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ぼくだけを見つめてくれたきみを  作者: 夢兎
第二章 会話のない空間に表情は生まれない。
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四、葵 六月二日(日)六時


 ――今日は来てくれるかな。


 朝、目を覚まして葵が一番に思ったことはそれだった。


 先週の日曜、葵は結局、彼を見つけられなかった。


 三十分は周辺を走り回ったが、どこにも彼の姿は見当たらない。

 おそらく公園近辺に住んでいるのだろうという結論を導き出し、背中を丸めて帰宅した。


 本当は昨日にでも話しかけるつもりだったが、昨日、いつも通りの時間に待っていると、三十分が経っても彼は姿を見せない。

 こういう日もあるだろうと納得させ、とりあえずは待っていることにした。

 しかし、彼は一向に姿を現さない。


 一時間、二時間と瞬く間に時間は過ぎ去って行く。

 腕時計をチラチラと気にしながら待ち続けたが、五時の鐘が鳴っても彼は現れなかった。


 もう少し、もう少しと引き伸ばしているうちに六時を迎え、ようやく葵は彼が来ないことを悟った。


 ――昨日はどうしたんだろう。


 不安で胸がいっぱいになる。

 今日も来なかったら、これからずっと来なかったら、と。


 こんなことならもっと早くに話しかけていればよかった。

 いつかこうなることは分かっていたはずなのに、いつまでもぐずぐずと悩んで、本当にどうしようもない。


 もしも今日、彼が現れたら絶対に話しかける。


 大袈裟なくらいに意気込んで、ベッドから起き上がった。

 時刻は六時。

 学校があってもなくてもそれは変わらない。



 葵の一日は花の水やりから始まる。


 葵の家には広い庭がある。

 そこには季節の移り変わりに伴って様々な花が咲く。


 まだ肌寒いため、カーディガンを羽織って庭に出ると、アガバンサスにアジサイ、クチナシ等々、六月を代表する花が咲き誇っていた。


「……恋の訪れ、忍耐強い愛、私は幸せもの」


 ――なんか……愛に飢えてるみたい。


 それぞれの花言葉を口に出し、酸っぱいものでも食べたかのような顔になる。

 愛とか恋とかいう言葉を頭に浮かべると、同時に彼の顔が浮かび上がってくるからだ。


 ――べ、別に好きとかそんなんじゃないし。……本当だよ?


 一体誰に弁解しているのか。なんだか虚しくなってほうと息を吐く。


 葵は誰かを好きになるという経験をしたことがなかった。

 まともに話せもしないのに、どうして好きになれようか。

 それなりに同級生をかっこいいと思ったりはするが、それだけだ。


 見た目より性格だなんていい子ぶるつもりは毛頭ないけど、やっぱり自分と合う人がいい。

 そうなると、必然的に一人の男の子の姿が浮かんできてしまう。


 ぶんぶんと頭を振り、なんだか妙に熱をもった頬を叩く。


 ――これじゃ、なんか、好きだから話しかけたいみたいじゃない!


