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ぼくだけを見つめてくれたきみを  作者: 夢兎
第四章 太陽があるから、ひまわりはよく育つ。
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三、紫苑 八月十七日(土)十七時


 その日、十七時の鐘の音を聞いたのは家の中でだった。


 今日は土曜日だ。

 いつもなら、公園で聞いていたものを家で聞く。

 そのことになんとなく新鮮味を感じながら、ぼくは文庫本に栞を挟み、ソファから立ち上がる。


 栞は葵からもらったものだ。

 以前に本を借りた日、家に帰って本を開いてみると、小さな紙とともに栞が挟まれていた。

 紙には、女の子特有の丸みを帯びた、それでいて形の整った文字でこう書かれていた。



――――――――――――――――――――


  紫苑へ


 まず、こういう形になってしまったことを謝ります。          

 ごめんなさい。

 本当は直接渡したかったんだけどね。本当だよ?


 でも、今日は他に話があったのと、やっぱり直接渡すのは恥ずかしかったから、手紙を書くことにしました。


 なんだか、これを読まれるって思うと今も恥ずかしかったり(笑)


 それでも、わたしが居ないところで読まれると思えば、いつもよりは素直な気持ちを書ける気がします。


 前置きが長くなっちゃったね。

 そろそろ本題に入ろうと思います。

 頑張って書くから、読んでもらえるとすごく嬉しいな。



 誕生日プレゼント、ありがとう。


 もう先月の話だけど、ずっとちゃんとお礼が言いたかったの。


 紫苑にもらった本は、とっても面白かったよ。

 この作者の他の作品も読んでみたくて探したけど、残念ながら見つかりませんでした。

 もし他にもなにかあれば、また貸して下さい。


 それと、ブックカバーもありがとう。


 ワンポイントでひまわりの模様が入ってて、本当にわたしのために選んでくれたんだなっていうのが伝わってきたよ。


 わたしの勘違いじゃないといいんだけど……。

 それはともかく、大切に使うね。



 この手紙と合わせて挟んである栞は、わたしから紫苑へのプレゼントです。


 ひまわりの花弁を使って、作ってみました!

 誕生日のお礼ってわけじゃなくて、今までのお礼みたいな?

 そういう感じです。



 これは書こうか迷ったけど、書いておくことにします。


 実は、栞には隠された意味があります。

 まだ、口に出して言う勇気も手紙に綴る度胸もないから、こんな回りくどく気持ちを伝えることを許して下さい。


 いつか、必ず、この口でしっかりと伝えるから。



 これからも仲良くしてね。

 また、土曜日に。



                 葵より


――――――――――――――――――――



 生まれて初めてこんなかわいい手紙をもらった。

 なんの自慢にもならないが、女子から手紙をもらったことは何度かある。

 しかし、今までで一番……なんというか、素敵だ。


 文字から感情が読み取れるというのだろうか。

 例えば、一行目の「ごめんなさい」なら、申し訳なさで、「恥ずかしかったり」という文字からは照れ臭さが伝わってくる。

 それだけで、葵がこの手紙を真剣に書いたのだということが理解できた。


 何度読み返しても頬が緩んでしまう。

 くそ、反則だろ、これ。


 だいたい、葵はいつも反則じみている。

 花火大会に誘うなんてレッドカードだ。

 ぼくは基本的に平静を装っているが、それでも堪え切れないことが多過ぎる。


 これは先週の土曜日に聞いたのだが、本当は「よければ使ってください」の一言で終わらせる予定だったらしい。


 しかし、いざ書いてみると、ぼくに伝えたいこと、話したいことがいろいろあり過ぎて長くなってしまったのだとか。

 これでも少なくした方なんだとかなんとか、言い訳する子供のように言っていた姿はかわいいの一言に尽きる。


 ……やっばいなあ、ぼく。



 問題は栞に秘められた葵の気持ちである。

 何度も言うが、ぼくは別に推理が得意というわけじゃない。

 分からないものは普通に分からないし、知らないこともたくさんある。


 だから、これがなにかぼくの知らない情報がなければ解けない暗号なのだとすると、もうお手上げだ。


 ぼくとしては、かなり気になるわけではあるけれど、文面から察するに、葵は言いたいけれど言いたくないみたいな中途半端な位置にいるようなので、解けなくて困るということはないだろう。


 だから、これは多分、やらなくてもいいことだ。

 いつか話すと言ってくれているから、待っていればいいことだ。


 でも、待っていられない。


 文字から浮かんできた感情は、不安と期待だったから。

 恐怖を乗り越えて、なにかを伝えようとしてくれた葵の期待に、ぼくは応えたい。


 ……そう思って二週間近く経過した今、ぼくはまだ答えに辿り着いていない。

 一体、葵はぼくになにを伝えたかったんだろう?



 着替えを済ませて家を出た。

 時刻は十七時を多少過ぎたくらいだ。

 着替えにそこまでの時間はかからない。

 この時間に出れば、のんびりと行っても充分に間に合うだろう。


 まだ暗くなる様子の見えない町に、夏の気配を感じる。

 遠くの方でぽんぽんと空に響く音がそれをより一層大きくさせている。


 顔を上げれば、群青が視界いっぱいに広がった。

 夕立があったせいか湿っぽい空気と、濡れたアスファルトから漂う独特の匂い。

 頬にあたる涼風。


 それらが全て組み合わさって、なんだか切なくなる。


 過ぎ去った時間は取り戻せない。

 今年の夏は、今年だけだ。

 ぼくらは今を生きている。

 誰だって、いつだって。


 だから、やり残すことのないようにしよう。


 忘れられない過去を手に入れるために。

 この先の未来で後悔しないために。


 ぼくは今を生き抜く。



 目的地付近に到着すると、あたりは喧騒に包まれていた。

 人の波。

 もし、待ち合わせ場所を決めていなければ、この中から葵を探すのに苦労しただろう。

 まあ、連絡先は聞いてあるから、たいした問題でもないが。


 ぼくは待ち合わせ場所であるラウンドワンの駐輪場に自転車を停め、入り口近くのベンチに腰を下ろす。


 葵を待っている間も、栞に秘められた真意を探ってしまう。

 気になって仕方がない。

 いっそのこと訊いてみようかとすら思うが、それはなんだか悔しいし、いつか言うと言っているものを急かすのもどうかと思う。


 栞、ひまわりの花弁。

 栞の形状はスタンダードに長方形だ。

 特別厚いということもない。

 ここから導き出される結論は……ダメだ、分からん。


 あーでもない、こーでもないと頭を悩ませていると、時間は瞬く間に過ぎ去ってしまう。


 待ち合わせ時間は十八時。

 入り口の近くというところまで指定してあるので、はっと時間を確認したら過ぎてましたなんてことにはならない。

 その前に声をかけられるはずだ。


 そんな気持ちで悠々と時間を確認する。


「……え?」


 ――時計は十八時十分を示していた。



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