二、葵 六月八日(土)
葵の一日は花の水やりから始まる。
葵がいくら変わろうと、葵と彼の関係が変わろうと、これは不変のものだ。
先週の日曜日と似たような朝を過ごし、しかし、今日は祖父母の家に行く予定はない。
あったとしても断固拒否し、公園に必ず行くという心算が整っている。
……本当に断れるかどうかはともかく。
朝食が終わると、平日に書店にて購入した今日読む本を携え、ソファに向かう。
いつも通りに紅茶と洋菓子もセットである。
ぱくぱくと食べていると、いつのまにか洋菓子は跡形もなく皿の上から消えている。
立ち上がり、棚にあったチョコレートを取り出そうとしたところで、手はぴたりと止まった。
――太るかな。
うーんと心中で唸り声をあげる。
あまり運動はしないが、食べるものはしっかり食べて、さらにおやつは欠かさない。
太った経験はないが、それに甘えていたらいつの間にか巨体になっているかもしれない。
もう夏だ。
これは偏見かもしれないが、太っている人の方が多く汗をかいている気がする。
汗をかけば少なからず匂いが発生する。
彼との距離は遠くないから、風で匂いが流れる可能性は高いだろう。
そのときに汗臭いとは思われたくない。
それに、太っている女性を好ましく思う男性は少ないと聞く。
いるにはいるのだろうが、彼がそうであると考えるのは浅はかだ。
であれば、ここは我慢するべきだな。
と、そこまで考えた葵は唐突に頬を紅く染めた。
――どうして好かれようとしてるの。
無意識のうちに、彼に嫌われないようにと考えていた。
それはおかしなことではないのだと思う。
誰だって嫌われるよりは好かれたいだろう。
好き好んで嫌われたがっている人間なんて見たことがない。
けれど、この場合はわけが違う。
今、自分は、確実に、彼に異性として好かれたいと考えていたのだ。
これではまるで、彼のことが好きみたいではないか。
葵は頭をふるふると振り、チョコレートを奪うように取り出した。
そんな感情を認めたくはなかった。
正直に言えば、怖かった。
これは知らない感情だ。
自分の中に自分の知らないものがある。
それがひどく恐ろしい。
だいたい、まだ名前も知らないのだ。
姿形しか分からない。
つい先週、声という新しい情報を手に入れたが、それだけだ。
なにも知らない相手のことを好きになんてなるはずがない。
自分は彼と話してみたくて、おそらく友達になりたくて、四月から頑張ってきたのだ。
決して、恋人になりたくてではない。
――それなのに、どうして胸が騒つくんだろう。
おかしい。
疑問符が脳内に溢れかえる。
考えれば考えるほど深みにはまっていってしまいそうだった。
蟻地獄にも似たそれから抜け出すことは出来そうもない。
最良の選択は考えないようにすることだった。
それでも抜け出せはしない。
もう半身ほど飲まれている。
公園に行って彼に会ってしまったら、飲まれてしまうのではないだろうか。
そんな不安が過る。
行かないという選択肢はないが、なんだか気が重くなってしまった。
彼はきっと、あのときに聞いた言葉通りに友達になりたいという、ただそれだけだっただろうに。
どうして自分はこんなことを考えてしまっているのか。
それを思うと、罪悪感すらある。
その日、葵が公園に着いたのは十三時四十分頃だった。
十三時半に着かなかったのは初めてのことだ。
公園に到着し、ベンチに向かって歩く。
彼はまだ来ていないらしい。
ぽつんと佇む二つのベンチを視界に入れるのは、実は今週二度目だったりする。
木曜日、葵はすでに一度、この公園に訪れていた。
日曜日に彼から「友達になってくれ」と言われ、舞い上がっていたのだと思う。
これからは言葉を交わすことが出来るのだと思うと待ちきれなくなって、いないと分かっていたけれど来てしまったのだ。
彼はいなかったために、心の片隅にあった淡い希望は打ち砕かれてしまったが、しかし、土曜日に会えることを考えればその程度はどうということもない。
こうして思い出してみると、なかなか恥ずかしいことをしている。
顔が熱くなるのが分かる。
きょろきょろと挙動不審になりながらもベンチに辿り着き、座ろうとすると、背後から足音が耳に届いた。
ばっと勢いよく振り向く。
待ちわびていたかのような態度にまた恥ずかしくなって顔を俯かせながら、公園の入り口へと視線を向けると、そこには彼がいた。
――来てくれた。
ほっとしている自分がいた。
来てくれるだろうとは思っていた。
けれど、一度来てくれなかったことがある。
不安がなかったとは言えない。
――なんて声をかけようか。
とりあえず顔を上げる。
すると、彼もこちらを見ていたのか目が合った。
