春風のように…
人を一生愛することができたら…
そんな思いで書きました。
どうぞご覧下さい。
「ねぇ一輝、私、一輝の事愛してる…」
そうベッドで呟かれるのも何人目だろう…俺は「愛してる」の意味が、ただ単に俺のルックスだけを見て言ってることもわかってるよ…。
俺自身が女を愛していないのにこうやってベッドで抱いては、呟かれているのだから。
俺には俺を愛してくれる両親もいない。俺が小さい時に離婚して、親戚の家に置いて母は出て行ったらしい。
親戚の家では急に置いて行かれた俺を歓迎するわけもなく、俺は中学卒業と同時に家を出た。
そして両親が唯一残してくれたルックスの良さを利用し、女を抱いてやるだけで飯も食わせてくれる生活をしていた。愛されることはあっても愛することのない日々…女に不自由さえしなければ食べていくことは簡単だった。
ある秋の午後8時、俺は女と待ち合わせのために駅前にいた。
女は約束の8時を回ってもまだ来ない…。
俺は駅の時計を見ようと振り返った時、急にキキィ―ッ、ドカッと音がした瞬間、俺の身体はスローモーションで宙に飛んでいた………
………
気がつくと俺は白い天井を見ていた。
看護婦さんが
「気がついたのね!よかった」
と笑顔で言ってくれた。
「俺はどうしてここに?」
と尋ねると看護婦さんはちょっと困った顔で、でもすぐ笑顔に戻って
「今はゆっくり傷治そうね!」
と言って部屋を出て行ってしまった…。
それから一ヶ月…
頭の包帯も顔の包帯も取れ、何日かあとに足のギブスも取れた。
久しぶりに自力で立つことができ、ゆっくりと松葉杖をつきながらトイレへ行った。
トイレの鏡の俺は…「俺じゃない!!俺は…?俺じゃないぞ!!」
気がつくと頬を温かいものが伝う…
頬には長く大きな傷痕…そこに沿って伝う涙…
目も今までの半分しか開かなかった…
俺の異変に気づいた看護婦が、先生を呼ぶ。
そして俺が、駅前で曲がりきれなかった車が俺目掛けて突っ込んできたことを教えてくれた。
そして俺はショーウインドーに頭から突っ込み救急車で運ばれたんだと言う…。
両親が残してくれた唯一キレイな顔は、跡形もなく消えていた。
それから二週間のリハビリを受け、無事退院した。
しかしこの二週間、なぜ助かってしまったのか、こんなになるんやったら死んだ方がマシやったのに…
女とやりたい放題がなくなったのが寂しいわけじゃない。誰も本気で俺を愛してる奴なんていなかったのだ。
俺を顔で選んできた女には、顔がキレイではない俺には用もなかった。
「愛してる…そんな簡単に愛してるなんて言うはずないよな…俺のしてきたことさ。仕方ないのはわかっているさ…」
俺はオレンジ色に染まる空を見て、虚しさだけが残っていた…。
普通に身体が動くようになりとにかく無心で働いた。
毎日作業着が汚れ、汗をかき、とにかく働いた。
三ヶ月の工期も終わり俺の仕事も一段落した日の帰り道、まだ陽が落ちる前の夕暮れを海岸通りに座り、途中で買ったジュースとから揚げを食べていた。
すると向こうから、犬が走ってきた!
その向こうから女の子が一人走って来るのが見えた。
犬は俺の前を通過すると思いきや、目の前でこっちを向いて座り、尻尾をずっと振っている…
「から揚げが欲しいのか?」
犬に本気で声かけてしまった(笑)
「お前、かわいくない顔してるなぁ!なのに俺、顔が笑ってら~(笑)一個だけだぞ!飼い主にはナイショな~」
後からゼイゼイ言いながら走ってきた女の子は
「ごめんね、この子がビックリさせちゃった?ハ~、疲れた、久しぶりに走ったわ(笑)」
遠くから見たら女の子みたいやったけど、意外と同い年くらいの女やった。
「いやいや、大丈夫だよ。この犬顔はかわいくないのに何か俺、顔がニヤけるんさ。何でかな、すごい不思議な気分だよ」
女はそれを聞いて
「犬ってさ、人がカッコイイとかかわいいとか見た目で選ばないでしょ。心の中を見てるんかなぁ。寂しい人や優しそうな人、みんな見抜いちゃうんかな(笑)」そう言って彼女は
「あ、そだ、ビッキー、ここでこのお兄さんと待っててね!」
道路の方へ走って行った。
「お前、ビッキーって言うんだ。こんなに不細工なのに、何でそんな優しい目をしてるんだ?口開けると笑ってるように見えるな~」
そんなことを言ってたら、不意に頬に熱いものが流れた…
俺…泣いてる…?なぜ泣いてる…?
