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カフカを置き去りにして

作者: 野庭 今日



 初めは確かに山だった。紙の山。ありとあらゆる書物があるらしい、という山に私は挑んでいた。


 なだらかに続く山道は全て本で出来ていて、読書好きの私はドキドキしながらも踏みしめる度にごめんなさいと思ったものだ。

 子供の頃好きだったのはファンタジー。

 といっても、病弱な母の医療費がかさむ貧乏な私の家では本を買うよりその日の食事のほうが大切だったわけで。

 もっぱら絵の下手な母が病院のベッドで作った『てづくりえほん』が私の愛読書であった。

 大人になってからは給料の大半を本につぎ込み、特に休日に一人カフカを読みふけっては怠惰な孤独に身を預けていた。


 物思いから覚めると目の前の壁というか、そり立つ崖を睨む。

 山、と呼べるような段階はとうの昔にすぎてしまっていて、今は断崖絶壁だ。

 風が吹く度に無造作に積み上げられた、というよりも組み上げられた本のページがバラバラとめくれて、鳥の羽ばたきよりも重厚で騒々しい音が当たり一斉に鳴り響いた。

 ザックを背負いながら一端の登山家を気取った私はどうにも戻れない場所まで来てしまっているように感じる。

 下を見るとはるか先までカラフルな山肌が見えて、ポップが私を殺しに来ている、と錯覚してしまいそうになった。


 ――なぜ登るのか、そこに本があるからだ。

 小さく呟いてみるけれど、威勢はお腹の底でぐるぐると回るばかりで、体を一層重くするだけだった。


「カフカがよーみたーいなー。よいしょ、っと」


 電気羊にフックをかけて、何度かロープを引っ張る。

 しっかりと噛み込んでいることを確認してから恐る恐る体重をかけた。

 両足の先にあるグリム童話をキックして、バランスを崩しながら蛙のごとく無様に崖へ張り付く自分の姿勢を客観的に考えて、何をしているんだろうとため息が出た。


 こみ上げてくる涙を拭うはずの両手はあいにく塞がっているので、頭ごと腕にうずめる。

 しびれた腕を片手ずつ離して、軽く振る。


「一旦休憩にしよ」


 ぽつりとこぼすと、少し離れた頭上にある、二畳分ぐらいせり出た本の塊を目指して進んだ。

 ……どうやら、先客がいたようだ。

 髪を金髪に染めた若い男が手を振っている。

 てかてかとした虹色のアイウェアと笑った際の白い歯が何とも言えないコントラストをかもしだしていた。


「やっほー」

「うわ軽薄そう。失礼しました」

「初対面にしては辛辣」


 本の山を登る連中はたくさん見てきた。

 大体が希少な本を持ち帰って売りたいという俗物だらけのどうしようもない人達ばかりだった。


 ――だが侮ることなかれ、この不思議パワーで出来たなんでも在りな本の山は仮に持ち帰れたとしても、地上へ降りた途端もとの位置にいつの間にか収まってしまう。

 なので、今の所持ち帰る手段は地道に写すか、ハンドスキャナーで1ページ1ページスキャンするかの二択がセオリーだった。


「ここにおいでなさい、おいでなさい。いやーお姉さんは何で登ってんの?」


 男は私を強引に引っ張り上げると、辛辣な態度にもめげずに話を続けようとする。

 こういう輩は苦手だ。本のことを抜きにしても人の事情にズカズカと土足で踏み込んでは「ふーん」の一言で終わらせてしまうからだ。

 そんなことをされると、私はどうやって悩んだらいいのかさえ分からなくなってしまう。


「……読みたい本があるから」


 嘘はついていない。だが、それが読める本だとは言っていない。

 あるいは、本ですらないのかもしれないとも。


「amaz◯nで買ったほうが早くない?」

「死なない程度に滑落しろ」


 首をかしげる男を肘でグイグイと押した。


「やめてよー冗談じゃん。怖いなー。まあ絶版とか世に出てないような下書き状態の原稿とか、ほら、こんな風にコースターにその場で書きなぐったようなメモもあるしね。これってどこから本ってカウントされてんのかな」


 男は頭をかいた。男の手のひらで文字が滲んだコースターがちょこんと所在なさげに置かれている。

 ときどき本の隙間を埋めるようにこういう文字がかかれたガラクタがしばしばつめこまれている。


「知らない。文字は全部本だったりして」


 私は投げやりに答えた。


「膨大すぎんだろーそりゃないぜ」

「じゃあアナタはどこまでが本だと思うの」

 

 どこまでが本、私には頭の重い話題だった。

 著名人が書いたものならなんでも本になるのだろうか?

