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ぼくだけを見つめてくれたきみを  作者: 夢兎
第二章 会話のない空間に表情は生まれない。
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六、葵 六月二日(日)十六時


 メロンは美味しかった。

 アイスも美味しかった。

 真帆とたくさん遊んだ。


 今はおとなしく、満足気な顔でロリポップを舐めている。

 棒だけが口から飛び出しており、片頬を膨らませている姿は愛らしい。

 しかし、心は癒されない。


 ――やばい、どうしよう、もう時間が!


 時刻は十六時。

 いい加減に帰らなければ、彼は家に帰ってしまう。


 今から帰れば、まだ間に合う。

 シャワーは諦めるしかないが、仕方がないだろう。

 背に腹はかえられない。


「そろそろ、帰ろっかなー……」


 真帆の様子をチラチラと窺いながら、立ち上がる。


 相当ぐずるものかと覚悟していたが、真帆ももう遊ぶつもりはないらしい。

 飴を口に含んだまま、「またね」と言葉を返してくれた。


 ホッと息を吐き、真帆の散らかしたゴミ(噛み痕のついたアイスの棒やロリポップの棒、チョコレートの袋等々)を片付けてガラス戸に手をかける。


 すると、居間でくつろいでいた祖父から紙袋を渡された。

 そう言えば、お土産をもらいに来たんだったと本来の目的を思い出す。


 紙袋の中身はお菓子の詰め合わせのようだが、それだけではないらしい。

 待つように言われたので、焦りを感じながらも祖父を見守る。


 ――まあ、そんなに時間はかからないか。


 祖父はテーブルの上に目をやり、そしてテーブルの下を覗き込み、周囲を見回してこう言った。


「……あれ? なくなっちまった」



 かれこれ十分間、祖父はお土産を探し続けている。

 祖母に聞いてみたものの、行方はしれない。


 数分前から葵も探すのを手伝っている。

 なんでも、白い紙袋に入っているのだとか。

 ストラップらしいので、それほど大きな袋ではない。


 ――白くて小さい紙袋。


 どこかで見たような気がしないこともない。

 記憶を探ると、それは確かにテーブルの上にあった。


 自分はそれをどうしたんだろうか。

 ゴミだと思っていたが、まさかそんなものが入っていようとは。


 ――ゴミ? まさか!


 なにかに思い至った葵が覗いたのはゴミ箱の中だ。

 それをゴミだと思ったのなら、片付けのときに捨ててしまった可能性が高い。

 その予想通り、ゴミ箱の中には白い紙袋があった。


「あった。……え?」


 確かに白い紙袋はあった。

 ストラップが入っていたと言われれば納得出来る大きさのものだ。

 だが、葵はこれをゴミだと思った。

 それはつまり――


「これ、空っぽだよ?」


 中になにも入っていなかった。

 紙袋は見つかったが、ストラップは見つからない。

 ゴミ箱を漁ってみるも、それらしきものはない。


「開けた記憶はないんだがなあ……」


 自然と葵は真帆に視線を向ける。

 まだ子供だ。

 勝手に開けてしまうことがあってもおかしくない。


 しかし、真帆の手にはなにも握られていない。

 ストラップはどこへ消えたのだろうか。

 床、テーブル、座布団の下、テレビの裏、探せるところは全て探したが、全く姿が見えない。


「そもそも、それ、どういう形なの?」

「確か、丸っこいやつだったなあ。なんとかストーンとか言ってたが」


 丸っこいやつ。

 ……パワーストーン?

 おそらくそれに類するものだろう。


 パワーストーンの不思議な力でどこかに消えてしまった、なんてバカみたいな話ならよかったんだが、当然そんなことはあり得ない。

 ストラップは確実にこの家にある。


 葵は絶対にそれが欲しいとは思っていないが、しかし、祖父がこれだけ必死に探しても見つからずにおろおろとしている姿を見ると、「急いでるから帰るね」とは言い出しづらい。


 申し訳なさそうな顔をされると、こちらまで申し訳なくなってしまう。

 かと言って、家中をくまなく探している時間はない。

 早く見つけなければ彼が帰ってしまう。


 ――なにかおかしなところは?


