五、紫苑 七月五日(金)
朝、目を覚ますと身体が異様にだるかった。
それも当然だろう。
昨日、寝た時間は午前四時なのだから。
なぜそんな時間まで起きていたのか。
理由は明日にある。
明日――七月六日は葵の誕生日だ。
その誕生日プレゼントをなににしようか悩んでいたのである。
生まれてこのかた、親以外に誕生日プレゼントなんてあげた記憶がない。
しかも相手は女子!
初戦としては、いくらなんでもハードルが高過ぎる。
アクセサリーはないよな。
身につけるものは重いと聞く。
昔、なんかテレビでやってた。
ぬいぐるみとかは買うの恥ずかしいし。
なら、彼女が好きな花にすればいいのだろうか。
しかし、彼女は花を育てていると言っていた。
育ててるものをわざわざ渡して喜んでもらえるかどうかは微妙だ。
本当のところを言えば、なんだかなにを渡しても喜んでくれるような気はする。
彼女は基本的におおらかだ。
あまり激昂するようなイメージはないし、好意を無碍に扱うとも思えない。
でも、やっぱり――甘えたくないよなあ。
優しさに甘えて適当なものを渡すのは躊躇われる。
どうせならしっかり選んで喜んでもらいたい。
狙いが外れても、こういうのは気持ちが大切だ。
高いものを買えばいいというわけでもない。
値段を気にする性格ではなさそうだし。
「ふあ……」
欠伸をしながら、習慣となっている朝の支度を無意識下で済ませ、ふらふらと通学路を自転車で辿る。
寝ないように気をつけなければ。
自転車を漕ぎながら寝て事故りましたなんて絶対に嫌だ。
ぼくの考えた嫌な死因ランキング上位にランクインしている。
まあ、今作ったからそれしかないんだけど。
それにしても、道がぬかるんでいる。
ぼくの通学路は、出来るだけ通学時間を短くするために砂利道の場所もあるのだが、そこがもう信じられないくらいどろどろだった。
うわ、泥めっちゃ飛んでくるんだけど!
勘弁しろよ!
しっかし、今日は雨が降らなくてよかったなあ。
そろそろ梅雨明けなのに、最近は雨が多かった。
駆け込み乗車はよくないと思います。
来年までお待ちください。
出来れば明日も降らないで欲しい。
つーか、そこら中に子供の蛙の死骸が干からびてて気色悪い。
全く、なんて日だ!
朝からこんなに不快な気分になったのは初めてだぞ。
それもこれも、ぼくの器が小さいのが問題なんだよな。
大概のことはぼくが悪い。
学校に到着して授業中も頭を悩ませていると、いつの間にか昼休みになっていた。
晴人はいつもぼくの席まで来て弁当食べるが、今思うと謎だ。
晴人にはかなり友達がいる。
クラスで晴人と話したことがないやつなんてほとんどいないくらいだ。
それなのになぜ、ぼくと弁当を食べるのか。
「お前、他の友達は放っておいていいのか?」
気になったので尋ねてみると、晴人はうーんと考えたのちに、肩をすくめる。
「別にいいんだよ、誘われてるわけじゃないしな。グループとかに所属した覚えもないし、俺は食べたいやつと食べる」
自由なやつだ。
ぼくと食べたいというのなら、光栄なことだと思っておこう。
「そういえば、彼女とはどうなんだ?」
ぼくはちらりと晴人の彼女を一瞥して言う。
おそらく、底意地の悪そうな顔になっていることだろう。
しかし、晴人は意に返した様子もなく、飄々と答える。
「はっ、上々だね。順風満帆、毎日が楽しくて仕方ねえ」
結構な大声だったためか、クラスの幾人かがこちらを向く。
その中には晴人の彼女も混じっており、意味に気づいた何人かがそのまま晴人の彼女へと視線を動かした。
彼女は赤面して顔を俯かせる。
「なっ、かわいいだろ?」
うわ、わざとやったのかよこいつ。
よく恥ずかし気もなくそんなことが出来るものだ。
まあ、葵の方がかわいいけどな!