なぜだかはわからない…
するとビッキーは俺の顔の前まで来て、俺の頬を、目を、そして口までもを温かい柔らかな舌で舐めた…
温かいコーヒーを二本持って帰ってきた春海(ビッキーを連れてた彼女)は、遠くからでも彼(一輝)が泣いていることがわかった。
温かいコーヒーを持って彼とビッキーのところへ戻ると
「はい、温かいコーヒー(笑)陽が沈んで寒くなってきたもんね!」ビッキーに負けないくらいの優しい目だった。
「あ、ありがとう…すごく美味い」
俺は不思議と寒いはずがとても温かかった…。
「俺…今までさ、親ってものを知らなくて、犬も飼ったことなくて…犬がこんなに優しい目をしてるって知らなかったんだよ…てか、俺、何言ってるんだろうな(苦笑)」
「ううん、いいよ。何でも話してくれたら(笑)さっき泣いてたでしょ…遠くから見てもわかった!何でだと思う?」
「え…わかんない。でもたしかに俺、泣いてた…」
「ビッキーね、いつも私が泣いても同じように頬や目、口を舐めてくれるんだよ(笑)私も身内はもうこの子しかいないから…そだ!あなたの名前教えてよ!私は三神春海、20歳」
「あ、俺は安藤一輝。19歳。もうすぐ20歳になるけどね。ビッキーは?いくつなの?」
「ビッキーはラブラドールレトリーバーという種類で、今2歳。女の子よ(笑)」
「そうなんだ。この優しい目に俺つい気づいたら泣いてた…犬って不思議だな…初めて犬を知ったよ」
「犬ってさ、喋らないけどすごく、感情表現が豊かなんだよ。人間だけが見た目で人を選んだりするのよね。犬は違う、心で人を選ぶのよ…」何だか俺はその言葉にズキッときた…
俺…こんな顔になっちまったから、不幸になったと思ってた…
「ねぇ春海さん…初対面でこんなこと言うのも何なんだけど…俺、事故でこんな顔になっちゃって、きっと周りは怖い顔だとか思ってるんだろうな、って思ったら周りと距離を取ってた…俺には両親もいないし、愛するとか愛されるというのがよくわからずにいたんだ。俺を愛してると言う女は何を見て俺を愛してたんだろうな…」「うん、顔の傷痕が痛々しいね…」
「俺の顔…怖いか?」
「ううん、怖くないよ!痛かったでしょ…よく頑張ったね」
そう言って涙をうかべ俺の傷痕を手で撫でてくれた。
俺はさっきビッキーが優しく舐めてくれた感覚と重なりまた涙がこぼれた…。
あれからビッキーに仕事帰りに会いに行く毎日になった。
春海は一年前事故で両親を亡くし、一人で生前の両親と住んでいた家でビッキーと住んでいた。
意外にも一輝と春海の家が近いこともあって、仕事帰りに寄るのを楽しみに一輝は仕事も楽しくなってきた。
春海とビッキーはいつしか、一輝の帰りを楽しみに待つ日々になり、春海の家で夕食を食べて帰る日も多くなった。一輝にとっても春海、ビッキ―も幸せだと感じていた。
「一輝、最近ものすごく明るくなったな!女でもできたか?(笑)」
会社の先輩も、明るくなった後輩をからかうようになった。
「先輩、わかります?俺、まだ女はできてないんだけど、守りたい人、守りたい犬ができたんだ。俺、初めてなんだ!」
「何だ、おめ~、女と付き合ったことなかったんか…そか!頑張れよ!」
「違うよ、先輩(苦笑)付き合ったこともあるし、童貞でもない!守りたいと思うのが初めてなんだよ!」
「そかそか、何かお前の顔が輝いてるってことはよくわかる!頑張れよ!!」
仕事が終わり、春海の家へと足が向かう…今日こそ言うぞ!決意を胸に一輝は足早に駅を通り過ぎた。
春海の家に着くと、春海は一輝のために街灯を付けてあり、換気扇からは美味しそうなカレーの香りが流れてきた。
一応、自分の家ではないのでピンポンを鳴らす…ドキドキで心臓の音が高鳴る…
奥からワンワン!とビッキーの声が…そしてカチャカチャという足音とパタパタという足音がこっちに向かってくる。
しかし今日はそれだけの瞬間なのに、やけに長く感じる一輝…
「おかえり~!お疲れ様!!」
春海の声と共にビッキーの喜びのダンスが始まる。
ちぎれんばかりに尻尾を振り振り、顔から舐められ、唇も奪われる(笑)
そしてリビングまで行くと、ビッキーと同じくらい優しい目をした春海が、俺を見て微笑んでいた。
春海は二人分カレーをよそうと、サラダと一緒にテーブルに並べる。
いい香りのカレーの誘惑に負ける前に、俺は春海に声をかけた。
「あ、あの…春海、ちょっとこっちへ来てくれないか…」
「ん?どうしたの?」
俺の前に来た春海に、俺は言うと決めていた言葉が出て来ず、いきなり抱きしめてしまった…
俺…俺はまず何を言いたかったのだろう…
でもこの腕の中の感触がたまらなく温かかった…
春海は最初ビックリしていたが、俺の胸に顔を埋めた。
「俺…春海が好きだ!今まで俺が本当に愛した人がいない。春海が初めてなんだ」
それを聞いた春海は顔を上げ俺の顔を見ると、目から一筋の涙がこぼれ落ちた…「俺には春海しかいないから…」
言ってる俺の目からも涙が落ちていた。
二人には気づかなかったが、ビッキーは横で春海の涙を舐め に行こうと思っていたのに、一輝の涙にも気づき舐めに行く方を迷っていた(笑)
二人の世界に入っている一輝と春海は、そのまま唇を重ね、抱き合っている…
ビッキーはちょっとやきもちを焼いて
「ワン!」
二人はその声に「あっ!」
「ビッキー、ごめんね。ビッキーも大好きよ(笑)」
「ビッキーと春海は俺が守るから!」
と言ってビッキーを抱きしめる俺。
「さ、カレー食べよ(笑)冷めちゃうし~」
二人でテーブルを囲み、横でビッキーが待っている。
「めっちゃ美味しいよ!」
「よかった(笑)」
見つめ合う二人には今は幸せしかなかった。
一年後、女の子が生まれ、三年後には男の子が生まれた。
結局あの後、新居を建てようかと言ったのだけれど、春海が両親との思い出のある家にいたいと言うので、結婚しても春海の家にいた。
女の子は「実優」男の子は「悠希」と名付けられ、元気に大きくなっていた。