なにかを言いかけていたはずなのに、それだけで固まってしまう。
口が開かない。
目を合わせたまま棒立ちしているなんて、間抜けとしか思えない。
彼も眉を顰めて訝しげな表情を浮かべている。
それでも、やっぱり、口は閉ざされたまま。
まるで麻痺してしまっているかのように力が入らなかった。
――なにか話しかけてくれれば。
そうすれば、元に戻るかもしれない。
多少は落ち着けるかもしれない。
人任せにはしたくないけれど、こればっかりはもうどうしようもなかった。
そんな葵の心中を察したのか、それともただの偶然か。
彼は葵の目の前まで来ると、堅い表情のまま口を開く。
「おはよう」
こんな真剣な顔で挨拶をされたのは初めてだ。
ただ、それでも、これは今までも出来たことだから今回も自然と出来た。
「おはよう」
おはようと言われればおはようと返す。
それは条件反射の域に達している。
葵の返答でなぜかほっとした顔になった彼は、続けざまに言葉を発した。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。せっかく友達になれたんだし、自己紹介しておくよ。ぼくは長月紫苑。長い月に、花の紫苑だ。好きな食べ物はオムライス」
ひどく棒読みだった。
気のせいだろうか?
自分自身が固まってしまっているから、そう錯覚しただけかもしれない。
きっとそうだ。
そんなことより重要なことがある。
――素敵な名前。
紫苑。
キク科の多年草だ。
紫の花を咲かせるのが一般的だろう。
葵の家でも、九月になるとたくさんの紫苑が花を咲かせる。
花の名前を持つ彼になんとなく好感度が上がった。
自身の単純な脳みそに少し呆れてしまう。
好きな食べ物はオムライス。
これは自分も好きな食べ物を言った方がいいのだろうか。
しかし、特別好きだというものがない。
それなら、花が好きだと言うのがいいだろうか。
趣味は読書だが、それは紫苑も知っているだろう。
というか、趣味なんて語るとなんだかお見合いみたいで恥ずかしい。
「えっと、向日葵です。好きな食べ物は、特になくて……花が好き」
葵の自己紹介に、紫苑はへえともほおとも取れるような曖昧な声を出す。
花が好きだと言われて感心するような高校生はあまり見たことがないが、しかし、興味を持ってもらえたのなら上々だ。
「よ、よろしく、お願いします……?」
なにをよろしくするのだろうか。
言いながら首を傾げてしまう。
そんな葵を見て、紫苑は微かに笑みを漏らした。
「ああ、よろしく」
やっぱり自分は紫苑に会いに公園に来ていたんだな、と思う。
知らなかった表情を知るたびに胸が弾む。
もっと知りたいと思う。
もっと見ていたいと思う。
この公園で、わたしはあなただけを見つめていたいのだ、なんてことを大真面目に言ってしまえるくらいに。
そんなことを口走った日には恥ずかしさで悶え死ぬので、絶対に言えないが。
「と、とりあえず、座る……?」
おかしなことを考えていたせいで、落ち着きかけていた態度は再び奇妙なものへと変わる。
頷いた紫苑とともに――右手と右足が揃って出ないように気をつけながら――ベンチに近づき、腰を下ろす。
座ってしまえば態度はどうにかなるだろう。
ふうと聞こえないように安堵の息を吐き出すと、心拍数は下がっていった。
そしていつも通りに本を開こうとして、それではダメだと制止する。
挨拶をして、名前を知った。
好きな食べ物という情報も手に入った。
これからは毎日、挨拶はすることになるだろう。
今までと比べれば大きな進歩だ。
それでもやっぱり、会話がしたい。
本を読むのは嫌いじゃない。
むしろ好きだし、二人で本を読んでいるだけでも有意義ではある。
でも、それでは、それだけにしかならない。
ふとしたときに顔を上げても話しかけることは出来ないだろうし、紫苑が話しかけてくることもないだろう。
それは嫌だ。
変えるなら今がチャンスだ。
一度固定されてしまえば、再び勇気を振り絞るのは容易ではない。
今やらなければ望む結果は生み出せない。
葵はワンピースの裾をぎゅうっと握ると、顔を俯かせてすうっと息を吸い込む。
「――あっ、あのっ!」
下を向いているせいで紫苑の反応は窺えない。
しかし、顔を持ち上げるわけにはいかない。
きっと、今、顔は真っ赤に染まっているだろうから。
「え? な、なに?」
驚いているのが伝わってくる声音だった。
そりゃ急に話しかければ驚くだろう。
それに力み過ぎていつもより声量が大きくなってしまった。
それよりもだ。
葵の背をつーっと冷や汗が伝う。
――なに言おっかな。
考えなしに声をかけたはいいものの、なにを喋ればいいのか分からない。
オムライス作れる、とか?
