『NPC』
「おめでとう。正解だよ」
能天気な男の声が、ノートパソコンへ注意が向いている俺たちの背後から聞こえてきた。
「霜雪くん、声変わりした?」
俺は小学校高学年かよ。
「とっくに声変わりしてるし、今の声は明らかに後ろからだ」
俺と南は意を決して振り向く。
誰もいなかったはずの背後に、ひとりの男が立っていた。
身長は一七〇後半ぐらいで俺とそうたいして変わらない。ひょろっとしていてあまり運動が得意そうには見えない。
目はやや大きく、俺たちを見ているようで焦点が定まっていなかった。
その双眸からは若干の狂気が感じられた。
毎日の研究で体力のある俺なら、こいつをねじ伏せられるだろう。
ごめん嘘ついた。俺はひょろひょろだよ。
しかし、それでなくともこいつは間違いなくやばいと感じた。
勘で物事を判断するのは性根にあっていないような気がするが、手を出してはいけない存在だと第六感的なものが告げていた。
こいつが俺たちをこの空間に閉じこめた犯人なのだろうか。わからない。
男が口を開いた。
「ああ、自己紹介をしないとね。わかっているとは思うけど、僕は『GM』。君たちをここに招いた張本人。よろしくね」
この男は俺たちを『招いた』と言った。この男は俺と南の共通の知り合いなのか?
先程から押し黙っている人物がいた。南夏希だ。
南はうつむいて何故かプルプルと震えている。
「おい、南?どうした?」
「あっはっは!お前かよ北田!まさかGMが現れたと思ったら北田だなんて。こんなの笑うしかないでしょ」
南は笑いをこらえていたのだ。
笑うとキャラクター変わってないか。
ん?―――北田って一体。
「おい、北田って、なんだよ」
「あーそれは忘れてもらっていい?」
話を進めようとしたのか、GMがエヘンと咳払いをする。
「お話はあとにしてもらっていいかな?南夏希、一応答え合わせをしようか。どうして君はGMと入力したのかな?」
それは俺も気になる。
これまでにGMなんて単語は一切出てこなかった。
「私たちがいたのは、クトゥルー神話TRPGっていうゲームの世界だったのよ」
ゲームの……世界?
「……ゲームの世界ってのはひとまず置いておく。だが、クトゥルー神話TRPGってなんだ?」
「じゃあ説明してあげる。テーブルトークロールプレイングゲーム、略してTRPG。ここ数年で広がりを見せている、会話を中心に遊ぶアナログゲームのことよ。『TRPG』はわからなくても、『RPG』がどういうものかは、あなたも知っているでしょう。
自分だけのキャラクターを作って、仲間と冒険をし、数々の困難を乗り越え、エンディングを目指すの。そのキャラクターのことを探究者というのよ。
そしてTRPGは携帯ゲーム機みたいに一人で遊ぶことはできないの。探究者の他にGMっていうゲームの進行役が必要なのね。
そしてTRPGとはいっても、いろいろな種類があるの。
『Library』にあったのはクトゥルー神話TRPGのルールブック。「GMの知識」っていうページに開き癖がついていたから回答がGMっていう確信を得られたわけだけど、ご親切にも五つの部屋からも推理できるようにヒントがばらまいてくれていたわ」
「じゃあそのTRPGってのと俺の記憶喪失が関係あるのか」
「そんなの知ったこっちゃないわ。どうせキャラ設定でしょう」
キャラ設定……ね。
「君たちを呼んだのはね、シナリオの製作とまわすのを手伝ってもらうためなんだ。ずっと僕はここで一人でシナリオを回していたんだ。
けれどそろそろ一人でやることに限界を感じていたんだよね。新しい視点っていうかさ。第三者からの意見が必要になってきたんだよ」
「ずっと一人でシナリオに携わってきたのでしょう?どうして急に私たちを呼び出したのかしら」
「君たちにとっては急だったかもしれないけれど、この空間に第三者を呼ぶことはずいぶん前から考えていたんだよね。まあ幸運に思ってくれていいよ。君たち二人は永遠に生き続けられるんだからね」
「永遠に?」
「だってそうだろう。僕は唯一にして絶対の存在。創造主なんだ。創造主に代わりはいないんだから不死に決まっているだろう。そして不死であるGMの補助を請け負う君たちも当然不死でなくてはならない。永遠に、楽しくキーパリングができるんだ。これ以上の幸せはないんじゃないかな?」
「唯一無二……創造主……ふふっ」
笑っている場合か。というかこの切迫した状況に笑いどころなんてあったか?
