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リアの物語、開演です。
仄暗い地下室。古びた蛍光灯が怪しく照らすのは、部屋の至る所に置かれた実験器具の数々。
怪しげな薬品に、ビーカーと試験管。そして何やら音を立てながら稼動する電子器具。しかし最も目を引くのは、部屋の中心に備え付けられた台座の上に置かれている物だろう。
少女の形をしたそれ。幾つものコードに繋がれ、台座の上で微動だにせず佇むそれの目の前では、白衣の男が満足げにそれを見つめていた。
三十台中盤か、頭に混じる白髪を見ると四十台に差し掛かる頃のようにも見える男。アンダーフレームの銀縁の眼鏡を光らせ、怪しげに口角を上げると目の前の機械を動かしていく。
「ふふふ、遂に、遂にこの時が来た……我々の悲願が達成される時が……」
ちか、ちかと蛍光灯が点滅し、ただでさえ暗いその部屋にさらに影を落とす。
「ふふ、ははははは、ハァッハッハハハー!」
両手を広げ、高らかに笑い出す男。その瞬間、バチンと音を立てて部屋の明かりがついた。
「ちょっと博士、煩いですよ。マッドサイエンティストごっこがしたいなら一人の時にやってくださいよ」
そう声を上げたのは、部屋の隅で画面を見ていた一人の少女。栗色の髪を一括りにまとめ、化粧っけの無い顔には黒縁の眼鏡をかけている。
「ちょ、何で電気つけるの。せっかくいい感じだったのに」
博士と呼ばれた男は眼鏡を取り外すと白衣のポケットへと無造作に放り込む。
「こっちは画面見てるんですから部屋を暗くするのはやめてくださいよ。それにこんな骨董品、どこから買ってきたんですか」
少女は椅子から立ち上がると、天井付近に雑に取り付けられていた壊れかけの蛍光灯を取り外すと、ゴミ箱へと放り込む。
「あーちょっと、何で捨てるんだ! せっかく路地裏のジャンク屋でいい感じの奴があったから買ってきたのに!」
「このご時勢によくこんなもの買えましたね。一世紀以上前のものですよね、これ」
「どんなものにも愛好家というものはいるのさ」
そう語る白衣の男――エドワード=ホーキンス――は部屋の隅からパイプ椅子を引き出し、腰を落とす。
そんなホーキンスを一瞥し、また目の前の仮想ディスプレイに視線を戻す少女。名をエルキュールという少女が口を開く。
「それじゃ、さっさと起動実験をしちゃいましょうよ。そろそろお腹も減りましたし」
「エル君はロマンが分かって無いねぇ」
「ロマンじゃお腹は膨れませんから」
そう冷たく返すエルキュールに対して、ホーキンスは肩をすくめる。
この二人は現在、ホーキンスの家の地下に作られた研究室で、ある実験を行っている。
Leal Imitation Artifact Project。そう名づけられたその研究。人を模倣するアンドロイドを作りだそうというその実験は、学会、そして大学に異端とされ、教授であったホーキンスは大学から放逐された。
大学から放逐された後も、ホーキンスは研究をやめることはせず、今まで蓄えた私財を持って研究を継続した。
そのホーキンスにただ一人ついてきたのは、当時学生としてホーキンスの研究室に所属していたエルキュール。彼女もまた、アンドロイド研究の魅力に取り付かれた一人であった。
アンドロイドの研究は、現代社会では異端とされる。人工知能技術が発展し、人の社会に必要不可欠な物として認知されるようになって久しい。しかし、人に迫るような人工知能は未だに開発されておらず、研究する研究者もほとんど存在しない。
なぜならば、必要が無いからである。ある程度まで発展した人工知能技術は、各分野において特化した性能を持っていれば十分で、人に迫るようなものなど必要とされる事は無かった。
何よりも、ほとんどの産業の自動化、機械化が進んだこの社会において、人に取って代わるような技術など、雇用の減少を生むだけである。
そういった理由から、彼らの研究に金を出すような企業など存在せず、結果としてホーキンスは大学を追われる事になったのだ。
それでも、自分の夢であるアンドロイドの製作を諦め切れなかったホーキンスは自費で研究を進め、僅か三年という期間で理論を構築、実証実験を行えるところまでたどり着いた。
「それじゃーとりあえず起動しますよー。一応理論的には大丈夫なはずですけど、博士の事だから失敗してる可能性もありますからね」
