『Library』
探索開始。
『Library』の部屋は円柱の部屋の十倍は広かった。真っ先に目に入ったのは壁一面にずらりと並ぶ本、本、本……ではなく中央で本を読む一人の女性の姿だった。
女性は部屋に入ってきた俺の存在に気付いたようで、ゆっくりとその顔をこちらに向けた。
年齢は二十代前半ぐらいだろうか。適当な電車に乗り込めば一人か二人は見かけるのではないか……というレベルの美人だ。悪くはない。
黒Tシャツにジーパンというラフな格好である。
第一村人発見、とばかりに俺はその女性にファーストコンタクトを図る。
「あー、いきなり失礼なことを聞くが、誰だアンタ」
「やっと起きたのね。別にあのまま眠っていてもよかったのに」
「俺はアンタが何者かを聞いているんだが」
「相手のことを聞くならまずは自分のことから喋ったらどうかしら」
むう。それもそうだ。
「じゃあ自己紹介をしようじゃないか。俺の名前は霜雪雨多。大学院で放射線についての研究をしている。あと、なんていうか絶賛記憶喪失中、みたいな感じだ」
女性は軽く首をかしげた。
「記憶喪失?頭でも強く打ったの?」
「記憶喪失の原因も含めて記憶喪失。昨日自分が何をしていたのかも思い出せないからどうしてここにいるのかも理解不能だ。
ほら、これでいいだろ。次はアンタの番だ」
女性は口を開いた。
「そうね。私の名前は南夏希。しがないジャーナリストよ。よく海外へ取材に行くわ。記憶喪失ってことは無いわね」
数秒の沈黙。
「それだけか?」
「自己紹介の長さで言えばあなたも似たようなものだったじゃない」
事実なので何も言えない。
「ところで、この場所は何なんだ?アンタ、えー、南さんは知ってるか?」
「ここについて知ってることは私もあなたと変わらないわ。きっと記憶喪失は関係ない。起きたらいつの間にかあの円柱の部屋にいたのよ」
俺は驚いて聞いた。
「本当に知らないのか。それにしてはやけに落ち着いているように思えるが」
「仕事柄、どんな状況でも自制心を保たないとやっていけないわ。なに、霜雪くんは私に女らしく泣き喚いてほしいのかしら」
霜雪くん、と女性に呼ばれるのは何というか気恥ずかしい。その照れもあってあまり強くは出れない。
「いや、そういうわけでは……」
「むしろ霜雪くんこそ落ち着きすぎているのではないかしら。
この空間に閉じ込められたうえ、記憶喪失。不安も大きいでしょう。あなたも仕事柄冷静でいられるのかしら? それとも記憶喪失は嘘?」
「いや、別にこの状況に不安を感じてないわけじゃない。記憶喪失も本当だ。ただ何というか……イマイチ危機感を感じないんだよ」
「記憶喪失の衝撃で頭一面にお花が咲いたのかしら。一刻も早くこの空間から出なければ、わたしもあなたもどうなるか分からないのよ」
言われてみればその通りだ。俺の状況は南よりも明らかに悪い。それでいてパニックにならないでいられるのはなぜだろうか。
ちょっと頭を働かせればその理由はすぐに分かった。
「南が意識を取り戻したとき、俺もアンタも特別体が拘束されていたりはしなかったよな?」
「ええ」
「俺たちをこの場所に閉じ込めた犯人は、その気になれば拘束するだけじゃなくて、目隠しをさせる、猿轡をかませるとか色々できたはずなんだ。
しかしそんなことはなかった。だが俺たちを自由にしておくなんて、どうぞご自由にお調べくださいって言っているようなものじゃないか。
つまりだ。俺たちをこの場所に閉じ込めた犯人は、俺たちに部屋を調べさせる気満々なんだ。調べられても不都合がないからかもしれないが。
犯人の目的はまったくもって不明だが常時警戒態勢でいることはないと思う」
南はあきれたような目でじろじろと俺を観察している。
「まあいいでしょう。それで納得してあげるわ」
この南夏希という人物、かなり気が強いらしい。下手なことを言うとむしろ俺が泣かされる羽目になりそうで怖い。発言には気を付けようと思う。
「話を戻すわ。私が気付いた時、そばではもちろんあなたが寝ていた。でも気持ち悪かったから起こさずにそのまま放置したのよ」
「服装そんな気持ち悪かった?」
ちょっとだけ傷ついたぞ。そりゃあ他人からしたら話しかけようと思うような格好ではないけどさ。
だがアンタも金さえあれば働きたいと思うはずはないだろうに……
「あ、気持ち悪かったのはあなたの服装じゃなくて……服装もたいがい変だとは思うけれど、一番はあなたのいびきよ」
