『Memory』『Despair』
俺たちが次に調べに行ったのは『Memory』の部屋だった。
とんでもなく白くて質素な部屋で『Memory』にあったのは一冊の手帳だけだった。
部屋の中央にぽつんと置かれているだけ。
『Library』とはえらい違いだ。
「『Memory』っていうからにはこの手帳、何かの記録なんだろうな」
「ほんとに他に何もない部屋ね。その手帳のためだけにこの部屋を用意したのだとしたら空間の使い方がとんでもなく下手くそなのね」
南はあきれたように言った。
俺は部屋にあった手帳を開いた。
『とりあえず手始めに一つの町と怪物たちを作った。町の外は無の状態だが、別に構わない。必要に応じて作ればいいだけなのだから』
中二病かな?
『今回はよかった。自分で作ったシナリオにもかかわらず目頭が熱くなった。夏希がNPCと一緒に逃げ出すシーンはドラマチックだったなあ。続きが見たい。あ、僕が続きを作ればいい話だった。シナリオ作りがんばろう』
『これはダメだ。あっさりと死んでゲームオーバーだ。バランスをよく考えないといけない』
『アーティファクトの存在を完全に失念していた。一瞬で怪物が倒されてしまったのである。これは僕のミスだ。気を付けなければ』
『幾千ものシナリオを回してきたが一人に限界を感じてきた。ああ、助手がいればいいのに』
話に全くついていけない。
一通り手帳を読んだ俺と南はげっそりとしていた。
なんというか……うん。
読むだけ無駄だったというか、なんだこれ。
「一体この手帳を書いたやつは何をしていたんだ」
「シナリオを作ってたみたいよね。コンピューターゲームかしら」
だが、ゲームのシナリオに、「回す」という表現は似合わない気がする。
シナリオを回す、という表現が使われる俺の知らない何かがきっとあるのだろう。
「これ以外には、『Memory』の中に本当にないのか? 南のいうとおり、この部屋はその手帳を置くにしては広すぎる。ひょっとして隠し部屋とかがあるんんじゃないのか」
「無いと思うわよ。俄然部屋の内容が気になってきたわね。次は『Despair』でいいかしら」
「さっき、『Despair』の部屋はできるだけ避けようってことで意見が一致したじゃないか。嫌な予感しかしないぞ」
「危険なしにスクープは得られないわ。仮にも私はジャーナリストなの。ジャーナリストとしては一度見ておきたいの」
このジャーナリスト、数年以内に取材中に命を落としそうだな。
俺はそんな感想を抱いたが、賢い俺はその言葉を心の底にしまっておく。
「わかったよ。『Despair』の中を覗いてみよう」
俺の同意を得られてむふんと満足げな南は『Despair』の扉をゆっくりと開けた。
そして覗き込む態勢のまま、固まって動かなくなった。
おーい、南さーん。肩を軽くたたいても反応しないぞ。
しびれを切らし、俺もちょっとだけ覗き込む。
怪物がいた。
その数は十や二十ではきかない。百以上いる。
ヒキガエルのような形状をした灰色の体躯、その頭部に当たる部分にはピンク色のイゾギンチャクを思わせる触手が生えている、先程映像に登場していた怪物をはじめとした、数多の醜悪で、奇妙で、冒涜的で、憎悪すべき不浄の生き物たちがたたずんでいた。
俺は固まったまま動けなかった。
じめっとした潮の匂い、虜になってしまうようなかぐわしい香り、どぶの底をさらってきたような吐き気を催す悪臭、実験室で体験するような薬品的な刺激臭など、鼻に大量の情報が自分の脳に入ってきて、俺は我を取り戻した。
南はいまだに固まったままだった。
「さっさと扉を閉じるぞ!」
南を扉の前から強引に引きはがすと同時に扉を閉めた。
……ひとまず危機は去っただろうか。
「はーやーくー気を取り戻せよ」
ぺちぺちと乾いた音を立てつつ、俺は往復ビンタをする。
ほっぺたってけっこう柔らかいな。
なかなか南は我に返らない。
「はやく気を取り戻せよ!!」
自然と手にこもる力も強くなっていく。
ペシペシと音が部屋に響く。
バシバシ
バチバチ
バシンバシン
……
ゴッ
やがて南ははっとしたように目を見開いて辺りを見回した。
そして申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい。私のわがままのせいで危険に身をさらしてしまって」
「気にするな。幸いあの怪物たちは襲ってこなかったしな」
血も凍るような恐怖体験、というのは先程のようなことを言うのだろう。
お互いに無事だったのだし貴重な体験をさせてもらったと思うことにしよう。
ポジティブ方面に思考を働かせていないとやっていられない。
「でもあなた、叩きすぎではないかしら。頰がジンジン痛むわ」
「腫れてるが大丈夫だ。問題ない」
「やっぱり腫れてるんじゃない……いくらなんでもやり過ぎよ」
南は恨みがましい視線を俺に向けた。
鼻血は彼女が気がつく前に止まっていた。
「ところで霜雪くん。『Scenario』の部屋に入る気概は残っている?」
ひっっじょうに遠慮したいのだが、南が『Scenario』へ入ったまま帰ってこなかった場合を考えるとなあ。行くしかないよなあ。
反対する理由はいくつもあったが、反対する理由はない、というスタンスで行くことにした。
また南が気を失ったとしても、再び殴って起こせばいい。
「そうだな。手帳の持ち主のいうシナリオの正体が判明するかもしれないからな」
そして俺たちは『Scenario』に足を踏み入れた。
足を踏み入れた瞬間、部屋からはまばゆいばかりの光が差し込んできて、俺たちを包み込み―――