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ぼくだけを見つめてくれたきみを  作者: 夢兎
第三章 二人で手にしたものだから、二人の空間だ。
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三、紫苑 六月十五日(土)


 ブロック塀の横を沿うように歩き、公園内へと立ち入る。


 ちなみにこの公園は家に挟まれている。

 片側は平家でブロック塀が高いために公園内を窺うことは出来ないだろう。

 もう片側は二階建てだから、見ようと思えば見れないことはないのだと思う。


 まあ、こんな寂れた公園をわざわざ見るような物好きがいるとは思えないが。


 公園に入ってベンチへと目を向けると、白黒ボーダー柄のタンクワンピースに黒いカーディガンを羽織った女子が本を読んでいた。

 カーディガンがずれて肩が露出しているのがなんだかエロい。

 ぼくの脳内思考が邪過ぎる……。


「おはよう」


 相当、没入していたのか、近づいても全くぼくに気づかなかった彼女――葵に挨拶をする。

 葵はびくうっと肩を跳ねさせて、ばっと顔を上げた。

 その顔は瞬時に喜色に彩られる。


「お、おはよっ」


 黙っていると清楚なお嬢様然とした彼女だが、その実態は結構元気な女の子だった。


 活発というには足りないが、おとなしいとは言えない。

 微妙なラインだ。

 これは別に悪口ではないが、話し方が少し子供っぽいのと笑顔が快活なために、そういう印象になるのだと思う。


 にこにこーっと満面の笑みを浮かべる彼女を見ていると、なんだかぼくまでにこにことしてしまう。

 笑顔は伝染するのだろうか。

 謎だ。


 つーか、これだけの美人にここまでの無垢な笑顔を向けられて無表情でいられるやつなんていないと思う。

 これで謎は解けた。

 早いな。


「なに? そんな面白いの、その本」


 くつくつと笑いながら聞くと、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、頬を僅かに膨らませて抗議の声を上げる。


