第85話 標的
「いらっしゃいませ」
自分へと向かってきた女性に対し、ギルドの受付嬢は挨拶と共に会釈をする。
「失礼。聞きたいことがあるのですが……」
「はい」
受付嬢に対面した女性は、丁寧な言葉で話しかける。
基本、冒険者をしている者は女性でも言葉使いが荒いものなのだが、その言葉遣いや態度からこの女性が本当に冒険者なのか受付嬢は疑問に思えた。
しかし、仲間と思われる男性が放つ雰囲気や、側で大人しくしている白狼を見て、その考えをすぐに改めて質問に返答した。
「この町にこのような女性が来ませんでしたか?」
その女性は、受付嬢に一枚の紙を見せて問いかける。
紙には、金髪ロングに眼鏡をかけた美人が描かれていた。
「……いいえ。このような女性の目撃は聞いたことがありません」
この町はたいした大きさではないため、見たことない人間の噂はすぐに広まる。
しかも、この似顔絵のような美人が現れたのなら、ギルドにも情報が入っていても不思議ではない。
しかし、そのような情報は入っていないため、受付嬢は首を横に振って答えた。
「そうですか……。ありがとうございました」
受付嬢の返答を受けた女性は、感謝の言葉と共に一礼をして男性と共にギルドから退室していった。
「一旦宿屋に戻ろう」
「はい」
ギルドから出た先程の男女は、ひとまず宿屋に戻ることにした。
「この町にもいなかったな?」
「そうですね……」
宿屋までの道を歩きながら、男の方である限は連れの女性に問いかける。
その呟きに、連れの女性こと、レラが返答する。
「いったいどこに行きやがった……」
「本当ですね」
またも空振りに終わったことに、限は若干いら立たし気に呟き、レラはそれに同意する。
限とレラがおこなっているのは人探し。
探しているのは、ラクト帝国の砦から逃げ出したオリアーナだ。
「少しでも手がかりがあれば違うのですが……」
「あぁ……」
そのオリアーナなのだが、砦付近で突如として消息を絶った。
生物兵器を作り上げるような天才とはいえ、所詮はただの研究員。
そのため、多少逃げられてもすぐに捕まえられると、高をくくっていたのが間違いだった。
まさか、自分とアルバの探知から逃れられるような術を持っているとは思いもせず、限たちは似顔絵以外の手がかりがないまま、オリアーナの捜索を続けなければならない状況だ。
「それにしても、限様は絵もお得意なのですね」
「敷島で指導されたからな」
オリアーナの似顔絵を描いたのは限だ。
敷島にいた時、限は絵の指導を受けていた。
限だけではない。
敷島の人間は、諜報活動をする時に対象人物を共通認識するために似顔絵を使用する。
そのための指導を、敷島の人間は誰もが受けるのだが、当然得意・不得意がある。
魔力がないため、限はどの訓練も必死に努力していた。
その努力がここで生かされるとは思わなかった。
「もっと早く描けていれば良かったんだがな」
「……仕方がないことです」
絵が得意なら、もっと早く描いて捜索の材料にすべきだったが、そうできない理由があった。
限がオリアーナに会ったのは、研究所に連れて行かれた時と実験開始時の数回だけで、それ以外でその姿を見ることはなかった。
数回だけでも描けることは描けるが、その後の地獄の人体実験により、その姿の記憶が曖昧になっていたため描けないでいた。
それが先日久々に見ることができ、今回は紙に記せたというわけだ。
「アルバは何も感じないか?」
「クゥ~ン……」
「気にするな」
魔力による探知では見つからない。
ならば、白狼のアルバの鼻ではどうかと限が問いかけるが、どうやら何も引っかからないらしく、アルバは申し訳なさそうに鳴いた。
無理を承知でやらせたことなので、落ち込まないようにアルバを撫でてあげた。
「北はアデマス。南に向かったと考えるべきか……」
限の存在を知っていて、帝国に居続けるのは危険だと理解しているはずだ。
しかも、仲間の研究員とパトロンのクラレンスがもういないのだから残る意味がない。
そのため、オリアーナの行き先を考えた時、まずラクト帝国から脱出したと考えられる。
砦の位置から考えると、一番近いのは隣のミゲカリ王国。
そう考えて限たちは山越えをして国境を越えをし、ミゲカリ王国の西側の町を3つほど捜索したのだが手がかりすら見つからない。
4つ目のこの町はと少しは期待していたのだが、期待外れだったようだ。
西側の町にはいないとなると、北のアデマス王国に近付くとも思えないことから、このままこの国を捜索するか、それとも南の国に行くべきか悩むところだ。
「今日1日この町で過ごして、その後どうするか決めるか?」
「そうですね」
復讐相手はオリアーナだけではない。
敷島の人間も始末する予定の限としては、オリアーナを後回しにするという考えもなくはない。
オリアーナの捜索を続けるか、それともアデマス王国に攻め込むかは、一泊した後考えることにした。
「えっ? アデマス王国がラクト帝国に攻め込む?」
「あくまで噂ですが……」
宿に一泊した限たちは、もう少しこのままオリアーナを追ってみることにした。
南の国の移るよりも、まずはミゲカリ王国内を捜索してみることにしたのだ。
ここから近い町をギルドに危機に言った時、レラは受付嬢から思いもよらぬ情報を得た。
「つい先日攻めこんだというのに?」
「えぇ、どういう訳か……」
先日この国と同時期に、アデマス王国はラクト帝国と戦争をおこなっていた。
奮戦虚しくミゲカリ王国は敗北し、領土の一部を奪い取られるという結末になってしまった。
それに引きかえ、ラクト帝国は引き分けに持ち込んだ。
そのラクト帝国相手に、アデマス王国がまたも攻め込むという話だ。
資金や兵糧が尽きての停戦のはずが、どうしてそのような決断をしたのか理解できない。
レラの疑問に答える受付嬢も同じ考えらしく、はっきりとした返答ができないでいた。
「……どういうことでしょう?」
「……分からん。だが、敷島の人間を動かすことは間違いないだろう」
情報を得たレラは、先程の疑問を限へとぶつける。
その質問に少し悩んだ後、限は首を横に振って返答する。
先日引き分けに終わったばかりだというのに、アデマス王国のやっていることは無謀としか言いようがない。
生物兵器の存在を考えていないのだろうか。
「もしかして……もう気付いたのか?」
「気付いた?」
「生物兵器がもう出てこないことをだ」
限たちの暗躍で、ラクト帝国は生物兵器という手駒を失った。
引き分けに持ち込めたのも生物兵器があってのことなので、それがなくなったラクト帝国は、敷島相手に苦戦することは間違いない。
ラクト帝国側の状況が分かっていない限り、こんなにすぐに攻め込むなんてありえない。
「潜入捜査したのでしょうか?」
「……かもしれないが、いくら何でも速い気がする」
レラの言うように、敷島一族なら自分たちを苦しめた生物兵器のことを調べるために、ラクト帝国内に潜入者を送っていてもおかしくない。
その潜入捜査によって、生物兵器の研究所兼製造所が破壊されたことに気付くかもしれない。
それにしても、情報を得るのが速い気がする。
諜報員に優秀なのがいるのだろうか。
「ともかく、オリアーナはひとまず置いておいて、敷島の相手だ」
「はい!」
オリアーナをもう少し探すつもりでいたが、その情報を聞いたらそうもいっていられない。
限は標的を急遽変更し、レアはその考えに頷きを返した。
「奴らが調子に乗るのここまでだ……」
敷島の人間を相手にすることになり、限は密かに呟くと共に獰猛な笑みを浮かべたのだった。