未来は定められているはずだった。


けれど私はこの世界の秘密を知っている。

———ここが、私が前世で読んだ物語の世界だという事を。




前世、私はこの世界ではない、日本という国に住んでいた。

そこそこ恵まれた中流の家庭に育ち、そこそこ有名な大学を卒業してそれなりに大きな会社に就職した。

そして平穏な生活を送っていたのだが…最後の記憶は繁忙期の残業続きで寝不足と過労の身体を引きずりながら、終電に間に合わなくなると駆け降りた駅の階段で、足を踏み外して身体が宙に舞った感覚。


———私はいわゆる異世界転生というものをやらかしたようだった。




そうして私が生まれたこの世界。

ここは前世で読んだ漫画の中の世界だった。


ヒロインは紅い瞳を持つ、元平民のガーネットという名の少女。

その美しさと聡明さから子爵家の養女となり、十六歳の時に貴族が通う学園に編入する。

そこで王太子オニキスと出会い、恋に落ちた二人は幾つもの障害を乗り越えて結ばれるという甘い恋物語だ。


私はそんな二人の障害となる王太子の婚約者。

ヒロインを虐めた罪で、最後は貴族社会から追放されてしまう。

その後のサファイアの事は語られていないが…高位貴族の娘が市井に放り出されて無事で済むはずもない。



嫌だ。

惨めな末路など辿りたくもない。


どうすればいい?

ヒロインとは関わらない?

それとも王太子を奪われないようにする?




未来を変える事について考えようとしたけれど、日々の生活の忙しさでそれどころではなかった。

それでも…漫画ではオニキスとサファイアの仲は冷たいとされていたけれど、実際の私達はとても仲が良かった。

親に構われる事のない一人っ子の殿下と、同じく一人っ子で母のいない私。

互いの孤独を埋めるように、会えた時はいつも手を繋ぎ、二人寄り添うように過ごしていた。





「来年は学園だね」


十四歳のある日。

オニキス殿下と二人、それぞれの帝王学とお妃教育の休憩に庭園の中を、いつものように手を繋いで歩いていた。


「はい…」

「不安?」

目を伏せた私の顔を殿下が覗き込む。

「え、ええ…その…」

本当の不安は漫画で起こる未来の事だが、そんな事を殿下に言えるはずもない。

だから私は、もう一つの不安を口にした。

「他のご学友の方と仲良くできるか…分からなくて」


「ああ。サファイアはこの一年王宮に篭っていたからね」

殿下の顔がふと曇る。

「…本当に、君には感謝してるよ。母上が健やかでいられるのはサファイアのおかげだ。でもそのせいで負担をかけてしまって…ごめんね」

「いえ…そんな」

私は慌てて首を振った。

「私がお役に立てるならば光栄です」




一年ほど前、国王陛下が崩御された。


それは突然の事で…病に倒れて一月ほどで儚くなってしまったのだ。


後を継ぐ王太子のオニキス殿下はまだ未成年。

学園を卒業して一年後に国王として即位する予定で、今は王弟である公爵が国王代理を務めている。

政治的な問題はなかったが、問題は王妃様だった。

突然伴侶を失ったショックが大きく、寝込んでしまったのだ。

私はこまめに王妃様の元へ通い、話しかけ…三ヶ月ほど経つとようやく笑顔を見せるようになったのだ。

———ただし、私だけに。


子供はオニキス殿下一人だった王妃様は「娘が欲しかったの」と言って婚約した当初から私を可愛がってくれていた。

幼い頃に母を亡くした私にとっても、王妃様は母親のように大切な人だった。

その王妃様までいなくなってしまったら私は耐えられない。

だから本来ならば他の同世代の令嬢達と交流を持つべきであったこの一年、私は家にもほとんど帰らず王妃様の話し相手となっていたのだ。




「母上の相手をしてくれるのは有り難いけど…妬けてしまうな」

「え?」

「君と母上は本当の親子みたいで。僕はいつも除け者だ。…やっと僕も母上とゆっくり会えると思っていたのに」

「———それは殿下が陛下によく似ておられるから…まだお辛いのですわ」


殿下は幼い頃からあまり王妃様と会う事はなかった。

陛下は王妃様を愛するあまり、他の男が近づく事を許さなかった。

それは息子である殿下も例外ではなく…殿下は母親に抱かれた記憶もないのだという。

王妃様が私を可愛がったのも、女ならばいいと私が王妃様の側にいる事を陛下が許してくれたから。

息子を可愛がれなかった分、王妃様は私の事を実の子のように可愛がってくれ…それが余計に殿下の心に寂しさを与えてしまったのだ。


陛下崩御後、殿下はやっと王妃様に会えると喜んでいたけれど…陛下とよく似た面差しの殿下と会うのは辛いらしく、王妃様が殿下と面会したのは未だ片手で足りるほどだ。

もっとお二人を会わせてあげたいのだけれど…



殿下の顔が見られなくて視線を逸らした先に赤い彩が見えた。


それは大きな一輪の薔薇だった。

まっすぐに伸びた茎の先に咲く、気品と風格を感じさせるその姿。

真っ赤な花びらは王妃様の紅色の瞳を思わせた。


「あの薔薇を持って殿下がお見舞いに行けば喜んでくれるかもしれませんわ」

薔薇は王妃様の一番好きな花。

こんなに立派な薔薇と一緒ならば王妃様も殿下に会ってくれるだろう。


殿下に悲しい思いをさせてしまったと、焦っていたのかもしれない。

私は不用意に薔薇へと手を伸ばした。



その瞬間、指先に鋭い痛みを感じた。


「っ…」

「サファイア?」


そうだ、薔薇にはトゲがあったんだ。

その事をすっかり忘れていた私はトゲを指に刺してしまった。


慌てて手を戻そうとして、更に深く傷つけてしまう。

「いた…」

見ると人差し指の先に、ぷっくりと赤い血の玉が浮き上がっていた。



突然の痛みと出血にパニックになりかけた、私の手首を。

ふいに何か掴んだ。


え、と思う間もなく私はぐいと引っ張られた。

そして指が温かくて湿ったものに包み込まれた。


「———っ!」

刺された痛みとは異なる…身体を走り抜けた痛みと衝撃。




「———サファイアの血は母上の瞳の色だ」


見たことのない光を宿した黒い瞳が私を見つめていた。

ぞくり、と背中が震えた。


「…血はこんな味がするんだね」

そう告げる口からちろりと赤い舌が覗く。


殿下が私の指を咥え、その血を舐め取りながら強く吸ったのだと理解した瞬間。


ぐらりと頭の中が大きく揺れて私の意識はそこで途切れた。

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