実優は昔の俺にそっくりな顔してる…
春海は昔の俺の顔は知らない。だから俺だけが思ってることだ。
ビッキーは実優と悠希が泣くと、すぐに駆け寄り涙を舐める。
相変わらずだな(笑)
でも正直俺、実優も悠希もかわいいのだけれど、両親に愛された覚えがないのでどうやって愛したらいいかわからずにいることがあった…。
春海はそう悩む一輝を感じとっていた。
「大丈夫よ!実優も悠希もまずはギュッと抱きしめてあげて(笑)ビッキーもちゃんとあの二人を愛してる。お姉ちゃん気取りがかわいくて(笑)」
「そうだな、ビッキーは喋れないのにあれだけ二人の世話もするんだもんな~!俺がくじけてたらダメだよな(苦笑)」
「そうだよ!犬ってすごいなぁって思う。私も両親が亡くなってからビッキーにたくさん助けられ、愛をもらったわ!」
「俺も、愛しかたを教えてもらったよ…。そして春海にも本当に愛された俺は幸せなんだと思っている…ありがとうな…」
春海は顔を真っ赤にさせながら
「え?何て言ったの?もう一回!!」
「聞こえてたくせに!真っ赤だぞ(笑)」
抱きしめ合う二人に笑顔がこぼれていた…。
そう言いながら一輝は、俺はいつまでこの愛する家族を守ることができるのだろうか…と思っていた。
最近、春海にももちろん子供にも言えないのだが、会社の健康診断で癌の疑いがあるので病院へ行くよう言われた。
最近たしかに体重が減り、胃が痛むこともしばしばあった…。痩せてはきたけど、周りからは仕事が忙しくて頑張ってくれてるのでちょっと痩せてきたんだと思われているようだ…。
ビッキーは子供が寝て自分の子守の仕事が終わった夜は、毎晩俺のところに来て「ク~ン、ク~ン」と寂しそうな声で鳴き、手や口を舐めてくれる日が続いた…。
もしかして、お前…わかっているのか…?まさかな(笑)
「大丈夫だよ!ビッキー、俺は家族を置いていけないさ(笑)」
ビッキーの柔らかい首筋と耳の下を撫でながら俺の目から涙がこぼれ落ちた…。
それをまたビッキーが舐める…。
「お前、本当に何でもわかってるんだな…。俺…俺…」
もう涙で何も見えなかった…ビッキーにしがみついて泣いた…。
部屋から聞こえる声に入るタイミングを失った春海は、ドアの外で一人涙を流していた…。
一輝に何があったのだろう…
あの一輝の泣き声は相当なことがあったに違いない…
気づいてあげられなくてごめんね…
数日後、一輝が仕事中に倒れ救急車で運ばれたと春海に連絡が入った。
仕事中ではあったが、店長に事情を伝えすぐに夫のいる病院に駆け付けた。
…
どれだけ時間が経ったのであろう…春海は廊下の椅子に座ったまま一輝が処置室から出て来るのを待った。
春海には長く長く感じた時間も、実際には15分くらいしか経っていなかった。
「何でこんな時間が長く感じるの?早く会いたいだけなのに…」
涙が頬を伝い落ちる。
それから1時間後、一人の医師が処置室から出てきた。
「奥さん…ですか?」
「はい…主人は…?」
「ご主人は…食道に癌が見つかりまして、胃の少し手前何ですが、胃の方にも少し転移が見られました」
「それで…それで主人は、癌はどれくらい進行してるのですか…?」
溢れ出る涙をそのままに、先生をぐっと見つめる春海…「今、開いてみたのですが…あと一年が精一杯かもしれません…。今、無理をして癌を取ると、出血多量で命を落としかねないので、申し訳ありませんがこのまま縫合します…」
申し訳なさそうに頭を下げた先生は、もう一度手術室へと入って行った。
一輝が目を醒ますと白い天井が見えた。
俺…なぜここに…?
一瞬、あ!と思い顔を触る。包帯がない…前の事故と勘違いしてたようだ…。
しかし足が重い。
だから前の事故と勘違いしたのか(笑)
足は重いが痛くはない。痛いのは胃の上あたりだった。
「痛っ…」
痛みをこらえつつ、足の重たさが気になり、頭をあげてみた。
「春海…」
春海が一輝の足元に突っ伏して寝ていた。
よほど泣いたのだろう…目は腫れ真っ赤になっていた。俺…もう長く生きれないのかな…よほど春海は疲れていたのだろう、全く起きる気配はない…
天井を見つめ白かった壁がオレンジ色に染まる頃、看護婦さんが持ってきてくれた夕食の食器の音で春海は飛び起きた。
ずっと意識が戻らなかった一輝に夕食が届けられるはずもなく、「えっ?何で?」ビックリして飛び起き一輝を見る…
「あ…!か…よかった!!目が醒めたんだね」
目から溢れる涙は止まらない。
「心配かけてごめんな…」
手を伸ばして春海の頬の涙を親指で拭う。
手を握り返す春海に
「俺は、死なないよ!何があっても春海や子供、ビッキーを残して死ぬわけにはいかないからな(笑)」食器の音だと思っていた春海は、一輝の机の上を見て気がついた。
それは夕食の食器ではなく、一輝が嘔吐する時に使う受け皿だった。
今までずっと一緒にいたのに気づかなくてごめんね…
こぼれそうな涙をこらえながら、一輝の前でもう泣いてはいけないと、慌てて「ちょっとトイレ…」と病室を飛び出した春海…。
トイレでタオルに顔を埋めて一人泣いた…。
実優と悠希は幸せな顔してビッキーと遊んでいる。
時々「パパは?」と聞かれるけど
「今、パパは頑張ってるからね!また時間が空いたら帰ってくるよ」
と言っていた。
それを聞いていたビッキーは悲しそうに「く~ん…」と鳴いていた…。
平日は子供を保育園に預けて、仕事の休憩中や終わったあとに一輝の病院に行っていた。
「いつも忙しいのにごめんな…。子供たちはどうしてる?」
一輝の問い掛けにズキンと心が痛む…。
(…子供に会いたいよね…あとどれくらい一緒にいられるかわからないんだもの…)
「実優も悠希も元気よ!ビッキーがいいお姉ちゃんしてるから(笑)あなたも早くよくなってね!みんな待ってるわ」
無理に笑顔を作り答える…。
(辛い…神様…もしあなたが本当にいるのなら、私たちなぜこんなに辛い思いをしなければならないのですか…?)
