プロローグ 勇者よ目覚めなさい
ぼくは花よりまぶしい君の胸元から目を外すのに必死で足元すらおぼつかない。
咲きたての花は哀れぼくの木靴に踏まれ、甘い香りはぼくの舌へ。
「はいステップステップターン」
村人の楽器の音色はどこか調子はずれで、ぼくとあの子はその中央で舞っている。
金の髪にみどりの瞳。丸く豊かな胸元に大きくくびれた腰。その細すぎる腰にぼくの腕は絡まっていて。
「ほら、足が止まっている!」
「村一番の踊り手の君に剣ばかり振っているぼくがかなうわけがないだろう」
白詰草の花冠を抱いた彼女が苦笑い。「剣も踊りも運動に違いないわよ」「横暴だ」彼女の唇が急接近。村人の大人たちのからかいの言葉。はやしたてる声。
ぼくの視界の傍らには父の座る車椅子とその介護をする母が見える。
「大人になったら母さんと結婚すると約束してくれたのに」
かわいらしく頬を膨らませる母と、病で膨らんだ腹の激痛に額を寄せつつも苦笑いで応える父にぼくらは手を振る。
「子供は何人が良いですか。あなた」
「気が早いよ! ……三人。いや、五人は欲しいな」
彼女は笑う。ぼくも微笑む。世界は幸せに包まれていて。暗転。
陳腐な神々の劇場に設置された厚い幕が再び上がる。
ぼくは泣いている。幕ではなくぼくの瞼があがっただけだ。
村が燃えている。
国王の軍が村を焼いている。
女は全て捉えられ焼き殺される。井戸に炎の術が放たれ沸騰していく。
老いた男は次々と切り刻まれて、その鮮血を浴びた兵もまた誤爆だろうか、味方の攻撃魔法によって命を絶たれた。
ぼくは一人納屋の中で震え、のたうち、ただ見ている。
腰にあった剣はあの子が持っていった。
「絶対外に出ないで。私の言うとおりにして」
ぼくはあの子に逆らったことなどない。だけど今日だけは違う。
彼女はぼくに束縛の術をかける。周囲の草木によって移動を完全に防ぐ術だ。
父さんは車いすからのたうつようにおちて母を守るために兵士の脚にからみつく。
父さんが蹴られた。母さんは兵士たちの中に消えていく。
「何をやっている」
真っ黒な鎧をまとい、兜をつけていない青年の怒気をまとった呟き。
「これほどの上玉ですよ。王子。楽しまない理由は」
「なら、わが愉悦の為に死ね」
黒衣の青年は彼らを一瞬で斬り倒した。
母は気丈にも声を上げず、青年を睨んだまま斬られた。まるで微笑んでいるかのように穏やかな死に顔だった。
ぼくは全てを見ていた。
あの子が身体変化の術で僕に化け、剣舞で兵士たちを近づけまいとする。
しかし多勢に無勢であの子は捕まり、引き立てられていく。
やめろ。やめてくれ。
黒衣の青年は苦笑いする。
「お前が王国を滅ぼすという『勇者』か。ぱっとしない優男だな」
あの子の身体は限界に近い。震える剣を手に馬上の彼に立ち向かい。斬られた。
黒いマントで返り血を防いだ青年は呟く。
「全部か」
「はっ! 精霊探知や魔力探知による反応はありません」
「音声探知、魔力視にも反応はありません」
ふと青年は奇妙なことをつぶやく。
「血を浴びた者はいるか」
震えあがる男たち。
「少し」
おずおずと手を挙げた男に青年は微笑む。
「後で風呂に入るが良い。心労の多い任務であっただろうがゆっくりと心身を癒せ。引き上げるぞ」
銀の馬蹄が鳴る音が遠ざかっていく。
魔力も精霊の加護も届かない納屋でぼくは泣いている。
声も出せず臭いも消え、誰にも見咎められることもなく慟哭する。
焼け焦げた父。
変わり果てた母。
燃える村。
殺された家畜。
沸騰し燃え上がる水。
人が、家畜が積み上げられ、脂と共に燃えていく。
すべてが黒い煙と赤い炎に消えていく。
『あの子』……。
あの子の死に顔はとても安らかで、あの時はぼくに向けてほほ笑んでくれていた。
それがぼくには一生消えない傷になると知りながら。
「ステップ、ステップ、ターン……」
君のペンダントを胸に。剣を右手に抱いて僕は旅に出た。