「む……そんな笑わないで。……は、恥ずかしい、から」


 俯きがちにぽつりと言葉を吐き出し、垂れてきた髪を耳にかける。


 はあー……美人がやるとなんでも絵になるなあ。

 思わず観察してしまうが、別にいじめるのが趣味なわけではないので、なんとか笑いを堪える。


「ごめんごめん」

「……いいけど。つ、次は怒るからね」


 おっと、これは気をつけなければ。

 彼女の顔を見る限り、怒りそうもないけど。


 ぼくが了承の意を込めて頷くと、彼女はほっと息を吐いて、その猫にも似た瞳をキラキラと輝かせた。

 どうやら、随分と興奮しているらしい。


「それでね! これ、すっごく面白いの!」


 無邪気な彼女の態度になんだか心が洗われる気がする。

 この見た目でその内面は正直反則だと思った。

 破壊力が凄まじい。

 学校ではさぞかしモテることだろう。


「なんか、現実世界が神様によってファンタジーに変えられちゃうって話なんだけど――」


 ペラペラと自分がいかにその本を面白いと思っているかについて捲くし立てる。


 それにしても、本当に楽しそうに話すなあ。

 心から本を読むのが好きだという人の顔だ。

 ぼく自身、本が好きなので、その気持ちはよく分かる。


 ぼくは読んだことがない本だが、彼女はとても説明が上手だ。

 ぼくがこれから読むかもしれないことを考えているのか、それとも無意識なのか、うまいことネタバレにならないように見所を語ってくれる。

 聞いてるだけでわくわくしてくる。


「で、主人公がね――って……えと、その、ごめんね。本、面白かったから、つい」


 顔を両手で覆い隠して呻き声を上げる。

 その耳は真っ赤に染まっていた。


 ……自爆した。

 面白いが、笑わないと約束してしまった手前、笑うわけにはいかない。

 ぼくが必死で笑いをかみ殺していると、彼女はそろりとぼくに視線を向けた。


「嫌いに、なってない?」


 おかしな心配をするものだ。

 なにがどうして嫌いになれようか。


「いや、全然。むしろ好きになった――違っ、違う。……今のは忘れてくれ」


 やべえ、口が滑った。

 なにを言ってるんだぼくは。

 口は災いの元というが、あれは本当だな。


 別に本当に彼女に恋をしているとかそんなことはないから、なにも特別なことはないが……ないのだが、そんなに真っ赤になられるとやりづらい。


「えーっと、なに? 別にそういうアレじゃないから、安心してくれ」


 そういうアレってなんだよ、バカか。

 一応、意味は伝わったのか、彼女はほっとしような、それでいてなぜか少し残念そうなため息を吐き出し、ぼくへと向き直る。


「そ、そういえば、この前、公園に来なかったのって、どうして?」


 めちゃくちゃ棒読みだった。


 わざわざ話題を考えてきてくれたのだろうか。

 家で話題に頭を悩ませている彼女の姿を思い浮かべると再び笑みが……いや、笑えないな。

 ぼくも似たようなことしてるわ。


 ちなみに過去、四年前、この町で過ごした最後の日曜日に彼女が現れなかったのは、急用が入ったからとのことだった。


 ぼくの引っ越しが次の週だったなら、最後に顔を合わせることも出来ただろうに。

 顔を合わせたところでなにも言えなかったような気もするが。


「その日は、友達に呼ばれてさ」


 そういえば、これを話そうと思っていたんだった。

 機会を逃して忘れていたが、今話してしまうのも悪くない。

 そう思って、ぼくはあの日のことを冗談めかして語る。


 謎のメールの意図、その前後関係など、考えれば分かるように話していると、彼女は眉を顰めて思考を練る。

 結末が分かったときには、すっきりとした顔になっていた。

 意外と感情が表に出やすい。

 これだけしっかり聞いてもらえると、話すのも楽しく感じる。


「そういや、きみはその次の日遅れてきたけど、なにかあったのか?」


 その次の日なんて言い方をしなくても、もっと重大な出来事があったのだが、しかし、あれを口にしたくはない。

 思い出すだけで恥ずかしい。


「あ、そう! うん、あの日はね」


 なにを思い出したのか、葵は勢いよくその日のことを話し始める。

 聞いてみるとなかなかに興味深い。

 ストラップはどこへ消えたのか。

 答えが腹の中ではなくてよかった。


「本当、びっくりしたなあ」

「大変だったな」


 他愛もない話に花を咲かせ、まったりと時間を過ごす。

 平穏な日常は今までと変わらないけれど、そこにあるものは全く異なるものだ。


 それは彼女が勇気を振り絞った結果であり、ぼくが手に入れたものでもある。

 二人で手にしたものだから、二人の空間だ。


 一人と一人の空間にはもう戻れないけれど、やっぱり変わってよかったなあと、そう思うのだった。



「し、紫苑はどうして、紫苑っていう名前なの?」


 話もひと段落し本を読んでいると、「ねえ」という呼びかけとともにそう聞かれた。


 どうして、か。

 聞かれたら答えられはするが、そんなに大した理由でもない。


「確か九月に生まれたから、だったかな」