一輝は抗がん剤を投与し、放射線治療もしながら癌と闘う日々が続く…。
髪の毛も抜け、身体もまた細くなったようだ…。
ある日春海は担当医に尋ねた。
「先生…あの人はもう家には帰れないのでしょうか…?子供と一緒に遊びことも無理なんでしょうか?」
涙が溢れそうになるのを堪えつつ言った。
「帰りましょうか…家に。残された時間は長くはないでしょうから、好きなように過ごすのもいいかもしれませんね…」
家に帰って子供と会わせられ生活できる喜びと、残された時間の少なさ…複雑な気持ちにまた春海に悲しみが襲う。
しかし、彼に残された時間を有意義に過ごせるなら、喜ぶべきなのかもしれない。
二週間後、検査や在宅中の注意、少しリハビリ等を終え、久しぶりの我が家に帰ることになった一輝。
子供たちは無邪気に喜び、一輝も久しぶりに会う子供に笑顔が溢れている。
春海は涙が溢れそうなのを堪え「ずっとこの時間が続けばいいのに…」と思い、残された家族の時間の短さを噛み締めていた。ビッキーは私と一輝の間を行ったり来たり…彼女なりに一生懸命気を遣っているのがわかる。
そして私達家族のタイムリミットまでの幸せをより濃いものにするために、今は一輝の生が一日でも長くなることを願うばかりだった。
子供たちもビッキーも私も、朝起きてまず一輝のところへ行きこれ以上ない笑顔で挨拶をし、一緒に朝日を浴びた。
今日も一輝は朝の暖かな陽射しを浴びる喜びを感じながら、実優、悠希の飛んでくるのを待っていた。
タッタッタ…という二つの小刻みな足音 と一緒にカチャカチャカチャ…という足音が段々と近づき、「おはよ~!!」勢いよく開いたドアからこぼれ出るように子供とビッキーが入ってきた。
「お父さんおはよ~!」
二人は元気いっぱいだ。
一輝は二人の元気な声を毎日楽しみにしている。
後から春海が来て
「さぁみんなで朝ごはんにしようか!」
ベッドの横に小さな折りたたみテーブルを置き、朝食が始まる。
「悠希~、そのウィンナちょうだい!」
返事を待たずに実優はウィンナを食べてしまい、悠希は半泣きになる。
「お母さんのあげるから泣かないの(苦笑)」
ビッキ―も自分の餌を悠希の前に数粒持ってきた。
アタシのもあげるから泣かないの!
と言いたかったのだろうか(笑)
一輝はお粥を食べながら笑っている。
「さぁ、下に行って歯を磨いて学校行かないとね!」
春海が実優と悠希を促すと
「行ってきま~す!」
「あぁ気をつけてな」
いつもと変わらぬ朝だった。
「じゃあ仕事行ってくるね。お昼前には帰るけど大丈夫?しんどくなったら会社に電話してね」
「大丈夫だよ!子供じゃないんだから(笑)ビッキーもいるしな」
そう言ってビッキーの頭を撫でる一輝。
「明日は病院に検診だからね」「そうだな。最近は調子もいいし、明日は晴れるといいな」「うん、外は寒いけどね。春が来るまでもう少しだよ!」…みんないなくなっちゃったな…俺、情けないな…
外を見ながら一輝は遠くを見つめ涙が溢れそうなのを堪えた。
クゥ~ン…
一輝の細くなった手をビッキーが舐めた。
「そうだった。お前がいたね…何でそんなに俺の思ってることがわかるんだ?」
一筋の涙がこぼれ落ち、ビッキーが寄り添い顔を舐めた。
「俺…いつまでみんなと一緒にいられるんだ?どうして俺がこんな目に合わなければならないんだ…?」
溢れる涙は止まることなく、悔しさばかりが一輝の胸を過ぎっていた。
ビッキーは一輝の側を離れることができずにいた。
涙を流していた一輝が急に「うっ…う…」と苦しそうにもがきだした!
ビッキーは異変に気づく…。
必死で一輝の顔を舐めるが、一輝は苦しんだままだった。
ビッキーは玄関に走り、立ってドアノブに前足を乗せると、ドアが開きそのまま春海の仕事場まで走って行った。
春海の会社までは走って5分のとこだった。
春海は一輝が入院するまで行ってた会社を辞め、病院と家の近い工場勤めをしていた。
土日は休めて、お昼休みがきっちりあるほうが一輝のとこに向かえたからだった。いつものようにコツコツと仕事をしていた春海の耳に、聞き覚えのある犬の声…
ん?気のせいかしら…
段々近づいてくる犬の声…
「あ!ビッキー!」
もしかして一輝に何か…
心臓が早くなるのがわかる…。「安藤さん、あの子安藤さんとこの…」
回りで仕事していた人たちがざわめきだした。
「社長!もしかして主人が…」
涙声になりながら社長に言うと
「今すぐ帰れ!俺が続きをしとくから」
「ありがとうございます!」
事情を知ってくれていた社長はすぐにわかってくれた。
ビッキーと一緒に家へと走る…。
「どうか間に合って下さい…神様…どうか…」
不安でたまらずに家へと走る…。
玄関前に来るとドアは開いたままだったので、そのまま走り込む。
一輝のいる2階に上がると、苦しそうにもがいている…。
子機を加えて走ってきたビッキー。
救急車!!
急いで電話をし、救急車が来るのを待つ。
手を握り、抱きしめ救急車の音が近づくのを待ちながら
「どうかもう少し、もう少しだけこの人に生を…命はまだ持って行かないで…」
涙を溜めた目からは全てがぼやけて何も見えない。救急車が来た時には春海の記憶はなく、救急隊の人に
「奥さん!しっかり!!ご主人は必ず助けます!」
と言われ、一輝から離された。
そして気づくと病院のベッドの横にいた。白い壁、暖かな陽射し、そして目の前には穏やかな顔に戻って目を閉じている一輝…。
カチャっというドアの音で我に返る春海。
担当医師と看護婦さんが入ってきた。
「ありがとうございます…」
立って頭を下げる春海。
「ご主人は今は痛み止めと点滴で眠っています。もう少し発見が遅かったら危ないとこでした。間に合ってよかったです」
