二、葵 四月七日(日)
どうしてあんな夢を見たんだろう。
もう四年も前のことなのに。
葵自身、完全に忘れられたとは思っていなかったが、それでも気にしないようにはなれていたつもりだった。
本当に、どうしてあんな夢を見たのか分からない。
最近あった出来事で、あんな夢を見るきっかけがあるとしたら、ずっと空き家だった隣家に誰かが引っ越してきたことぐらいか。
四年前、彼が公園に現れなくなったのは、引っ越しでもしたんだろうという結論で落ち着いていた。
いろいろ考えはした。
自分の存在が彼を遠ざけてしまったのか、それとも彼はこの空間に飽きてしまったのかなどと。
そもそも彼があの空間を特別だと思っている保証なんてどこにもないのに。
四年前、葵と彼は同じ公園で本を読んでいた。
本当にそれだけ。
同じ場所で本を読んでいただけだ。
図書館でたまたま近くに座って本を読むのとそう変わらない。
違う点があるとすれば、そこには彼と葵しかいなかったことくらいだ。
それなのに特別に感じていた。
お互いになんの干渉もなく、暑い日も、寒い日も、雨や雪でも降らない限りはそこに来て本を読むだけなのに、心地よかった。
どうしてと訊かれてもうまく答えられる気はしない。
ただ、心地よかった。それだけだ。
いつの間にか、公園に行くのが楽しくなっていた。
最初は一人になりたいから行っていたのに、彼は今日もいるだろうかと考えてしまうようになっていた。
葵は学校があまり好きではなかった。
大勢の集まる空間は苦手だ。
話すのは得意じゃないから。
出来れば誰も話しかけないで欲しいし、誰にも話しかけられたくない。
話しかけられてもたいしたことを言えない。
おはようと言われればおはようと言う。
むしろ、おはようしか言えない。
どう言葉を繋げればいいのか分からない。
かと言って虐められるのは嫌だったから、とりあえず頷くことだけはしていたら、なにも断れないような性格になっていた。
そんな自分が嫌いだ。
小学生のときは躍起になって直そうとしていた気がする。
けれど、今は正直どうでもいい。
今でも嫌いだけど、直す理由が見当たらない。
誰だって自分の嫌いなところはあるだろうし、高校生になった今、進んで話そうとしないだけで「清楚だ」とか持て囃されて放っておかれる。
直さなくても損なことがないなら、直す必要がない。
なんで小学生の自分は躍起になって直そうとしていたのか不思議でしょうがない。
別にあっても誰も困らないんだから、そのままでいい。
夢の舞台である公園で、葵はそんなことを考えながら本を読んでいた。
考え事をしていると本の内容がイマイチ頭に入ってこない。
どうにも落ち着かない。
――どうしてこんなに胸がざわつくんだろう。
これからなにかが起きるような、そんな確証もない期待があった。
どうせなにも起きないことは分かっている。
大半の人生には激しい波は立たない。
当人がどれだけ波瀾万丈だと思っていても、他人からすれば心底つまらないことだったりする。
それは分かってる。
そんなことは分かってる。
けど、胸のざわつきは激しくなる一方だ。
いい加減煩わしくなって、ため息を吐きながら本を閉じる。
顔を上げると、両脇を家に挟まれた小さな公園の敷地が瞳に映った。
どちらの家も平屋で、高めのブロック塀で囲まれているために、公園内を見ることは出来ないだろう。
それ以前に、こんなつまらない公園を見たいと思う人がいない。
遊具もなにもなく、あるのはバス停のような雨風凌ぎトタン小屋と、その中に置かれた二つのベンチのみ。
一体どういう層をターゲットに作られたのだろうか。
謎だ。
公園は四角形で、トタン小屋の裏にはフェンスが張られており、その先には田んぼがある。
二側面はブロック塀なため、残り一辺が入り口だ。
トタン小屋とベンチを取り除けば、完全に空き地。
今でもここに来てしまうのは、もう習慣化されているからだろうか。
ここに来るのは昔から決まって土日だけだ。
平日の疲れを静かな場所で癒す。
――ううん、そうじゃない。
ふっと呆れ混じりの息が漏れる。
静かな場所で疲れを癒すなら、図書館にでも行けばいい。
一人になりたいなら、自分の部屋でもいい。
だから、ここに来てしまう理由は一つしかない。
――また、会えるかもしれないから。
ただ、彼の姿をもう一度見たいだけだった。
ここにいれば、そのうち姿を現わすのではないかとくだらないことを考えてしまう。
だから、つい来ちゃうって、そんな乙女みたいな。
今でも悔やんでいる。
彼が姿を現さなくなった最初の土曜日から今まで、葵は先週の日曜に彼は来たのかと気になって仕方がない。
その日、葵は急用でここに来られなかった。
記憶の中ではここに来れなかったのはその日だけだが、もちろん他にも来れなかった日はあったのだと思う。
けれど、最後に会えたかもしれない一日を逃したのは、悔やみに悔やみきれない。
それも、会いたいという感情を増幅させている。
会ってどうする。
どうせ話しかけられないくせに。
バカバカしい。
自嘲じみた思考は葵の心を落ち着かせた。
再びため息を吐いて本を開くと、足音が聞こえた。
顔を上げると同時に、足音の主は一つ隣のベンチに腰掛ける。
どきりとした。
隣で読書を始めた男子の顔が、思い出の彼の姿と重なったからだ。