 身体を動かしてあちこちを探すより、頭を使って居場所を探る方がいいかもしれない。

 そう思って、葵はここに来てからのことを思い返す。


 葵がここに来たとき、テーブルの上には、小袋に入った飴、

 チョコレート、クッキー、煎餅、ロリポップ等々があった。


 もっと詳しく言うなら、お菓子のゴミ、テレビのリモコン、それに白い紙袋もあったような気がする。


 ――あの時点で中身は入ってなかった?


 疑ってみるも、即座に否定する。

 その可能性は低い。


 葵はここにいる間、何回かテーブルに散らかったゴミを片付けている。

 だが、記憶の中では、あの白い紙袋を捨てたのは帰ろうと立ち上がったときだ。

 それを証明するように、紙袋はゴミ箱を覗くだけで見つかった。


 つまり、葵が来た時点では、まだストラップは無事だったと考えられる。


 それからメロンを真帆と一緒に食べ、途中でアイスなどももらいながら過ごした。

 その辺りの記憶は真帆と遊んでいたために曖昧だ。

 最初と最後が一番印象に残っている。


 帰ろうとしたとき、テーブルにあったのは、白い紙袋と、アイスの棒やロリポップの棒、チョコレートの袋等々。

 そして今、テーブルの上にはチョコレートがいくつかしか乗っていない。


 飴は真帆が今舐めているロリポップで最後だろう。

 最後の飴だからか、噛まずにずっと舐めている。


 真帆は飴が好きなのだろうか。

 今度飴を買ってあげよう――そうじゃない。

 早くストラップを見つけなければ。


 真帆はあまり状況を理解していないらしく、焦りを顔に浮かべた葵を不思議そうに見ている。

 葵はなるべく自然な笑みを送り、改めて思索する。


 ――だめ、情報が少な過ぎる……。


 分かるのは、なんのお菓子が減ったかだけだ。

 まさかこの中に重要な情報があるとも思えない。


 だとすれば、なにか見落としがある?

 分からないが、なんとなく違和感がある。

 もっと細かく分析する必要がある。

 テーブルの上にあったものだけではなく、それがどうなっていたか、それとそのときの状況も、出来るだけ詳しく。


 葵はそこまで記憶力がいいわけではない。

 こんな事態になると分かっていれば覚えていただろうが、急に思い出そうと思っても思い出せない。


 一体誰が日常を事細かに記憶しているというのか。

 そんなことになんの意味がある。


 時刻はもう十六時半。

 今すぐにでも見つけ出していかなければならない。

 焦りが思考を妨げる。


 自分はなにに違和感を覚えた?