この男、最初の印象通り、だいぶ精神が壊れてるのは間違いないだろう。
「さて、それじゃあシナリオ製作を始めようかな。最初だから一通り説明した方がいいな。そもそもシナリオっていうのは―――」
「あ、北……GMさん、一ついいかしら」
「なんだい?」
「私はシナリオに携わるよりも、元の町に帰りたいのだけれど。この部屋って息が詰まりそうだし、ネズミやクモが住み着いていそうだわ。
それに、家族に会えないのはイヤ」
「はあ、そんな理由か。部屋の内装は自由に変えられるし、『Despair』の彼らを除けば、僕ら以外の生き物はこの空間に存在しない。それに、家族が恋しいのなら、君の家族が登場するシナリオを作ればいいだけだ。僕がそのシナリオをまわせば君は家族に会える。友人でも、死人にだって会える。そういうシナリオなんだから」
「それは、私自身がが家族を作るようなものよね」
「まあ、そうとも言えるかもしれないな」
南は毅然と振舞った。
「だったらその提案はお断り。そんなのは、本物の私の家族じゃないわ。ただの動く人形よ」
「わかってないなあ。そもそもとして、君たち二人も含めて世界は僕が創造したんだ。同じことを僕ではなく君たちが行うだけだ。最初から本物も偽物もないんだよ」
GMは余裕の態度で受け答えをする。
「なあ、GMさん、俺からも一つ聞いていいか」
「いいよ。ここでシナリオを手伝ってもらうのは決定事項だけどね」
決定事項にしないでほしい。
「俺、神にもし会ったら聞いてみたかったんだよな。あんたはどうやって生まれたんだ?」
「始まりなんてないんだよ。ずっと僕は存在する。僕が世界のすべてなんだ」
どうにも曖昧な答えだ。
「あとさ、ちょくちょく会話に出てくるシナリオってなにさ。南は理解してるみたいだけどな」
俺はキリッとしながらもどこか緊張感に欠けている南を一瞥した。
「シナリオはシナリオさ。根幹の物語は僕の作るシナリオによってあらかじめ規定されている。その一片を君たちはは体験していたはずだよ。『Scenario』の部屋でね。
あの部屋にセットしていたのはたまたま『ツチノコ発見』というシナリオだったから、君たちがツチノコを探しにいくのは規定事項だった。
行動場所は選べたと思うが、行く先々で起こるイベントはあらかじめ決まっていたのだよ。どういうわけか途中で中断してしまったけれどね」
GMはやれやれ、といった調子で大袈裟に腕を広げてみせた。
つまり話をまとめると、GMは世界の全てで、俺たちはGM創造された存在で、体験する出来事も規定されている。踊らされている操り人形みたいなものだ。
彼には逆らえない。逆らえば消されて代わりの人を創造するだけだろう。
突破口などない。
「……は、はは」
思わず渇いた笑いが口から漏れた。
「ねえ、GM、あなたが私や霜雪くんを創造したって発言があったわよね」
「それが何か?」
「南夏希を創造したのは私よ」
「「ちょっと言っている意味が分からない」」
俺とGMの声がハモった。おいおい予想外に気が合うじゃないか。
「だーかーらー、南夏希っていうキャラクターを創造したのはPLである伊藤理恵であるということよ。霜雪くんも一緒でしょ」
「その伊藤理恵って誰だよ。俺は俺だしな」
「これロールプレイに徹してたら永遠にクリアできないやつよ。ちょっとは融通を利かせなさい」
「いや本当に意味不明なんだけど」
「あなたはとことん役に立たないわね」
役立たず認定されたんですけど。言葉が明らかに足りてないだろ。説明責任を果たせ。
「き、君たちを作ったのはこの僕だぞ!いったい誰だよ。その伊藤理恵ってやつはぁ!」
俺たちの際に割り込むようにGMは大声をあげた。
そしてGMは気まずそうにおほんと咳払いをした。
「すまない。少し取り乱した。南夏希はどうやら『Despair』での混乱が完全に解けていなかったようだな。発言が支離滅裂だぞ」
「どこが。理路整然としているでしょう。NPCの分際でなめた口をたたくんじゃないわよ。北田柊かと思ったら全然違うわ。まがい物ね」
「僕がNPC?なんだよそれ。僕は唯一にして絶対の存在。創造主なんだ。君を選んだのはどうやら人選ミスだったようだ。せっかく全く新しいシナリオを作ろうと思ったのに。先が思いやられる」