 そうじゃない。

 そうじゃないのだ。

 ……本当にそうじゃないのだろうか。


 考えれば考えるほど不安になってしまうので、このことは一旦忘れる。

 出来ることなら永遠に忘れていたい。


 彼のことを考えると舞い上がってしまう自分は、ミーハーみたいですっごく嫌いだ。


 水やりを終えると、朝食の時間になる。

 葵の家では朝食は葵が作っている。

 小学生の頃、夏休みの課題として出された「お家の人のお手伝い」の延長。


 もともとは夏休みなので洗濯やら掃除やらもやっていたが、紆余曲折(というほどでもないが、いろいろ)あって、今は朝食のみを葵が分担することになっている。


 夕食ではないのは、単に小学生低学年の頃の葵にクリームを塗ってパンを焼く以外のことが出来なかったからだ。


 今は、それなりのものを出せるようになっている。

 和風だったり洋風だったり、朝に自分の食べたいものを食べられるのは、なんだか得な気分だ。


 今日のメニューは、あさりの味噌汁に鮭の塩焼き、ほうれん草のおひたしと白飯になっている。

 ザ・和風。


 部屋着にエプロン姿の葵はテーブルに両親と自分の分の朝食を並べ、「うん」と満足気に頷く。

 どうやら満足のいく出来栄えに仕上がったらしい。


 午前七時、朝食の時間に合わせるようにダイニングに現れた両親と食事を摂り、後片付けを済ましてリビングでくつろぐ。


 紅茶を飲みながら、洋菓子をつまみ、読書に没頭する。

 一日一冊は本を読んでいる。


 両親はどういうつもりか(薄々勘付いてはいるが)、家を建てるときに子供部屋を二つ設けたのだが、葵は一人っ子のため、一部屋は葵の書庫と化している。


 昔は図書室や図書館で借りたものを読んでいたのだが、ふとしたときに読みたくなるので、いつでも手元に置いておきたくなって、いつしか買うようになった。


 葵は両親に溺愛と言ってもいいレベルで愛されているため、本に限らず、衣服や生活用品、葵が欲しいものはなんでも買ってもらえる。

 引け目を感じないわけではないが、本以外は最低限のものしか頼んでいないから、そこまでではない。


 本を読んでいると、時間は瞬く間に過ぎていく。

 美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり、それに反応して顔を上げれば、母親が台所で昼食を作っていた。


 ――もうそんな時間か。


 ちょうど昼食も出来たらしい。

 母親が皿に盛り付けようとしているのを見て本を閉じ、それを手伝う。


 昼食をおいしく頂き、さて、公園に行こうか! と、意気込んだところで、いつも通りの日常が崩れることとなった。


「あ、葵。ちょっと、お義母かあさんのところまで行ってきてくれる?」


 お義母さんというのはつまり、葵にとっては父方の祖母のことだ。

 ここからはあまり近くない。


「……え? えっと、なんで?」


 笑みを浮かべながらも、頬が引き攣ってしまう。

 どうしてわざわざこんな時間になってからそんなことを言うんだろうか。

 もっと早くに言ってくれればよかったのに。


「この前、お義母さんとお義父とうさんが旅行に行ったって話したでしょ? そのお土産があるからって。葵は午後は出掛けるから午前中にするか、私が行くって言ったんだけど……午前中は用事があるみたいでね。どうしても孫の顔が見たいって言うし」


 ――そんなこと言われても困る!

 ――わたしには用事があるのに!


