一、紫苑 五月二十六日(日)
午後五時を報せる鐘の音にハッとなる。
五時になったから帰るというと、なんだか小学生のようだが、ぼくの家では毎日決まって六時に夕食を摂る。
だから別に、親に五時の鐘が鳴ったら帰ってきなさいと言われているわけではなく、純粋に出来たてのご飯を食べたいから五時を過ぎたら帰宅するようにしているのだ。
……そんな言い訳はどうでもいい。
寂れた公園。
五月も末、日の入りは遅く、まだ辺りは明るい。
公園内には常と変わらず、ぼくと彼女以外に人はいなかった。
隣のベンチで本を読む彼女を一瞥する。
漆を塗ったように黒くて光沢のある髪。
整った輪郭と鼻筋の通った顔立ち。
本を読んでいるためか伏せられたまぶたの奥には澄んだ瞳がある。
白シャツとブラックのチュールスカートは彼女のおとなしそうな雰囲気を強めていた。
ぼくは二週間程前、生まれて初めて自分の言葉を口に出した。
そのとき、胸のつっかえが取れた気がした。
なんなら、なんでも出来るような気分にすらなった。
ただ、それは錯覚だ。
ぼくが自分の言葉を口に出せるのは晴人だけで、成長したぼくは晴人の前でしか姿を見せない。
だから、話しかけられなかった――というのは、少し回りくど過ぎる。
心の中でくらい、自分の気持ちに正直になろう。
なんでもかんでも理屈をくっつけて逃げたがるのは、ぼくの悪い癖だ。
人の行動にのみならず理屈と膏薬はどこにでもくっつくけど、人の行動に限って言えば本当にそうしている理由の九割は感情が占めている。
怒り、悲しみ、驚き、不安、喜び。
恥じらいも感情の一つだと思う。
感情の輪で言うなら、警戒と恍惚の間くらいだろうか。
平日昼過ぎに放送されている、サイコロを振って出た目に書かれたお題をゲストが話すというトークバラエティ番組で、もし「恥ずかしい話」とかが出たなら、ぼくはきっと今の状況を話す。
いや、むしろ、恥ずかしすぎて逆に話せない。
あれに呼ばれたゲスト出演者だって、まさか自分の一番恥ずかしいと思っていることを話してるわけじゃないだろうし。
ため息を吐き出して、もう一度彼女へと視線を向ける――目が合った。
慌てて、それでいて、態度には一切出さないように――今なにか起こりましたかとばかりに、逆に白々しいくらいに平然と――ぼくは視線を外す。
――どうしてこんな美人に話しかけられるというのか。
我ながらバカげた思考だと思う。
別に彼女が美人でなくてもぼくは話しかけられない。
けれど、彼女に話しかけようとすると、そのことに対しての恥ずかしさが真っ先に行動を抑止してくるのだ。
ぼくはこんな小心者だっただろうか。……考えるまでもなかった。
なんだか居た堪れない気分になり、本を閉じて立ち上がる。
我が家は公園の北にある。
歩いて十五分かそこらだ。
自転車で来るという選択肢はないでもないが、それではなんだか味気ない。
というより、多分、不純物を加えたくないのだ。
ここにあるのは、ぼくと彼女とトタン小屋に二つのベンチ。
なにかが失くなってもいけないし、なにかが増えてもいけない。
自転車は余分だ。
公園の北、と言っても、入り口は道路に面しており、正面に道はない。
別にぼくが迂回してここに来ているわけではなく、これは入り口自体が西を向いているからだ。
当然ぼくの家は入り口を出て右、ということになるのだが、柵で入り口が狭められているわけでもないので、入り口の右端に向けて歩いて行き、公園から出ると同時に右に曲がる。
二歩も行かないうちに振り返ると、公園の入り口付近だけが辛うじて窺えた。
ブロック塀が公園の全貌をほとんど隠している。
ぼくはこの状態が嫌いじゃない。
住宅街を歩いていると突然現れる公園、そしてそのベンチで静かに本を読む美少女。
なにか物語でも始まりそうで悪くない。
実際はなにも始まらないのだとしても。
ふっと自嘲げな笑みを漏らし、帰路を辿る。
ぼくはきっと、これからも彼女に話しかけることはないのだろう。
いや、もしかしたらいつかは踏み出せるのかもしれない。
だが、それは今じゃない。
今はまだレベルが足りないから、もう少し経験値稼ぎを頑張るとしよう。
それにしても、とぼくは思考を切り替える。
なぜ目が合ったのだろう?
