第五話 蛇神の要求
その少女は、まさに可憐の一言に尽きたので御座います。
流れるその長髪は漆黒の夜空を感じさせ、服の隙間から見える肌の透明感たるや否や、まるで澄んだオアシスのよう!
瞳は無数に浮かぶどの星星よりも輝きを放っておりました。
「中々の素材じゃありませんか?
どうです? 私、可愛いでしょう?」
少女は悪戯に微笑するのです。
これが邪神でなければどれだけ良かったことでしょう。
しかし男は、それの容姿以上に色めき立っている殺気に、恐れを感じておりました。
男は、背負っている屍体を、割れ物を扱うかのように、丁重に地面へと置きました。
ハイエナから、屍喰鬼へと肉体を変貌させました。
「まっ!
まさか屍喰鬼だとは思いませんでしたわ!
あの低俗な屍喰鬼が、どうしてそこまでの魔力を持ち合わせていたのでしょう!
あー、なるほど、貴方の才能だったのですわね!」
「別に、自分の魔力を自慢したいわけじゃない。
あんたの方が、そりゃ立派な魔力を持っているだろうよ」
「いいえ、そんなことはありませんわ!
魔力量でいえば貴方の方が上ですわ!
でも、まあ、それでも負けることは万に一つもありませんけれども」
「だろうな。逆立ちしてもあんたにゃ敵わないよ」
で、と男は続けます。
「俺は、あんたの、蛇神様の御眼鏡に敵ったのかい?」
うーん、と蛇神は、口元に指を当てて、厭らしく、敢えてそうしているかのように、考える素振りを見せます。
「いくつか質問してもいいかしら?」
「俺に答えられる範囲なら」
「では、その屍体は何かしら?」
「こいつは、砂漠で死んでいた屍体だ。俺が殺したわけじゃない」
「どうしてお食べにならないの?」
「こいつを喰ったら俺は人間ではなくなるからだ」
「少し意味が分かりませんね。どう見ても貴方は人ではないと思うのですけれども」
「ああ、実は……」
と男はこれまでの経緯を話します。
蛇神はそれを「まあ!」時には「なんと!」と相槌を挟みながら聞きました。
「なんとも奇怪なことがあるものですね。
私なんて、転生に一体何年かかったと思います?
千年ですよ!
千年!
ああ!
思い出しただけでも腹が立ちます!
私を封印したあいつ!
その一族!
絶対に許しませんわ!
四肢をもぎ取り、穴という穴に蛆を入れて、生きたまま内臓を、腸を穿り返さなければ気が済みません!
あっ、ごめんなさいね。
はしたないところをお見せしてしまいました」
と微笑を浮かべます。
「まあ、それはさておき、なるほど。貴方、殺すには惜しい素材ですわ」
「ありがとう。とりあえず、俺は何をすればいい?」
「貴方の当面の目的は、その屍体の蘇生?」
「ああ、そうだ」
「お食べなさい」
「は?」
「その屍体を喰いなさい」
衝撃でした。
今までの話を聞いたうえで何故そういう発想になるのか、男には分かりませんでした。
しかし、男は聡明で御座いました。
蛇神が何故喰えと言ったのか。
蛇神とは何か?
転生?
「俺から、その屍体の男を転生させようとしている?」
思考を声に出しました。
蛇神は一瞬驚いたような表情を見せましたが、すぐに先程の人を小馬鹿にしたような表情に戻ります。
「まぁっ!
貴方は頭がいいのですね!
少し違いますが、概ね正解ですわ!
いいですか?
まずは貴方がその屍体を食べる。
そして私が貴方から屍体の魂を再生させて蘇らせる。
もちろん依り代は必要ですけれども、あはは、健全な肉体など奴隷を使ってしまえばよいのです!
私の力をもってすれば簡単なことですわ!」
「奴隷を使うって所に引っかかるが、まあ、いいだろう。
その話の信憑性は、お前が復活した様子を見れば分かる。
で、それを代償に俺は何をすればいいんだ?」
「私の弟子に御成りなさい。
私の復讐の一端を担うのです」
「俺に人を殺せと?」
「あら、殺人に抵抗が?」
「当たり前だろ」
「でも魔物を殺したではありませんか。
喰ったではありませんか!
だのに、殺人は厭?」
「魔物は別だ!
人間じゃ……」
ああ、そういうことか。
男は納得したのです。
男は理解したのです。
「魔物は、人間だったのか……」
「ええ!
やはり貴方は賢い!
その明晰な頭脳はきっと私の役に立つことでしょう!
ああ!
子宮が疼きますわ!
復讐を果たした暁には、貴方の子を産んであげましょう!」
魔物は、行き倒れた人間の末路なので御座います。
人間が、死に、腐り、骨が砂と同化し、
そして夜が、屍体に新たな生を与えるので御座います。
屍体が産声を上げるので御座います。
「なんだ、俺の矜持なんて。
もうすでに、あの夜に消え去っていたんじゃないか。
ははっ」
男は嘲笑します。
人間が人間の形をしていなければ、それは人間ではない?
意識がなければ、人間ではない?
男の価値観は、そうではなかったのです。
男の中では、人として生を受けた者は、絶対的に『人』だったので御座います。
そして男の矜持から言わしてみれば、人を喰わないことこそが、男を人間たらしめる要素だったので御座います。
つまり、すでに肉体的にも魔物である男は、
その安い矜持が消失し精神的にも
人間ではなくなったので御座います。
なんと嘆かわしいことでしょうか!
なんと哀れ!
なんと不憫!
「いいだろう」
男は言います。
男は、決断したので御座います。
「お前の弟子になる。
お前の仲間になってやる」
「そうでしょう!
そうでしょう!
運命が憎いでしょう!
なんて可哀想な子!
その絶望も、
その憐憫も、
私が全て包みこんで上げますわ!
私を母だと思いなさい!」
運命を、男は呪ったので御座います。
それは自分に掛けた『生』の呪縛から来るものでした。
男の目的は、自分が人として生きることではなく、
生き抜き、自分をこの世界に引き摺り込んだ者を殺すこと。
深淵に足をかけ、
呪いの砂海に浸り、
奈落の詛呪を飲み込んだので御座います。
男は、屍体を喰いました。
まるでその様子は、飢えた獣そのもので御座いました。