 と、そんなことは言えない。


 別に親とも素直に話せないわけじゃないが、生まれてこの方、親に反発したことなんてない。

 そんなことをすれば驚かせてしまう。

 やんわりと断りたいが、悲しませるようなこともしたくない。


 頼まれてしまった以上、もうどうするのかは決まったようなものだ。

 急いで行って、お土産を受け取って、急いで戻ってくる。

 五時には間に合うはず。

 心の中で嘆息しながら、葵は頷いた。


 一時過ぎ、葵は自転車に跨り、祖父母の家へと向かう。



 祖父母の家は西にある。

 自転車で急いでも三十分はかかる距離だ。

 車で行けばすぐだが、両親を連れて行けば夕飯までご馳走になる流れになってしまいそうだ。

 それは避けたい。


 日中、自転車を急いで漕ぐと、着く頃には全身が汗に塗れていた。

 特別時間がかかる用事ではないが、やっぱり少しでも長く公園にいたい。


 しかし、このまま彼に会いに行くわけにはいかない。

 汗くさいだなんて思われたら最悪だ。

 葵のミッションは出来る限り早く家に帰り、シャワー浴びて、五時までに公園に着くことだ。


 ――頑張ろう。


 なにに向けての頑張ろうなのか葵自身よく分からないが、それでもとりあえず決意した。


 祖父母の家へと辿り着いたのは、二時頃だった。

 この辺りは全く開拓が進んでおらず、目を外に向ければ青々と生い茂る草木が視界を埋める。


 瓦屋根の家にはインターホンが着いておらず、コンコンと軽くノックをして、「お邪魔します……」とこっそり侵入する。

 別に隠れる意味もないが、返事のない家に入るというのは、なんとなくおどおどとしてしまうのだ。


 台所や廊下の床は石のため、部屋までは靴で移動することになる。

 とは言っても敷地面積自体がそんなに広くはない。

 普通の家の間取りで、廊下や台所の床が石なだけだ。


 玄関から数歩歩き、居間に繋がるガラス戸を引く。


「こんにちはー……」


 居間には祖母と祖父がいた。


「あ、葵ちゃん、いらっしゃい。よく来たね」


 それと、想定外の人物が一人。


「葵おねーちゃーんっ!」


 たどたどしい言葉遣いで、しかし葵には出せそうもない大音量の声とともに抱きついてきたのは、葵の半分ほどの背丈しかない幼い子供だった。


真帆まほちゃん……いたの?」

「うん! いたのっ!」


 葵が真帆と呼ぶ少女は、葵の従姉妹いとこだ。

 葵のことをいたく気に入っており、黒く長い髪は葵を真似たものである。

 真帆の両親は急な仕事が入ることが多いため、よく祖父母に預けられている。


「葵おねえちゃん! 真帆ね! ねんちゅーさんになったの!」

「そっかー、やったねー!」


 よしよしと葵が頭を撫でると、真帆は嬉しそうに葵の手のひらに頭を擦り付ける。


 その仕草がかわいくて、ついつい引き寄せられるように居間に上がってしまう。

 失敗した。

 上がるつもりはなかったのに。


 葵は真帆となら気楽に話すことが出来る。

 真帆が小さいときから面倒を見てきたのだ。

 真帆がどういう子なのかはよく知っている。


 それに、笑顔で自分のあとを着いてくる子供が、かわいくないわけがない。

 蔑ろにするなんて無理だ。


「ちょっと待っててね。今、お菓子持ってくるから。ああ、そう言えば、メロンをもらったのよ」


 祖母の言葉に反応して、真帆がキラキラと瞳を輝かせる。


「メロンッ! 真帆メロン食べる!」

「ふふ、葵ちゃんも食べるでしょう?」

「い、いや、わたしは……」


 と、断ろうとすると、メロンの登場にわくわくしていた真帆の顔が一瞬で悲しげなものに変わった。

 目尻に涙がたまっているようにすら見える。


「葵おねえちゃん、メロン、食べないの……? すぐ、帰っちゃうの?」

「う、ううん! わたしもメロン食べたいなー。真帆ちゃん、一緒に食べよ?」


 ――ああ、やってしまった……。


 断れるわけがない。

 心の中で長嘆息するも、真帆の笑顔を見ると、それもいいかと思えてきてしまう。

 ダメなのに。

 早く公園に行かなければいけないのに。


「うんっ! あ、葵おねえちゃん! あめ食べる? すっごくおいしいの!」


 テーブルの上に目をやれば、スーパーに売っているような、いろいろな味の飴玉が小袋で入っているものが置かれている。

 その周りにはいくつもの開封済みの小袋が散乱していた。


 パッと見るだけで、真帆が食べた飴はもうすぐ二桁に突入しようとしていることが分かる。

 こんなに食べて大丈夫なのかとは思うが、真帆は幸せそうな顔をしているので、まあいい。


 ちなみにテーブルの上に乗っているお菓子は、飴だけではない。

 煎餅せんべいやクッキー、チョコレートなどもある。

 ロリポップもあった。

 また飴か。


「はいっ!」

「うん、ありがとねー」


 真帆から飴を一つありがたく頂戴し、封を切る。


 真帆は真帆ですでに口の中に飴を含んでいるらしい。

 バリボリと噛み砕く音が聞こえる。

 飴は噛んで食べるものではないと思うが、真帆がそれでいいのならそれでいいかと思ってしまう。


 従姉妹を悲しませてでも公園に向かうか、決意を先延ばしにして従姉妹に癒されるか。

 葛藤に苦しむ。


 きっと、こうやって人は成長するのだ。

 場違いな感想を抱きながら、数分後に出て来たメロンを美味しくいただいた葵だった。


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