 それが分かれば、糸口が見える。

 なんの根拠もないが、確信めいたなにかがあった。


 お菓子が減ったなんてことはやっぱり重要な情報だとは思えないが、もっと視野を広く、それでいて深く見るべきだ。

 どんな些細な情報も見逃さないように。


 この家に着いたとき、テーブルの上には小袋に入った飴、チョコレート、クッキー、煎餅、ロリポップ等々があった。

 もっと詳しく言うなら、それらのお菓子のゴミ、テレビのリモコン、それに白い紙袋もあった。

 そして、白い紙袋の中にはストラップが入っていたはずだ。


 そのとき、真帆はまだなにも食べていなかった。

 祖父は煎餅を食べていたように思う。

 ……これが本当に必要な情報だろうか。

 いまいちピンと来ない。


 居間に上がると、祖母がお菓子を出すと言って立ち上がり、そしてメロンがあると言った。

 それを自分は断ろうとしたが、真帆によって一緒に食べることになり、メロンが出てくるのを待った。


 待っている間、真帆に飴をもらった。

 あれは何味だったか……。

 流石にそれはいいか。

 そのとき、真帆が飴を噛み砕いていたのは覚えている。


 帰るとき、テーブルの上にお菓子はチョコレートしかなかった。

 あとはゴミだと思って捨てた。

 その中には空になっていた白い紙袋も含まれている。


 ゴミはアイスの棒やロリポップの棒、チョコレートの包み紙などだ。

 アイスの棒やロリポップの棒には噛んだ痕がついていた気がする。

 真帆はどうも噛む癖がついているようだ。

 飴も噛み砕いてしまうために食べるペースが早く、もう飴は残っていない。


 その時点で葵は立ち上がっていた。

 真帆はロリポップを舐めていた。

 祖母ではなく祖父がお土産を渡してきたのは、祖母が夕飯の支度で台所に移動していたからだ。


 現在、ストラップが見つからずにかれこれ三十分は探している。


 祖父は同じようなところを何度も確認しており、祖母はまだ夕飯の支度をしている。

 真帆はまだロリポップを舐めており、葵は考えているので、突っ立っている。


 ――もう、時間が……ん?


 ちらりと、真帆を一瞥する。

 その頬はいまだに膨らんでいる。


 ――どうして、まだ、膨らんでるの?


 三十分は経っている。

 ついさっきそう思った。

 つまり、真帆は少なくとも三十分は飴を舐め続けていることになる。


 それなのに、どうしたことか、真帆の飴は溶けていない。

 これが、葵が感じていた違和感の正体だった。


 ――まさか、そんな。


 真帆はほとんどの飴を噛み砕いて食べてしまう。

 今、噛み砕いていないのは、ずっと最後の一つだからだと思っていた。


 しかし、もしそれが、噛み砕いていないのではなく、噛み砕けないものだったなら? 


 ――石は噛み砕けない。


 ロリポップの棒が口から飛び出てるために、完全にロリポップを舐めているものだと思っていた。

 けれど、思い出してみれば、アイスの棒にもロリポップの棒にも噛んだあとがついていた。


 それは、真帆がロリポップを舐め終わったあとも棒を咥えたままでいる可能性があることを示唆している。


 ――棒と真帆ちゃんの口の中のなにかが繋がっていないのだとしたら?


 噛み砕けないし、溶けない。

 もう答えは出たようなものだ。

 そこにあるものは――ストラップ以外にありえない。


「真帆ちゃん、ちょっとあーってしてくれるかなー?」

「んー?」


 葵の要求に首を傾げつつ、真帆は棒を口から抜き取った。

 やはりそこには飴はない。

 もう全て溶けており、棒には噛んだ痕がついている。


「あー」


 そのまま真帆は素直に口を開いた。


 その中を覗くと、そこには確かにストラップらしきものがある。

 思わずため息を吐きそうになるも、ぐっと堪え、真帆に口の中のものを出すように促す。


「真帆ちゃん、これはお菓子じゃないから食べちゃダメだよ? おいしくなかったでしょ?」

「うんー、なんにもおいしくなかったの!」


 むすーっと口をへの字に曲げ、うんうんと頷く。

 それなら早く出してくれればよかったのに。

 今までずっと真帆の口内に入っていたストラップは真帆の唾液に塗れている。


 ――洗えば使えるのかな、これ……。


 折角自分のために買ってきてくれたというものを使わないのは悪い。

 だが、流石にそのまま使う気にはなれない。

 どうしようか。


「真帆ちゃんが食べちまってたのかあ。葵ちゃん、すまんなあ。また今度買ってくるから、今回はそれだけで我慢してくれるかい?」


 願ってもない提案だった。


「うん、全然大丈夫だよ。真帆ちゃん、危ないから、今度からはおいしくなかったらすぐ出してね?」

「うんっ! 分かった!」



 ストラップが無事ではなかったが見つかり、葵は祖父母の家を飛び出す。

 現在時刻は十六時四十分。

 タイムリミットまであと二十分。

 もう間に合わないだろう。

 しかし、諦めきれない。


 ――急がないと。


 公園に向けて、葵は自転車を漕ぐ。


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