 紫苑は九月の花だ。

 名付けなんてこんなものだろう。


「そうなんだ……」


 九月、九月、とつぶやいていた彼女は唐突にぼくに顔を向ける。


「もしかして、二十日?」


 大正解だ。

 ぼくが驚きを隠せずに目を白黒させていると、葵は頬を赤らめて、理由を教えてくれる。


「えっと、九月二十日の誕生花が紫苑なの」

「へえ……」


 博識だな。

 花が好きだとは言っていたが、まさかここまでだとは思わなかった。

 ぼくはそういうのに関心を向けたことはないから、素直に凄いと思う。


「誕生花か。……ん? もしかして全部覚えてるのか?」

「……う、うん」


 うわ、凄え。

 人は好きなもののためならここまでの力を発揮するのか。


 とりあえず、誕生花なんてちょっとロマンチックな名付け理由を隠していたことが分かったので、家に帰ったら親をからかおう。

 楽しみが増えたな。


 そんなプチ親不孝なことを考えながら、物珍しそうな視線を向けていると、彼女はぱたぱたと手を振って誤魔化すように言う。


「わ、わたしも、誕生花で名前つけてもらったの。だから、その……」


 そういうことか。

 と、納得は出来ない。

 やっぱり凄いと思う。

 だが、嫌がりそうなので、そろそろやめておこう。


「葵は、何月何日の誕生花なんだ?」


 尋ねると、葵は待ってしましたとばかりに得意げな表情を見せる。


 本当に感情の起伏が激しい。

 これが学校では話すことが苦手な女の子だというのだから驚きだ。

 ぼくも人のことを言えた義理ではないが。


 なんというか、共感めいたものがある。

 似たような境遇にいるから、親近感を覚えて、そこそこの会話が成り立つのだ。


 葵とぼくが全く違う性質を持っていたなら、仮に友達になったとしてもこんなに話せてはいないだろう。

 なにを話すかではなく、誰と話すかが重要だなんてのは差別的だが、それでもぼくは――葵だから話せているのだと、そう感じる。


「わたしの誕生花は葵じゃないの」


 くすりといたずらっぽい笑みをこぼす。


 これはどういうことだろう。

 葵じゃないのなら、なんなのだろうか。

 葵にはなにか別の読み方があるのか?

 それとも、なんとか葵みたいなものなのか?


 もしそうならいくら考えたって分かるはずがない。

 まさか、「むかい葵」なんてものがあるわけではないだろうし。


「分からない?」

「分からない」


 即答だった。


 考える気もないようなぼくの態度に、彼女はむすっと頬を膨らませる。

 考えれば分かることなのだろうか。


 むかいあおい……、そもそも「むかい」がどういう字なのかもぼくは知らないんだよな。

 自己紹介をしたときに聞いた覚えはないし。

 名前に隠されているとしたなら、それは致命的だろう。


 いや?

 むしろ、それが分かれば答えが分かるのだとすると、どうだろう?

 向井葵?

 向葵?

 こうが入っているのは間違いない。


 向、葵……まさか、向日か?

 もし、そうなら――


向日葵ひまわり、か」


 ぽつりとつぶやくと自分でも納得がいった。

 向日は向日むこうと読むのが一般的だと思っていたが、そういう読み方もあったのか。

 向日葵むこうあおいだったなら、すぐに分かったのに。


 そして、それは合っていたらしい。

 彼女はうんうんと嬉しそうに首肯する。


「はあー……、最近の名前は凝ってるなあ。苗字と名前が繋がってるなんて、随分と洒落た名前だ。ぼくなんて上も下も九月なのに」


 長月は旧暦で九月を示す。

 長月紫苑、ちょっと九月推しすぎじゃないか?

 九月に良いことでもあったのかよ、うちの親は。


向日葵ひまわり。気づかれたことはないんだけどね。わたしは自分の名前、結構気に入ってるの」


 花が大好きな彼女のことだ。

 それも当たり前のことだろう。


 もしかしたら、そういう名前だから花が好きになったのかもしれないけれど、それは卵が先か鶏が先かみたいな話だ。

 結局、彼女は花が好きで、彼女の名前が花であることには変わりない。


「ひまわりって呼ぼうか?」

「嫌、それはやめて」


 断固拒否されてしまった。


 自分で教えたくせに、また恥ずかしがっている。

 完全に自爆だ。

 一体、いくつの地雷が埋め込まれているのだろうか。

 もう少し慎重になるべきかと思案してしまいそうだ。


「あ、ひまわりは七月六日の誕生花だよ」

「へえ」


 それはつまり、彼女の誕生日が七月六日だということだ。

 あと二十日もすれば誕生日か。

 そういえば、七月六日は土曜日じゃなかったか?

 ふむ……、これは誕生日プレゼントを用意すべきなんだろうか。

 一考の余地はある。


 最近は金遣いの荒い晴人と遊びに行くことが多いためにすぐに金がなくなるが、それでも買えないことはない。


 それに、晴人と遊ぶこともこれからは減っていくだろう。

 なにせあいつはリア充だからな。

 爆発しろ。



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