いや、それはなんだかおかしい。
作れるからなんだ。
作ってくるのか?
紫苑にオムライスを作ってくるのはやぶさかではないが、それで「美味しい」とか言ってもらえたら幸せな気もするが……オムライス、作ってこようかな?
――違う違う、そうじゃないって!
だいたい手作りは重いとか聞いたことがある。
いや、だから、そういう問題じゃない。
と、何度かそんな思考を繰り返して、ふと思う。
――昔は、これ以前のことだったんだよね。
昔どころか、つい最近まで、話題を考える以前の状況だった。
それを思うと、なんだか感慨深い。
四年というときを経て、この公園で再び会い、そして会話をしようとしているという事実に胸がいっぱいになる。
――昔、かあ。
今更だが、隣にいる紫苑という男の子が四年前の男の子だという証拠はどこにもない。
それでも、確かにそうなのだという気持ちになる。
もしかしたら、違う人なのだろうか。
だから、話してくれているのだと考えると納得出来る気もする。
けれど、同じ人であって欲しい。
葵が仲良くなりたかったのは、話したかったのは、四年前の男の子なのだから。
「四年前、小学生の頃にも、この公園に……いた、よね?」
言葉は自然と出てきた。
それを聞いてどう話を続けるのか分からない。
でも、別にそんなことは分からなくてもいいのだと思えた。
本音を聞きたいと、そう言われたことがある。
それは本当に仲良くなりたいと思ってくれたから言ったのだろう。
葵も紫苑と本当に仲良くなりたい。
だから、本音を、今思ったことを言うのだ。
聞きたいことを尋ねるのだ。
だから、紫苑にも本当のことを言って欲しい。
気づけば、視界には紫苑の顔が映っていた。
紫苑が覗き込んだからではない。
葵が顔を上げたからだ。
前を向いたからだ。
なにも見逃したくないから、なにも見逃して欲しくないから。
――もう、逃げたくないから。
葵の力強い瞳に見つめられ、紫苑はたじろぐ。
しばらく目を泳がせた紫苑は、意を決したように息を吐いて真っ直ぐ葵を見据えた。
その澄んだ瞳には一切の迷いがない。
こうして、向き合ってみると、本当に整った顔をしている。
散々思ってはいたが、突きつけられると自分とは釣り合わないなと思わされる。
それでも、視線は逸らさなかった。
「ああ、いた。あお……えーっと、向日さんもいたよな?」
――葵でいいのに。
奏にあんなことを言われたせいで、無性に寂しく感じる。
それが嫌で、嫌で、どうしようもなく嫌で。
だから再び、葵は本音を紫苑に告げる。
「――葵っ」
ぐいっと顔の距離を狭めて、葵は乱暴に自分の名を唱えた。
もうどうにでもなれ。
やけくそ気味な葵の態度に紫苑は困惑する。
あまり意味を理解していないらしい。
「え?」
「あ、葵って呼んでっ。わたしも紫苑って呼ぶ、から。その……えっと、友達がっ、『友達は名前で呼ぶものだ』って……だから!」
もういっぱいいっぱいだった。
胸は熱いし、顔だって真っ赤になってるはずだ。
恥ずかしいし、今すぐにどっかに行ってしまいたい。
でも、それはしない。
それはダメだから、絶対に、しない。
自分の言葉で伝えたいことがあるのだ。
本当は考えるまでもなかった。
言いたいことなんていっぱい、数え切れないほどあって、どれを言おうか悩んでしまうくらいだ。
それでも言えなかったのは、言っていいのか悪いのか考えてたり、恥ずかしいからって仕舞い込んでしまっていたからだ。
――そんなっ、そんなどうでもいいことばっかり考えてるから逃したんじゃん!