彼女がぼくを見ていた?
だとしたら、それはどうしてだ?
彼女もぼくのことが気になっている?
それは少々自惚れが過ぎるか。
たまたま目が合ったくらいで相手が自分のことを気にかけているだなんて、自意識過剰にもほどがある。
今どき、中学生だってそんな恥ずかしい勘違いはしない。
人と会話するのを避けていたぼくは、ただ単純に人と目が合うというのが新鮮だから、そのことに意味を見出そうとしてしまっているだけだ。
そんな勘違いで話しかけてみろ。
相手の頬が引き攣ること請け合いだ。
よくよく考えてみれば、彼女がぼくを見ていたと仮定して、その理由なんていくらでもある。
隣に座っている人間を横目で一瞥することのどこにも特別な意味などありはしない。
ぼくたちは非干渉を貫いているし、ぼく自身、あの空間は一人と一人の空間なのだと思っている。
しかし、だからといって、隣に人が座っているのを一切歯牙にもかけないだなんて、そんなことは不可能だ。
もしかしたら、出来る人だっているのかもしれないけれど、彼女はそういう理由で一瞬だけぼくを見たのだと考えれば、十全に納得できる。
……なんだか言い訳くさいなあ。
言い訳じみていると言ってもいい。
まさしくそうなのだと思う。
誰に言い訳しているのかと聞かれれば、それは自分にだ。
なんで言い訳なんてしてるのか。
それは、彼女はぼくのことが気になっている、なんて考えたことを隠したいからじゃない。
だから話しかけてみよう、なんて思ってしまったのを否定するためだ。
話しかけない方がいいのだということを納得させようとしている。
心の中でくらい自分の気持ちに正直になる?
心の中でのみ正直になることなんて出来やしない。
自分を騙すことで、人は自分の行動を制限するのだ。
でなきゃ世の中犯罪で溢れてる。
金が欲しいからって金を奪った言い分が「自分の気持ちに正直になった」だなんて、そんなことがまかり通る世の中ではない。
ぼくが抱えた問題はちっぽけなものだろうけど、ぼくにとってはそれに匹敵するくらいの大事件だ。
話しかけてみたいから話しかけよう、目が合ったから話しかけよう、そんなことが出来るなら、今頃こんなことでは悩んじゃいない。
どうしようもないやつだ。
それはぼくが一番分かっている。
分かっているから受け入れられる。
どうしようもないことだと受け入れてしまえる。
――受け入れてしまえていた、今までは。
ダメだ。
ぼくはやっぱり、少しは変われているらしい。
どうしようもないものを、どうしようもないままにすることが、嫌で嫌でしょうがない。
停滞を、諦めを、許すことは出来ない。
ぼくの根底には、変えたいという巨大な欲求と、変わりたいという揺るぎない信念が植えつけられてしまっている。
恐ろしく頑丈に、しっかりと根を張り、本人ですら引っこ抜くことが出来ないほどに。
――変えたい、ぼく自身を。
――変えたい、彼女との関係を。
――変えたい、あの空間を。
それは全て、行動で得られるものだ。
失うものはあるだろう。
変化したぼくは他人に好まれるような性格ではなく、誰からも嫌われるかもしれない。
変化した関係はぼくが彼女に嫌われるというものかもしれない。
変化した空間はぼく一人しかいなくなった孤独な公園かもしれない。
けれど、良くも悪くも変わったという結果は必ずついてくる。
どちらになるのかはやってみてのお楽しみだ。
かもしれない、なんてことをいつまで言い続けるつもりだ。
予測したって未来が分かるわけじゃない。
かもしれないままでいたら、いつまで経っても停滞から抜け出せない。
失うものがなくても、得られるものだってなにもない。
――違う。
即座に否定した。
最初から分かっていたのだ。
停滞はなにも生み出さないけれど、なにかを失うことはある。
変わらないことは失うのをただ見ていることだ。
変わったって、変わらなくたって、どうせ失う。
ならば、どちらがいいのかは明白だ。
ぼくはもう、なにも得られない人生は嫌だ。
気づけば公園へと走り出していた。