先生の言葉に春海はビッキーの勘と行動に涙が溢れ出た。そして先生から意外な言葉を聞くことに…
「安藤さん…しばらくしてご主人が少しでも体調が安定したら、ご主人とご家族で旅行でもしてみませんか?もちろん今回知らせに来てくれた犬ちゃんも一緒に。」
「え?旅行できるんですか…?」
「もちろんどこでもというわけではありません。ただ私の実家の跡が伊豆にありまして、今は誰も住んでいないのです。周りには新鮮な魚をたくさん売っているし、ご主人に何か異変が起こった時、私の親友が近くの病院をしています。何かあった時手を貸してくれるよう頼んでおきます。」
「ほ…本当にいいんですか…?」
春海は溢れていた涙が、さらに溢れ出てくるのを止められなかった。
「いえ…どうかご主人と残された時間を、あなたにとっても、ご主人にとってもお子さんにとってもいい思い出になることを願ってます」
「ありがとうございます!本当にありがとうございます…」
春海は大粒の涙が落ちて行くのもかまわずに、深々と頭を下げた。
「ではまたご主人が落ち着いたら、細かい日程などを決めましょう。だからどうか気を落とさずに、あなたも頑張って下さい」
あれから三日…子供は久しぶりにお父さんのいない生活に、少し寂しさを感じながらも、お母さんに気遣い笑顔を絶やさずにいた。
ビッキーも実優と悠希に寄り添い、なるべく寂しくならないようにしてくれてるように見える。
春海も仕事の合間を見て一輝に会いに行っていた。
四日目の朝、看護婦さんから一輝の意識が戻ったことを知らされた春海は、すぐに飛んで行きたかったが、会社に迷惑かけるわけにもいかないと思い、社長に言えずにいた。朝電話がかかってきた時、ちょうどロッカールームに入ろうとしていた先輩の花木が、春海の電話を聞いていた。
朝礼が始まる前、病院に行こうとせずに朝礼へ行こうとする春海を見て、社長に言えずにいることを悟った花木は
「おはようございます、社長。安藤さんのご主人意識戻られたみたいなんですけど…」
「何?本当か?安藤!早く行ってやれ!」
「え?あ、でも…」
「意識戻ってないのか?」
「いえ、戻ったと連絡ありました。けど仕事にこれ以上迷惑かけるわけには…」
「気にするな!今はご主人のことを先に考えろ!俺がフォローするから!」
「そうよ、私らもフォローできる!早く行ってあげなさい!」
社長も花木も早く行くよう言ってくれた。
春海は涙がこぼれ
「ありがとうございます、ありがとうございます…」
一輝のところに行ける。社長、先輩ありがとう…。
急いでかばんを持つと、病院へと走る。
気持ちばかりが先に行き、病院の入口で先生とぶつかった。
「ごめんなさい!あ、先生!主人が、主人の意識戻ったんですね!ありがとうございます」
涙で前が見えないが、先生はハンカチを出して
「せっかくご主人が目を醒ましたんだ。涙を拭いて笑顔で会っておあげ」
周りの人の優しさが染み渡り、もう涙で顔がグチャグチャになっていた。春海を見送る先生の後ろで、看護士の南が
「先生、優しいですね!安藤さんに気があるんですか?(笑)」
半分からかうように、半分ヤキモチのように先生に絡む。
「俺が医者になろうと思ったきっかけと同じなんだ。俺の親父もガンで、余命半年と言われて思い出を作る時間がなかったのが悔しくて…。そして大きくなったら絶対に医者になってガン患者の家族の力になると決めて、医者になったんだ。今、安藤さんにとって思い出を作ることを手伝えるなら、と思ってね」
南は、からかった自分を恥ずかしく思った…。
「ごめんなさい…」
「いいんだよ。安藤さんだけに限らず、もし残された時間を思い出を作ることができるなら、俺の実家も役に立つし、きっと親父も喜んでくれるはずさ。さ、仕事に戻るぞ(笑)」
春海は一輝の部屋の前で一呼吸して、涙の跡がないか鏡でチェック。
無理に笑顔を作ると 部屋に入る。
一輝は
「…ごめんな…心配かけて…」
「いいよ!無事でよかった(笑)ビッキーがね、知らせに来てくれたのよ」
「また…ビッキーに助けられたんだな…俺…」
一筋の涙が一輝の頬を、昔の傷痕を伝う。
「元気になろう!ビッキーが助けてくれたんだもん!元気にならなくっちゃ」
笑顔を向けて一輝に言った。
「そうだな!まだまだ俺、ビッキーに返し足りてないもんな」
「あのね、担当の木崎先生が、もう少し体調良くなったら家族で旅行に行くといいよって言ってくれた!もちろんビッキーも一緒にね」
それが先生の実家であること、先生の親友の先生が何かあった時助けてくれることは伏せておいた。
「また場所とか決めたら報告するからね(笑)」
「そっか、楽しみにしてるよ」
旅行を楽しみに入院しながら体調を整える一輝は、この旅行への想いを整理しながら、自分の人生を振り返っていた。
…俺、きっと幸せだったに違いない…母にはもう会えないだろうけど、悔いはない。母さん、俺を産んでくれてありがとう…。
その日はそのまま眠りについた。
次の日、一輝は朝、ナースステーションの前を通り、エレベーター手前でふと入院患者の名前の書かれた名札を見た。
「安藤一葉…安藤一葉!母さん!!なぜここに…」
立ち止まって動けずにいたドアの前…すると中から一人の男の子が出てきた。
「? お母さんを知ってるの?」
まだ小学生くらいだろうか…その男の子は、自分の母親の病室の前で、名札をじっと見つめる痩せ細ったおじさんに気づいた。
「君…は…?あ…ごめん、俺の知り合いの人と同じ名前だったから、つい…。人違いだよ、ごめんな」
そう言って一輝はその場を離れた。
中庭に着いたけれど、どんな道順で来たか記憶がない…ただひたすら心臓だけが激しく高鳴っていた。
母さん…なぜ病院に…?