 それとも形になっていれば本なのだろうか? 

 素人が作った本でも、本とカウントしてくれるのだろうか?


「うーん。物語があれば?」

「コースターの書き殴りが物語になるとでも?」

「違う違う」

「じゃあ何」


 男は続ける。


「書かなくてもそれ自体が物語なんじゃん?このコースターとかさ。これに書かなくても紙をもらうなり買いに行くなり自宅に帰るなりすればいいのにさ、わざわざコースターに書きたくなるようなことってなんだったんだろうな?仕事のメモ?それともなんかものすんごいアイデアを思いついた?慌てて書いたってひと目で分かるような文字、ちょっとついてる茶色いシミはもしかして珈琲かな、とか。俺達は丁寧に解説された文字の羅列以外にも物語を感じ取れるようにできている。文字は物語の、分かりやすい案内人なだけだよ」


 見えない物語は確実にある。

 そこに込められた願いや想いを私は上手く拾えたとはいえないけれど。


「確かに、そう言われれば……このシワシワのコースターも物語なのかもしれないわね」

「だろー?色々推測したけど……実は可愛いウエイトレスに連絡先を書いて渡す予定だったのかもしれない。俺、なんかそういう俗っぽい人の痕跡が面白くて登ってんの」


 ニカっと笑う男に思わず微笑み返す。


「でもそれが本当ならもうなんでもありじゃない。自作の本とか手紙とか書類とか、まさかそれも含まれるんじゃないでしょうね」


 私は眉をひそめた。自作の本とか、という自分の言葉に。


「積み木とかデカくて重いものから積んでいくのが鉄則だろ。だから下道は図鑑とか学術書とか、多かっただろ?上はきっと軽い紙が大量にあるぞ」


 まじまじと男をみる。目からうろこだ。


「上に行けばいくほど軽い……」

「あと、物語性の低いものも下にある気がする。……死ぬほど泣ける物語が上にはあるかもよ」

「その法則はしらなかった。じゃあきっと、この山の地底は古代の石版だらけね」


 私は適当なことを口にする。重たいぐるぐると回っていた何かはいつの間にか自然と口から出ていってしまった気がした。


「ロマンだなあ!そのアイデアいただき。SNSにアップしよっと」


 パン、と手を合わせると男はウェアの中から紐付きの端末を引っ張り出すと、素早く指を滑らせる。


「嘘情報で炎上してしまえ」

「むごい」


 端末から顔をそらさずに、男は私に不意打ちをする。


「で、見つかりそう?」

「何が」

「本だよ、本!探してるのがあるんだろー」

「見つかるかはわからないけれど、きっとこの中にあるって今確信したかも」

「俺のおかげだろ」

「馬鹿じゃないの?私がわざわざ探しに来たんだからあるに決まってるでしょ」

「矛盾してる……。俺もやることないし、手伝ってやるよ」

「え」

「え、じゃなくて。一緒に探すの」

「……永遠に見つからなくても知らないから」

「いいよ別に。その代わり見つかったら俺にも読ませてね」

「やだ。でも手伝って」

「えー」

「えーじゃない」

「まあ、暇だからいいけど。お姉さん面白いし」

「ありがと」

「どういたしまして」

「あー腹減ってきた。昼食はまだならこれにしない?」


 男は無造作に表紙が少しよれたオレンジページを引き抜くと、中からオムライスを出して私に差し出した。

 ふと、このオレンジページに込められている物語はなんだろうと思った。

 料理下手な女の子が滅多に家に帰らない病弱な母のため、決心したように雑誌を抱えてキッチンへ立つ姿を想像して、少しだけ懐かしさに揺られた。


「あ」

「どうしたの?」


 もぞもぞと狭いスペースで男が体を捻る。


「……カフカの日記を尻に敷いてた」

「ここじゃ何かしらは踏むでしょ」


 複雑そうな顔をする男を置き去りにして、原本らしきカフカより、私は目の前のオムライスをがっついた。





体力勝負。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い! 世界観ががっつり自分のツボにはまりました。 [一言] 執筆活動頑張ってください。
[良い点] 面白い山。私も登ってみたいです。 二人の雑談で何気に彼が面白い発想してて、その発想が私のトキメキポイントを突きまくりでした。 [一言] 途中まで不思議体験の話かと思ってました。 >本の…
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