本当に、心の底から、自分はダメなやつだと思う。
いつも、いつだって、なんにも伝えずに流されるままで、楽な道に逸れて、甘えて。
――そんなんだからいつまで経ってもっ!
いつまで経ってもなにも変われなくて、挙げ句の果てには変わらなくてもいいだなんて、そのままでも誰も困らないだなんて、下らない結論を出す。
そういう自分は凄く嫌いだ。
もう、戻りたくないのだ。
誰かに任せてきたから、過去は空っぽだ。
けれど、今なら。
――今ならまだ、間に合うからっ。
未来は果てしなく続いている。
これからは自分の手で手に入れて、この目に焼き付けて、現在を歩いていきたい。
空っぽの手の中に、なにも背負ってない背中に、抱えきれないくらいの荷物を抱えて、生きていきたい。
「わっ、わたしたち、友達に、なったんだよね? 名前で……呼んで欲しい、な」
言葉は途切れ途切れで、みっともないけれど、今までの自分と比べれば全然マシだった。
今までの方が、よっぽどみっともない。
悩んだって分かるほど脳みそ詰まってないんだから、行動した方がいいに決まってる。
――なにもしないでは終われない。
「……分かった。じゃあ、改めて……あ、葵、よろしく」
名前を呼ばれると、なぜか心臓が大きく脈打った。
どきどきする。
どうしてかは分からないけれど、そんなことはどうでもいい。
――嬉しい。
そう、ただ、嬉しい。
今、葵の胸の中にあるのはそれだけだった。
紫苑と話せて、紫苑と友達になれて、名前で呼んでもらえて――昔は出来なかったことが出来るようになって――嬉しい。
自分は成長しているのだと、確かに変わっているのだと、確信できる。
そこでようやく、葵はなにかを卒業できた気がした。
「ずっと……後悔してたの」
正直に言えば、こんな自分語りのようなものに付き合わせるのは悪いという気持ちもあった。
だが、葵には脳内に浮かんでくる様々なことを取捨選択することは出来ない。
だから、拙くても、わけが分からなくても、言うしかない。
簡単なことじゃないか。
全部言ってしまえば、そのどれかが言いたいことだ。
「後悔?」
首を傾げる紫苑に葵は頷きを返す。
「うん。……小学生の頃もずっと、あなたに話しかけたいと思ってた、から」
恥ずかしい。
信じられないくらいに恥ずかしい。
言うべきことではない気がしてならない。
しかし、止められない。
止めるわけにはいかない。
ここで口を閉ざしてしまえば、待っているのは沈黙だろう。
沈黙は続けば続くほど断ち切りにくくなる。
静寂は音を出すのを躊躇わせる。
今、一気に言ってしまえば、その心配はない。
「わたしがいて、し、紫苑がいて、この公園で本を読んでて、そういう、なんて言うのかな? えっと、一人と一人の空間? みたいなのも割りと気に入ってたんだけどね」
気に入っていたのだ。
とても。
けれど、それだけでは満足できなくなった。
話してみたいと思った。
時間が経てば経つほどに欲求は膨らんでいった。
「気に入ってたからこそ、かな……」
葵は自嘲気につぶやく。
垂れてきた髪のおかげで自分が俯いていたことに気づき、長い黒髪を耳にかけて視線を紫苑に戻した。
「……怖かったの。話しかけたら、壊れちゃうかもって。それで、全部っ、失くなっちゃうんじゃないかって」
なによりもそれが葵の行動を縛りつけていた。
失うのは怖い。
当たり前のことだ。
誰だって、そうなのだろうと思う。
「失くしたものは、もう、元には戻らない、から。か、変わったら、引き返せない、から。すっごく、怖かったの」
「元には戻らない、か……。そうだな」
紫苑もそう思っていたのだろうか。
共感しているような雰囲気だった。
「でも、でもねっ、なにもしなくても、失くなっちゃうって分かった」
――あのときに。
それは言わなくても分かるだろうと思った。
実際、紫苑は理解してくれているようだった。
あのとき――紫苑が現れなくなった日に、それは痛いほど分かった。
話しかければよかったと何度も思った。
変わらなくてもいいなんて思っても、心の底ではずっと決めていたのだ。
次に会えたときは話しかけよう、と。
「……ずっと、待ってたんだよ? ここで」
毎週、土日に、欠かさず。
いつか紫苑が来てくれることを信じて。