俺を捨てた母親に未練はなかったはずなのに…
どれだけ時間が経ったのか…戻ってこない俺を心配して看護婦の南がやってきた。
「安藤さん、どうしました?気分でも悪いですか?」
「あ、いや、大丈夫…」
顔は少し強張っていたが、南のおかげで意識が戻ってきた。病室に戻る途中、一輝は南に
「あの…302号室の…安藤さんてどんな病気何ですか?」
「ごめんね、個人情報的なことは言えないの…」
「あ…そうですよね…でも実は俺の母親何です…中学の時に親戚のうちに俺を置いて出て行ったんですけど…」「え?…そうなんですか…ごめんなさい、また先生と相談してからお返事しますね。とりあえず部屋に戻りましょう」
「はい、すみません。一応人違いだといけないので母の誕生日言っておきます。10月20日のB型です。人違いなら返事はいらないですから…」
「わかりました」
ベッドに戻り、一輝はあの男の子を思い出していた。
まだ小学生くらいだろうか。でも目元や輪郭は昔の俺によく似ていた。
俺も母に似た顔をしていたから…。
…気づいたら眠りについていた。
眠っている間に春海が来ていた。春海が着替えとタオルをベッド横の引き出しに入れている時、微かにカツンという音で目が覚めた。
「あ、起こしちゃった、ごめんね」
「いいよ。来てくれてありがとう」
暖かな陽射しが二人を包む。
「春海…俺の親のこと、前に話したことあったよな…母親は俺が中学の時、親戚の家に置いて行ったこと…それから一度も会ったことがなかったこと…」
「うん…お母さんどうしているのかしらね…」「それが…302号室にいるかもしれないんだ…」
「えっ?」
「知らない小学生くらいの男の子がいたけど…母さんの名前は安藤のままだった…。その男の子が出てきた時、俺の昔の目元にそっくりでさ。実優にもそっくりだ。きっと間違いない」
「そっか…あなたは、会いたい?」
「会いたいのかな…会いたくないのかな…正直わからない。ずっと捨てられた、という思いもあったから」
そう言いながらも、涙が溜まっていた。
しばらくすると回診の時間になった。
先生と看護婦の南が来て
「安藤さん、302号室の安藤さん…お母さんかもしれませんね。安藤さんは会いたいですか?」
「…母はどんな病気何ですか?」
「…お母さんもガンです。お母さんの場合、本人には言ってないけど余命が2年です。もし少しでも会いたい気持ちがあるなら、会われることをお勧めします…無理にとは言いませんが、後悔はしてほしくないから…」
先生の言葉を聞いたとたん一輝の目から涙が溢れ出した。
ずっと我慢してきた母への想い、恨み、全部が溢れ出し肩を震わせ
「…会ってもいいですか?いや、会わせて下さい…」
「わかりました。どうぞいつでも302号室に行ってあげて下さい」
「ありがとうございます…」
カーテンの向こうで聞いていた春海の目からも涙が止まらなかった…。
先生と南が
出ていくと深々と頭を下げて見送る春海。
一輝に涙の残る笑顔で
「今、行ってくる?一緒に行ってあげようか?」
「いや、夜にするよ。あの男の子がいたらビックリするだろうから。今日の夜、実優と悠希を連れて来てくれないか?」
「わかったわ」
そして一輝の身の回りのことを終え、春海は仕事に戻って行った。
夜まで長く感じる一輝。
母さんに何て声をかけたらいいんだろう…。どんな顔されるんだろうか…。
喜んでくれるのか、冷たくされるのか…不安もいっぱいであった。
夕方、学校から帰った実優と悠希を連れて来た春海。緊張した面持ちの父、何かわからずお父さんに会える喜びでいっぱいの子供達。
夕食を終えた父が、春海と子供を連れて302号室の前へ…
「ちょっとここで待っていてくれないか」
そう言い残し302号室に入って行く一輝。
「お父さんどうしたの?」
「おばあちゃんに会いに行ったのよ。あなたたちのおばあちゃん」
「そうなんだ!」
春海の両親は結婚前に亡くなったから、子供達にとって初めて会うおばあちゃん。
喜んでくれるといいんだけど…
春海はそう思いながら、ドキドキして一輝が呼ぶのを待っていた。
中に入った一輝は心臓をバクバクさせながらも
「こ、こんばんは…」
カーテンを開けると白い髪の毛が混じった昔の面影残る母がいた。
「母さん…」
何て言っていいかわからず言葉に詰まる…
一葉はその言葉にビクッとなり
「か…一輝?」
一輝の顔を見ても昔の面影はない…
「そうだよ。一輝だよ…。俺…18の時の事故で顔が変わってしまったから…」
一葉の顔が段々と歪んで大粒の涙がこぼれた。
「一輝…ごめんね…母さんのせいだね…ごめんね…ごめんね…」
顔を覆い号泣する母。
俺は謝ってもらおうと思ってきたわけじゃない。
「もういいんだよ。母さん。俺、幸せになったんだ。それを知らせに来ただけだから」
一葉は涙を拭うともう一度一輝を見る。
「一輝…何でパジャマなの?」
突然の訪室で顔しか見てなかった一葉は、少し落ち着き一輝の全部を見ることができ、着ている物の不自然さに気づいた。
「俺もここで入院中なんだよ…(苦笑)」
「え?ここで?」
たしかに顔が変わったとはいえ、少し痩せすぎている。
また涙が溢れそうなのをじっと堪える一葉だった。
「ちょっと待ってて」
そう言うと一輝はドアに向かい、家族を呼び入れた。
「はじめまして、春海と申します。この子たちは一輝さんとの子で実優と悠希です」
「はじめまして、おばあちゃん」「この子たち…一輝の子なの…?本当に一輝の小さい頃にそっくり…」
涙で前が見えなくなる一葉。
「会いに来てくれてありがとう…ありがとう」
そう言って実優、悠希の手を握りしめていた。
横で見ている春海もハンカチで目を押さえている。
そこへ入ってきたのは前に廊下で会った男の子だった。
「あ…ごめん…」
一輝はビックリさせたと思い謝った。
「いいよ。一輝兄ちゃんでしょ?知ってるよ!お母さんがよく言ってたもん。僕も一樹って言うんだ(笑)僕、一輝兄ちゃんにそっくりだっていつも言われてた」
「一樹なんだ…。いくつだい?」
「小学校五年生。お母さんと二人暮らしだったから、夜はここに来てる。時々先生が僕を家に連れて帰ってくれるんだ」「木崎先生か?」
「そう、木崎先生だよ。安藤一樹っていう名前なんだ!って言ったら、そうなんだ…って言ってしばらく考えてたよ。どうしたの?って聞いても、何でもないよって言ってたけど」
「今日はどうするんだ?ここで泊まりか?」