GMの言葉の発言を聞いて南は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「もしかしてあなた、この空間はシナリオに含まれてないと思っているのではないかしら」
「……どういう意味だ」
「これはシナリオの中なのよ。あなたは一介のNPCでしかなくて、私と霜雪くんはPLとして、この『Who am I ?』ってシナリオを俯瞰しているのよ。ね。霜雪くん」
「別に俯瞰していないが……」
「分かれよ!」
南が激高した。怖いな。恐ろしいな。
「GMの僕がシナリオの一部であるわけがないだろ!いいかげんにしろ! NPCなどとほざきやがって……」
GMも激高した。二人ともカルシウムが足りていないようだ。
「じゃあ確かめてみたらどうかしら」
南はあのノートパソコンをGMに差し出した。
「いいよ。入力してやろうじゃないか」
『Who am I ?』
「GMだ」
一瞬の静寂。
画面上の文字が全て掻き消えた。
NO.
NONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONONO
画面が二つの英字で完全に埋まった
部屋の壁面にYou are NPC.と文字が浮かびあがった。
You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC. You are NPC. You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC. You are NPC. You are NPC.You are NPC.You are NPC.You are NPC.
「う、うわあああああああああ!」
GM、いや、可哀そうなNPCは明らかに錯乱していた。
―――扉が自然と開いた。
『Despair』の扉だ。
扉から何かが出てきた。本当に、何かと呼ぶしかないものだった。
その姿は決して定まらない。
飲まれそうな深い闇が体を覆っていた蝙蝠だったかと思えば次の瞬間には手のひらまで黒い黒人の姿になっている。
瞬間ごとに姿を変える、無貌とでもいうべき怪物は、うなだれているNPCに近づいたかと思うと、NPCを新聞を引きちぎるかのように引き裂いた。
姿が変わっていくのも関わらず、俺にはその怪物が一貫してにやにやと笑っているように思えてならなかった。
哀れなNPCは、倒れたまま動くことはなかった。用済みだとでもいうのか。
一連の出来事から目をそらすと、ととんでもない光景が目に飛び込んできた。
『Despair』の扉からはどんどん異形の怪物たちが出てきて『Scenario』の部屋へと吸い込まれるように入っていくのだ。
やめろ!
そう怒鳴ろうとしたが口からは空気が漏れ出るだけで、声帯が震えることはなかった。
『Scenario』へ入っていった怪物たちが何をしでかすのかは想像に難くない。
無貌の怪物は俺と南の方に顔と思しき部位を向け、醜く顔をゆがませた。
きっといまの顔で笑顔をつくるとああも醜くなるのだ。やはり笑っていた。この怪物は面白がっているだけだ。
ところで俺は何者なのか。
俺は、きっとNPCだ。
別に鈍感主人公を気取っているわけではない。わかっている。
俺が記憶喪失なのは、きっと設定以上の記憶が作られていないから。
俺の映っている映像が見つからなかったのは、経験など皆無であり、存在していなかったから。
俺が『Despair』の怪物を見た時、南より先に我を取り戻したのはPLの操る南夏希が行動不能に陥っていたから。
シナリオの進行に不都合だったのだ。
俺もあの悲惨な運命をたどったNPCと同じ、このシナリオの中だけの存在なのだ。
ああ、無貌の顔がますます醜くゆがんでいく。それに伴い俺の意識が遠のいていく。
きっとシナリオが終わろうとしているのだ。
シナリオが終われば俺は消える。
そしてまたこのシナリオが開始すれば、俺は再び存在することができる。
だが全く同じ俺ではないだろう。
南夏希という探究者と行動していたのは、この霜雪雨多だけだからだ。
俺ががいたということを南夏希に覚えていてもらいたい。
もう少しだけ。
もう少しだけ俺は―――
もう少しだけ続きます。