それ何のフォローにもなってないからな。
むしろさっきの三倍増しで傷ついたので、ぜひともここを出たら慰謝料を請求させてもらいたい。
「そして『Library』で本を調べていてしばらくしたら俺も起きてきていま出くわしたってわけだな」
「そんなところね」
南がうなずいた。
「で、何か役に立ちそうな本は見つかったのか?」
こんな大量の本があると探すのは相当時間がかかりそうだ。
「この部屋にあるのは古い本ばかりね。それに日本語で書かれた本が全然ない。古事記はあったけれど」
むしろなぜ古事記があるんだ。だが古事記はちょっと興味あるぞ。もう古文なんて覚えていないが。
「いくつか調べてみたけれど、本の言語は英語だけじゃないわ。ドイツ語、フランス語、ロシア語……私の知らない言語で書かれた本もかなりある。
昔は英語がマイナーな言語だったらしいし、そんな歴史的な背景も関係あるのかもしれないわ」
そう語る彼女の隣には、調べていたであろう、人を殴り殺せそうな、辞書以上に分厚い本が何冊も積まれていた。
「英語以外も話せるのか」
「話せるといっても、私の外国語技能は英語を除けば日常会話程度よ。あまり期待されても困るわ」
日常会話程度とはいっても尊敬に値するな。俺の知ってる海外の挨拶なんてハロー、ニイハオ、ボンジュール、こんなもんだ。
どうか早くAIが自動翻訳してくれる世界になってほしいね。
俺は本の山の中から適当な一冊を手に取るとパラパラとめくっていく。
うーん。当然のことながら全く読めない。英語なら多少はできるのだが戦力にはなれそうにないな。
仮にこの本の内容を翻訳し読もうとすれば何年もかかってしまうだろう。
何冊かパラパラとめくっておて気付いたが、ほとんどの本に時折、奇妙な図が描かれている。
それはなんというか、有体に言えば魔法陣のようなものが多い。六芒星の周囲に異界の文字が書き連ねられているようにも取れる。
中世ヨーロッパあたりの本だったりするのかもしれない。中二心をくすぐられる。
何もしないで時間をつぶしているのは申し訳ないし退屈なので、俺も本棚の本を調べてみることにした。
一時間ほどだろうか。ざっと調べてみたがめぼしい本は見つからなかった。数が多いうえ、そもそも読めない本ばかりだから仕方ないといえば仕方ないのだが。
「なあ、他の部屋に行ってみないか?闇雲に本を調べていても時間がたっていくばかりだぜ」
「そうね。一度他の部屋を探すというのはいいかもしれない。でも、どの部屋にする?私としては『Despair』だけはできる限り避けたいところなのだけれど」
「その意見には大賛成だ。次に調べる部屋なんだが、個人的には『Experience』へ行きたい」
「『Experience』ね。わかったわ。じゃあ私は『Scenario』に……」
おいおい、ちょっと待て。
「なぜ別行動をしようとしているんだ」
「別れた方が効率はいいでしょう。もしかして寂しいの?」
南はからかうような笑みを浮かべた。
「別に寂しいんじゃないさ。この空間、どこにどんな危険が潜んでいるかわからないだろう。お互いに何かあった時に助けられないぞ」
これは建前だ。
率直に言って、南の単独行動を許したくないのだ。もしも俺をこの状況に追いやった犯人が、目の前にいる南夏希だったらどうする。
この妄想が当たっているとしたら、南を一人で行動させるのはリスクが高い。
南は顎に手を当て少し考えるようなそぶりをすると、顔をあげていった。
「あなたのいうとおりね。『Experience』でいいわ。さあ行きましょう」
幸い、南はすんなりと単独行動を取り下げてくれた。
南への警戒心が少し薄まった。俺の警戒を解くため、と言われたらそれまでだが現在はそう心配するこ とはないだろう。
円柱の部屋を通るときに南がつぶやいた。
「ノートパソコンが開かれてる」
「ああ、そのパソコンを開いたのは俺だよ。『Who am I ?』だってさ」
「ふうん」
南はたいして興味がなさそうだ。そんなもんか。
「南、お前は『Who am I ?』の回答に心当たりはないか?」
「無いわね。皆目見当もつかないわ。でもきっと私たちをこんな状況にやったトンチキの名前を答えろってことなのよ」
トンチキって……俺の頭に浮かんだのはソースのかかった豚肉のソテーだった。
それはトンテキ。