「ううん、今日は先生がもうすぐ仕事終えてここに迎えに来てくれるから、だから来たんだよ」
「そうなんだ…」
その時後ろのドアがノックされた。
木崎が入ってきた。
「あ、安藤さん、来ておられましたか。一樹、ゆっくりでいいよ。終わったら駐車場においで。皆さんどうぞごゆっくり」
そう言って部屋を出ようとした時、春海が
「あの…先生…一樹君、今日うちで預かりましょうか?主人の弟さんだったんです。うちはこの通り子供も似たような歳なので、一人や二人増えても全然かまわないし。いいよね?実優、悠希」
「うん!!お兄ちゃん、一緒に行こうよ」
「一樹、どうする?」
「先生…僕…、行ってくる!」
「そか、じゃあ私は帰るから(笑)」
「うん、先生、ありがとう!」「一樹は昔の一輝とそっくりでしょ?ずっと一輝のことこの子に言ってきたの…もう会えないと思ってたから、会えてよかった…本当によかった…」
「母さん、もう泣くな。一樹はうちで預かるから安心しろ。春海、世話かけるけどよろしく頼む」
「いいよ。あなたの弟でしょ?気にしないで(笑)一樹君よろしくね!」
「はい!よろしくお願いします!」
ずっと一人で母の帰りを待ってたりしてたからだろうか、一樹はしっかりしていた。「じゃあ母さん、俺は320号室にいるから。一樹は春海が子供と一緒に連れて帰るから」
「ありがとう。春海さん、本当にありがとう。一樹を、一輝をよろしくお願いします…」
涙を溜めて一葉は春海に言った。
「お母さん、大丈夫ですよ。安心して下さい」
「おばあちゃん、また来るね」
そう言って病院をあとにした。
次の日、春海は子供達を学校に送り出し、一樹を隣町の学校まで送り仕事の休憩中に一輝に会いに病院に来た。一輝に会いに部屋に入ってしばらくすると、木崎先生が入ってきた。
「昨日はお母さんに会えてよかった。一樹に一輝さんのことを聞いた時、もしや…とは思ったんだけど。そこまでは口出しできないんで…たまたま見つけてくれてよかった」
「先生、一樹が今までお世話かけました。俺の弟なんで、俺が引き取ってもいいですか?春海には世話かけるけど、一樹も実優や悠希と一緒に生活させてやってもいいでしょうか?」「お母さんと一樹、そして奥さんとお子さんがいいと言うなら、私はかまいませんが」
「お母さんと一樹、そして奥さんとお子さんがいいと言うなら、私はかまいませんが」
「ありがとうございます。先生には何から何までお世話になって…一樹を預かって下さってありがとうございました。」
「よかったらお母さんも一樹も一緒に私の実家に連れて行ってあげて下さい。最近お母さんも少し体調がいいみたいだから」
「先生…ありがとうございます」
また涙が込み上げてきた。
温かい…こんなに人は温かいのに、俺は何も人にしてあげられないままこの「生」を終わるのだろうか…。温かい…こんなに人は温かいのに、俺は何も人にしてあげられないままこの「生」を終わるのだろうか…。
数日後、一葉と一輝、春海に旅行の注意事項と、何かあった時の連絡先を先生から説明があった。
日程は3月25日から3日間、子供の学校が春休みになるのを待っての出発だった。
行き先は伊豆。担当の木崎先生の計らいで家族と、新しい家族も一緒に行かせてもらえることになった。
伊豆までは車で一時間半。
レンタカーを借り、春海の運転だ。
「さぁ出発よ!みんな準備はいい?」
声は弾ませているが 、春海の心の中は複雑だった…。
『最後の旅行』が頭から離れない…。
…泣かずに楽しんでこられるだろうか…?一輝にとっても子供達にとっても、いい思い出にしなければ…
重いプレッシャーに潰されそうになりながらも、伊豆までの道のりが長く長く感じた。
先生が設定してくれたナビのおかげでお昼前に着くことができた。
一輝と一葉の体調を考え、休憩を少し多めに取りながらの旅行ではあるが、子供達は素直に楽しんでいた。
そして木崎先生の実家は伊豆の海岸からそう離れていない丘の上にあった。
木崎はいつかこんなふうに、最後の思い出を作らせてあげられるよう実家を建て直したのであろう。
白く美しい邸宅であった。
二階は寝室ばかりいくつもあり、どの寝室の窓からも海が見えた。
一階はリビング、バス、そしてバリアフリーになっていて、車椅子の人でも泊まれるよう、寝室が二部屋あった。
一輝と一葉の病気のことがなければどれだけ素敵な旅行だったことだろう…涙がこぼれそうなのを堪えながら、子供達を見ると
「海岸まで行ってみようよ!あそこに見える道を行けば着くはずだし」
楽しげに響く子供達の声に一輝も一葉も笑顔になる。
…私が泣いてちゃダメだね…
春海が一輝と一葉に
「私達もゆっくり海岸の方へ行ってみましょうか。お昼食べるとこもあるって先生言ってたし」
三人はゆっくりと子供達のあとを追う。
海岸までの道沿いには魚の干物屋さんがあったり、美味しそうな魚を焼いているいい香が漂い、空腹にはたまらない。
「一樹、実優、悠希~お昼にしようか!」
一輝が子供達を呼び寄せる。
中に入り、一輝はお刺身ととろろご飯、お味噌汁のお刺身定食を頼み、一葉は焼き魚定食、春海も焼き魚定食を頼んだ。
子供達は海老フライとミックスフライのフライ定食を頼んだ。
「やっぱり新鮮な魚の刺身はうまいな!いつも食べてたのと全然違う」
少しずつしか食べられないが、とても美味しかったようだ。
一葉も
「焼き魚も最高に美味しいわ!」
「少し焼き魚も食べる?」
春海は一輝に少しだけ焼き魚を口に入れてあげる。
「本当だ!ものすごくウマイ!!」
子供達もあっという間に食べ終えた。外で待っていたビッキーも少しだけ魚をもらい満足げであった。
「先に海岸行ってていい?」
「いいわよ!気をつけてね」
海岸では3月終わりということもあり、まだ足を浸けるには水は冷たく…キレイな貝殻を拾ってはカバンに入れる子供達だった。
後から来た一輝と春海、一葉とビッキーは海岸沿いの海の家の前にあるベンチに座り、暖かい陽射しに包まれていた。
三人がベンチに座るのを確認したビッキーは子供達の方へ走って行った。陽射しは温かく春の陽気で、海岸沿いの今は閉まっている海の家の前のベンチに座って子供達を見ている三人…ゆったりとした気持ちのいい時間が流れていた。しかしどうしても拭えない春海の気持ち…。
穏やかな気持ちで横に座っている一輝と一葉。
それぞれに色んな気持ちを思いながら、ゆっくりと流れる時間。