そんなことは口に出して言えない。
そもそも口に出して言うまでもないことだが。
……晴人に聞けば、なんとかなるだろうか?
あまり人に頼りたくはないが、ぼく一人ではどうしようもない。
非常に不服だが、背に腹は変えられない。
「晴人。お前、女子に誕生日プレゼントって渡したことあるか?」
そう訊くと、晴人はじろじろとぼくを見て、にやりと顔を歪ませた。
嫌な予感がする。
「まあ、何回かはあるな。で? 誰にあげんの?」
「まだ、あげるとは言ってないだろ」
「言ってるようなもんだろ。照れんなよ」
照れてねえし。
鬱陶しいノリになった晴人をじろりと睨むが、晴人は悪びれもせずにへらへらと笑う。
「はあ。まあいい。参考までに訊くが、いつもどんなのを選んでるんだ?」
「あー……、そうだな。基本的には相手の趣味に関連したものだな。好きなものがなかったりすると、勘。つっても、適当に選ぶってわけでもねえけど」
やっぱり、そういうものなのか。
なら、本をあげればいいのだろうか。
しかし、葵がすでに持っている可能性は否定出来ない。
本の趣味、結構雑食だし。
「バースデイパーティとかやんなら、ウケ狙いでもいいんだがな……」
それはないな。
「それはねえよな。お前が気に入るような女子だ。相当なコミュ障に違いない」
ひどい言われようだった。
否定はできない。
この野郎。
「お前な……ぼくをバカにすんのは別にいいけど、見ず知らずのやつを貶すのはよくないと思うぞ」
「いつものことだろ」
その通りだった。
よく考えたらいつもこんな感じだ。
本心からの批判ではないだろうが。
「本当、性格悪いな」
「お互い様だろ?」
……否定はできない。
くそ。
ぼくが怨念をぶつけていると、晴人はそれを考えていると受け取ったようだ。
「その女子の好きなもんとか知らねえの?」
「本と花、だな」
素直に答えると、晴人は眉を顰める。
「本と花……。花束はちょっと狙い過ぎて引かれそうだな。かといって一本渡したところでなあ。花が好きってことは、どうせ家にも花壇とかあんだろ?」
「あるらしい」
自分で育てているとなんだか無駄になる気がするし、かと言って、育てていなければ見るのが好きなのだろうと考えて遠慮してしまう。
そもそも晴人の言葉通り、女子の誕生日プレゼントに花を渡すなんて、なんだか狙ってるようで嫌だ。
「そうなると、本だが……だからって本を渡すのもなあ。もう持ってたら意味ないし」
「……だよな」
結局、こうなってしまうのかと半ば諦めていると、晴人にはまだ考えがあったらしい。
よし、と頷き口を開いた。
「なら、こういうのはどうだ?」
零時を過ぎた頃、そろそろ寝ようと自室へと移動する。
自室にあるガラステーブルの上に置かれたものを確認してベッドへと横になった。
プレゼントは結局、晴人の案を採用して選んだ。
ぼくにセンスなんてものがあるとは到底思えないので、ぼくが選んだものを晴人が確認するという形で。
これに関してはあまり不安はない。
無難なものだし、特別なにかを思われることはないだろう。
不安があるとすれば、それはどのタイミングで渡すかということだ。
ぼくにうまいことタイミングを見計らって渡すなんて高度なことは出来ない。
絶対に。
だとすれば開幕早々に渡してしまうのがいい。
それならぼくの精神にも優しいし。
おはようからの誕生日おめでとうだ。
そうと決まれば早く寝よう。
今日は寝不足だったからな。
明日寝坊するわけにはいかない。
まぶたを閉じて何分か経つと、ぼくの意識は遠ざかっていった。