四年だ。
長かった。
苦しかった。
悲しかった。
どうしてなにもしなかったのかと自分を責め続けた。
――それなのに。
「それなのに、いざそのときになると、また、なんにも出来なくて……」
――四年も考えていたのに。
「二ヶ月もかかっちゃった……」
どこかで諦めていたのだ。
もう紫苑はこないと。
だから弱い自分をよしとして、逃げ続けてきた。
それじゃなにも変わらないのは分かっていたのに。
「やっと――届いた」
一方通行だと決めつけていた気持ちが、やっと。
いや、本当は一方通行ですらなかったのだ。
通ろうともしてこなかったから、通れるはずがなかった。
こんなことは、言わなければ絶対に伝わらない。
「よかった。本当に……」
たとえその先に喪失しかないのだとしても、踏み出そうと決意してよかった。
今は明確に、この手に重みを感じる。
そのことが葵に充足感を与えていた。
「今度は、ちゃんと、さよならも出来るね」
おそらく、また数年でどこかへ行ってしまうのだろう。
さよならなんてしたくない。
でも、それは仕方がないことだ。
だから、そこでは終わらせない。
でも、と言いかけた葵を押しとどめて、紫苑が口を開いた。
「そのときは、またね、だな」
「……っ!」
紫苑の言葉に、葵は声にならない言葉を発し、肯定を促すためにぶんぶんと首を縦に振る。
この時間が幸せでたまらなかった。
こんなに素敵な時間があったのなら、もっと早く話しかければよかった。
もったいないとすら思う。
「実はさ、ぼくも、小学生の頃から話しかけたいと思ってた」
同じことを思っていたのだということに、葵はまたしても深い喜びを感じる。
「怖かったんだ。……ださいよなあ、本当。昔から人と話すのが苦手だったっていうのもある」
「わ、わたしも……そう」
今でもやっぱり難しいと感じる。
なにを言っていいのか分からないことばっかりだ。
まだ、思ったことを口に出す程度のことしか出来ない。
それだけでは人間関係はうまくいかないのだということくらいは知っている。
ときには嘘をついて周りに合わせることも大切なのだ。
でも、そんな器用な真似は出来ない。
今はこれで充分だ。
「そっか……。でも、ぼくの場合、それを言い訳に使ってもいたからなあ。下らない言い訳ならいくらでも思いつくんだ。逃げるためなら頭が回る。馬鹿馬鹿しいにも程がある」
葵もそうだった。
話すのが苦手だからというのを理由にしていた。
そして葵も今はこう思う。
――馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいし、阿呆らしい。
そんなものはなんの理由にもなりはしない。
でも、それでいいと思っていたのだから、思い込ませていたのだから、全くもって呆れる。
「でも、今は違う。そんなのを理由にして逃げるのはやめた。諦めることをよしとは出来ない。たとえ、その先に得るものがなかったとしても、だ」
葵と似たような決意を紫苑もしていた。
紫苑と葵はひどく似通っている。
だから、こんな寂れた公園に揃ってしまったのかと思うと少し笑えた。
紫苑との出会いがあったことを思えば、昔の自分も捨てたものではない、なんて前向きに捉えられる。
「話しかけてよかったよ。こういうときは……なんて言えばいいんだろう」
ふむ、と思索を練る紫苑に、葵はつい最近学んだことを教える。
「思ったことを、言えばいいんだって、言ってた」
葵の台詞に紫苑はきょとんとして、間も無く笑う。
「ははっ。そっか、そうだったな。じゃあ……お待たせ」
申し訳なさそうな表情になった紫苑を見て、葵はあたふたとする。
待ちたくて待っていたのだ。
それに、もう待っているだけではない。
「う、ううん! えっと、そう……わたしも今来たとこだよ」
なんだかちぐはぐな会話になってしまう。
でも、これでいいのだ。
まだ変わり始めたばかりの二人だから、このくらいがちょうどいい。
「ははっ」
「ふふっ」
どちらともなく笑い出し、いつも静かな公園に二人の笑い声が響く。
くすくすといった笑いではあったが、ふと見上げた空はどこまでも青く澄み渡っており、笑い声もどこまでも届きそうな予感がした。
葵と紫苑が住むこの田舎町のどこまでも――――