一輝には伝えてはいなかったが、一輝はもう二度と見れないであろう子供達の今の楽しげな姿を焼き付けるように、気持ちを整理しながらずっと見ていた。
夜、夕食を近くのレストランで済まし、子供達は昼間の心地好い疲れとともにベッドで眠りについた。
一葉も二人に気遣い部屋へと戻って行った。
二人になった一輝と春海は
「お天気よくてよかったね。子供達も楽しそうだった。私楽達もそろそろ寝る?」
「そうだな。でも少しだけ話をしないか?」
一輝は昼間海岸で整理した気持ちをどうしても春海に伝えたかった。「春海…俺…俺はもうあまり長くない…でも俺は春海に…春海に会えて幸せだったよ。元気な子供達にも逢わせてもらえた。最高に幸せだったから…」
涙をいっぱい溜めた一輝の顔、一輝の一言一言に春海も涙が溢れ出す。
一輝には余命のことは言ってない…。
でも人間て不思議と自分でわかるのだろう…。
悲しみが春海の防波堤を越えた…。
「いやだ!いやだよ!そんなこと言わないで…まだまだ一緒にいて!ずっとずっと一緒にいてよぉ…」
一輝を困らせているのは重々承知だ。
一輝を病気の苦しみをまだ続けさせるのも酷でもある。
「ごめんな…。俺もずっと一緒にいてやりたかったよ…。俺も悔しいさ…」「!…ごめん、わがまま言って…
涙を拭いて一輝の手を握る。
…こんなに細くなっちゃったんだよね…でも今は私達を気遣かってくれてる…誰よりも苦しくてしんどいはずなのに…
「でも俺は幸せだった。春海がいてくれたから…。俺が死んだら泣かないでくれ…」
「無理だよ…反対に私が先に死んだら泣かないでって言ったら絶対泣かないでいれる?」
涙を浮かべて反論する…
「無理だな…じゃあ三日だけ泣いてもいい。四日目からは笑ってくれ!無理矢理でも笑ってくれ…そして子供と一樹と母さんを頼む。母さんも長くはないだろう…母さんが死んだら一樹を頼んでもいいかな…?」
「うん。一樹も実優、悠希の兄弟みたいなもんだもん。安心していいよ」
「ありがとう…春海…俺は死んでもずっと春海を愛しているから。側にいると思ってくれていいから…」「いやだ、いやだってば…」
ずっと堪えてたものが春海の口から流れ出る。
大粒の涙を流し、止めることのできない時間をどれだけ恨んでいただろう…。
「本当に、本当にごめんな…」
一輝からも大粒の涙…。
細くなった腕と体で一生懸命春海を抱きしめて泣いた。
次の日は少し街の方へ行き、ショッピングなどを楽しんだ。
一輝は土産物売り場で十枚入った絵葉書と四つ葉の入ったキーホルダーを買った。
みんなでショッピングを楽しみ、写真を撮り、美味しい魚料理を食べて満喫した。
夜も子供達はあっという間に眠りにつき、春海がお風呂に入っている間、一輝と一葉が喋っていた。
「一輝、楽しい旅行を一緒に連れて来てくれてありがとう…。母さん、一輝をおいて伯父さんの家を出てからずっと後悔してた…。苦労させたよね…」
涙ぐみながら一葉は一輝に言った。
「一樹が生まれた時、どうしても一輝を忘れられず「一樹「って名付けたの。もう一輝に会えない、一輝には許してもらえないと思ってたから、一樹を大切に育てなきゃって…」
「うん…一樹の名前聞いた時にわかったよ。顔もそっくりだったし。俺、正直母さんの名前を病院で見つけた時、俺は母さんを許せるのかまだわからなかった…。会うのが怖かった。でも一樹が出てきて、昔の俺と同じ顔だった時、少し会いたいと思った。俺、現在、幸せだったから母さんを許せたんだと思う。春海やビッキーに会って、子供達が生まれ、俺最高に幸せだったから…」
一葉は涙溢れ
「本当にごめん、ごめんね…」
「…俺…もう長くないんだ…この旅行に母さんも一緒に来れたこと、本当に嬉しいよ…俺が死んだら一樹や春海、子供達を頼む…」
大粒の涙をこぼしながら一輝が頼む。
「代わってあげられるなら代わってあげたいよ…」
そう言って一葉は泣き崩れた。
一葉もそう長くはないことを一輝は知っていたが、涙で流した。
お風呂から出る春海の音が聞こえ、二人は涙を拭き、一葉は
「ごめん、先に寝るね…春海ちゃんとゆっくりして」
と言い残し、部屋へと戻った。
「さっぱりした~!」
春海がホカホカになりながら出てきた。
「何か飲む?たまにはビールなんてどう?」
春海は一輝に少しだけ注いであげた。
「明日はもう帰らなきゃいけないんだね…」「あぁ…でもな、運命なんてわからないよな!もしかしてもしかすると、俺はまだもう少し生きることができて、また旅行できるかもしれないもんな!誰も未来なんてわからないはずさ!」
わざと元気に言う一輝。
…そう…誰にもわからない…よね…。
春海の目に涙が浮かぶ。
…神様…どうか一輝に命を増やしてあげて下さい…お願いだから…
旅行から帰り、体調を見るため一輝と一葉はもう一度入院した。
家族で楽しい旅行をさせて頂いた木崎先生にお礼とお土産を渡し、とてもいい思い出に残る旅行になったことを伝えた。穏やかな春の陽射しとともに桜がちらほら咲き始めた。
そんな暖かくて一輝にとっても穏やかな日々が数日続いた。
旅行から帰り一週間たって、子供達も学校が始まった。
暖かさで眠くなりそうになるのを堪えながら授業を聞いている。
窓から心地好い風が入ってきた。
「あ、…お父さん?」
「お、お兄ちゃん?」
三人は風の中で呼ばれたような気がした。
しばらくすると職員室から空きの先生が実優、悠希、一樹を呼びに来た。
「お父さんが危ないそうよ!今すぐ病院へ行きましょう!私が送ってあげるから!」
三人は先生に乗せてもらって病院へと急ぐ。
病室に入ると一輝は酸素マスクをして横になっていた。
春海はしばらくすると仕事場から飛んできた。
涙がこぼれる四人…。
一輝は少しこっちを向いて手でみんなを呼んだ。
「…み、みん…な…ご…め…ん。ご…めん…な…しあ……わせ…に…なれ…よ…」
「お父さん!お父さん!お父さん!!」
泣き崩れる四人…
みんなに看取られ旅立つ一輝。
暖かな陽射しは五人を包み、一輝は穏やかに息を引き取った。
お葬式を終え、病院の木崎先生から呼び出された春海。
先生から手渡されたのは一輝からの絵葉書だった。
伊豆から帰り、一人一人に書いた手紙を先生が預かっていたものだ。自分が死んだら渡してほしいと…。
一輝は家族に愛を残し暖かな春風のように去っていった。
書いているうちに、私は色んな思いを感じることができました。
読んで下さる方に伝わることを願います。