「ちょ、ねえエル君。今日はいつもより口が悪くない? というか、起動ボタンは僕に押させて欲しいんだけど……」
エルキュールは面倒そうに溜息をこぼすと、椅子を動かしてディスプレイの前をホーキンスに譲り渡す。
「ふふふ、ハァッハッハッハー! 目覚めよ、至高の人型アンドロイドよ!」
高らかに声を上げるホーキンスの指が、仮想ディスプレイ上に表示された起動ボタンを力強く押す。
台座の上の少女に繋げられたコードと、周囲の計器類がバチバチと音を立てて発光し、眩いほどの光が研究室を支配する。
「別にこんな演出いらないと思うんですけどねぇ」
エルキュールのそんな呟きをよそに、計器が音を立てて稼動していく。
そして、すべての計器が動作を終え、ついに彼らの悲願であった、人型アンドロイドが動き出す。
設えられた炎のような赤い髪が揺れ、瞼がゆっくりと開く。
その奥から現れた髪と同色の輝く瞳が、目の前に立つ二人を映し出す。
「起動確認。各部動作に異常なし。正常に起動しました」
アンドロイドの口から発されたその言葉に、二人が揃ってこぶしを握る。顔を合わせる二人に、アンドロイドの少女が問いかける。
「マスター登録が必要です。お二方の内どちらかをマスター、もうお一方をサブマスターとして登録が出来ますが、どちらに致しますか?」
「僕、エドワード=ホーキンスがマスターで、彼女、エルキュールがサブマスターだ」
「それでかまいません」
「かしこまりました。エドワード様をマスターとして、エルキュール様をサブマスターとして登録しました」
無機質な表情で、ぎこちなく一礼するアンドロイドの少女を、満足げに見つめる二人。
「あと、以後僕の事は博士と呼ぶように。それから君の名前はリアだ」
妙な拘りと、以前から決めていた少女の名前を告げるホーキンス。このプロジェクト、Leal Imitation Artifact Projectの頭文字から取った名前である。
「リア――かしこまりました。以後そう称させていただきます。よろしくお願いいたします。博士、エルキュール様」
そういいながら、今度は綺麗に一礼を決めるリア。
「学習プログラムも問題なく作用しているようですね。ネットに繋げておいて正解でした」
リアに組み込まれた、ネットから情報を収集し、学習する機能が上手く働いている事を確認したエルキュールが満足げに頷く。
あらかじめ必要不可欠な情報――言語や身体制御方法――はインストールしてあるが、それ以外の情報はほとんど無い。学習し、成長する事を目的としている為だが、これも学習プログラムが上手く働かなければ意味が無い。
そういった意味で、ほっと安堵の息を溢すエルキュール。ホーキンスは起動した事に興奮するあまり、必要な確認事項などが頭から吹き飛んでしまっているようだ。
「博士、このまま一通りの確認事項をチェックしていきます。私がやっておきますので、博士はリアの服を取ってきて下さい」
暗に、煩くて邪魔だからどっか行ってろ、と言われている様なものである。しかしホーキンスはそんな事に気づく様子も無く、軽い足取りで階段を一段飛ばしで上っていく。
「それではリア。これから起動チェックを行いますので、私の指示どうりに動いてください」
「かしこまりました、エルキュール様」
「……私の事は、エルと呼んで」
クールを装っていたエルキュールも、それなりに楽しんでいるようだ。
「ただいまー。動作チェックは問題無かった?」
「ええ、万事問題なく。ネット回線に若干の不具合が見られますが、問題ないでしょう。博士が安い回線プランを使っているのが理由ですので」
お前が金をケチってるせいだぞ、というエルキュールの視線もなんのその。ホーキンスは気にした様子も無く。デスクの上に抱えていた布の束を広げる。
「まあ回線はその内ちゃんとした契約にしよう。とりあえず服を持ってきたから、リアに着せてあげてくれる?」
「……博士、これはあなたの趣味ですか?」
デスクの上に広げられているのは、黒と赤を貴重としたドレス。それもフリルが大量に設えられた、所謂ゴシックロリータのドレスだ。
「博士、目を逸らさないで下さい」
「いや、あのね。ほら、エル君が僕に服選びは任せてくれたけど、女性モノの服屋には入れなくてね、それで仕方なくネットショップで探してたんだけど。これがばっと目に入って来てね」
「博士の趣味じゃ無いですか。普通にヒきますよ」
座っていた椅子を引き、博士から少し距離を取るエルキュールであった。