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「和菜、そっちじゃなくてこっち。」
「え、遠回りだよ?」
いつもの道から帰ろうとすると、秋人が腕を引っ張り、公園へと続く道を示した。
「そっちは、街灯もないし、家も少ないから。こっちは明るいから。」
そう言われてみると、いつもの通り道が急に暗く、不安に思えてきた。
「分かった。…安全第一だよね。」
けれど。
それは間違いだった。
いや、私の運命が決まっていたのなら、どちらの道を通っても、いずれは遭遇していたのだろう。
“異能”の存在に。
公園の前にさしかかったとき、急にあたりが暗くなった気がした。それとともに漂ってくる、錆びた鉄のような、ねっとりとしたにおい。
視界が急に暗くなった。というより、視界に入ってきたものを私自身が拒絶した。
だって、そこにいたのは。そこにあるのは。
「和菜。逃げるよ。」
秋人がそう言っても、私はその言葉をうまく処理できなかった。
逃げる?あれから逃れることは、不可能に近いんじゃないか。
そう思えるほどに、公園の前にたたずんでいた人物は外れていた。
何が、なんて説明はできない。ただ―、外れていると。そう思った。
「和菜!」
珍しく明人が声を荒げ、それをきっかけに私の足は動きだした。
ここからなら、学校のほうが近い。周りを見回し、人がいないか探した。だが。
「なん、でっ!人が、いないのっ!?」
人っ子一人どころか、いつもは出てくる野良ネコや、虫の羽音すらしない。
全速力で、学校まで駆ける。
後ろを振り向くまでもなく、誰かが追っているのを感じる。
それどころか、遊んでいる雰囲気すら感じられた。
「やだっ、誰か!助けて!」
大声で叫んでも、だれも出てこない。
もしも、捕まってしまったら?たぶん、私たちはさっきのあれと同じようになるのだろう。
あの、喉を切り裂かれ、目のない死体に。
「…………っ!」
ぞわり、と鳥肌が立った。
私は、つい、後ろを。
それが付いてきていないことを祈りながら。
振り返ってしまった。
「見ちゃだめだ、和菜!」
制止の声はすでに遅く、私は彼の姿を見てしまった。
遊ぶかのように、獲物をいたぶるように、彼は私たちを追いかけていた。血まみれになっているのに、それを誰かに見られることを気にするようでもなく。
「ひっ!お、かしいよ!あいつ、いかれてる!」
泣き叫ぶように言いながら、走り続け、私たちは明かりのともった学校の校門を通り抜け、玄関へと駆け込もうとした。
「あいつは、引き離した、の?」
後ろを見てもいないことに安堵を覚え、走りを緩やかにした。
「まだ、安心は、出来、ない。早く先生に、」
前を走る秋人の声が途切れた。
「秋、人?」
振り向くと、そいつがいた。
疑問符が頭に食い込み、私は立ち尽くした。
「…血を、よこせ。」
“吸血鬼”。数日前の新聞の見出しを思い出し、確信する。というよりは、私は脳がとっくに出していた結論を受け入れた。
「お前にやる血はない。とっとと失せてくれ」
先ほどまでのあせりがうそのように、秋人は冷静さを見せ、挑発するかのような物言いをした。
「秋人、そんなこと、言ったら」
言ったら?どうなるのかは分かっている。けれど、言わなくても同じ結末をたどるんじゃないか?
「…どけ」
男がゆっくりと近づいてくる。
「和菜には手を出させない。死にたくなければ、下がれ」
普段の秋人からは信じられないような低い声と物言いに、私は混乱した。
「……」
フードに隠れたその下で、男が少しいらだったようだった。
「…殺す」
殺す。友達との会話で、冗談のつもりで言ったことはあるけれど、非日常の真っただ中で、本物の、本当の殺人を知っている人間から聞くと、死の恐怖を身近に感じた。
それは、私が今までに得たことのない感情。
平凡に暮らす人間ならば、一生経験しえない感情。
―誰かに殺される、恐怖。
「あ、きと、」
「大丈夫。和菜は、無事に家に帰す」
そういうと、秋人はにっこりと笑った。
「…話は済んだか?」
気だるそうにこちらを一瞥すると、男は動いた―のだと思う。動きが速すぎて、私の視力では追い切れなかった。
秋人は目で追えたのか、男の腕を止めていた。
「これが止められるのか。なら。」
びゅお、と風があたりを揺らした。自然に吹いた風ではなく、男の足が動いたために起きた風、なんだろう。
「無駄だ。君の動きはもう記憶した。もう効かない。」
秋人が彼の足を先ほどと同じように受け止めながら言った。
「……ふん、これだけが俺の能力だとでも?そう思っていたのなら、めでたいな。」
男は秋人から離れ、ゆっくりとフードを取った。その仕草は、この緊迫した状況ではひどく不釣り合いで、なぜか滑稽に思えた。
フードの下から現れたのは、銀の髪と、紅の眼。それは奇しくも”吸血鬼”のようだった。ゆっくりと、紅が秋人を見据えた。その途端、秋人は体を弛緩させ、倒れてしまった。
「秋人っ!やだ、なんでっ?!」
体を起こしてやると、意識はあるものの、体が動かせないようだった。タイミング的に考えても、何かしたのはその男以外にはありえない。けれど、ただ見つめただけで体が動かなくなるなんて、そんなもの、あり得ない。
「和菜、逃げて。置いていっていいから。」
ゆっくりと、捕まえた獲物をいたぶるように男が近づいてくる中、秋人は苦しそうな顔をしながら言葉を吐きだした。
「バカ、おいていけるわけないでしょ?家族だよ?帰ったら、説明してもらうよ。」
男を睨みつけ、秋人に言った。
なんとかなるなんて、ひとかけらも考えていなかった。死にたくない。まだやりたいことだってある。マンガや小説でよくあるような言葉が頭の中をぐるぐると駆け回っていた。猛スピードで。誰か、助けて。希望など一片もないのを承知で、願った。
紅い瞳がゆっくりと近づいてくるのを何処か遠くに感じながら、私は意識を手放そうとした。